プロテニス界で伝説の選手。
クライヴ・E・ウィンチェスター。
デビューから引退まで不敗神話を打ち立てた、恐るべき実力の持ち主である。
彼のテニスは芸術とまで言われ、そのプレイスタイルは見る者すべてを魅了した。
彼の人気の秘訣は圧倒的な技術も然ることながらそのビジュアルにあった。
テニスプレイヤーにしてはあるまじき長髪は見事に輝く銀糸、185センチの長身にすらりと伸びた長い足。
ノーブルで気品漂う青灰色の瞳に、完璧なまでに整った容姿。
更には王家に縁続きの伯爵家の嫡男とくれば彼を取り巻く女性ファンの数は推して知るべしではあるが、ミーハーな女性ファン以上に熱狂的な男性ファンが多かったことが特徴的だった。
デビュー当時貴公子と呼ばれていた彼は、だがその実力から次第に「神に最も愛された選手」と呼ばれるようになり、引退を間近に控えるころには彼自身が「神」と呼ばれるようになっていた。
その「神」の突然の引退は、まさに驚天動地の事件であった。
間違いなく絶頂期にあった当時、体力の衰えなどはありえるはずもない。
だが、彼から一切の理由は語られなかった。
多くのファンに惜しまれ、未だにその復活を望む声は後を絶たない。
その後、テニス界から姿を消したクライヴに代わるように台頭した双子の弟ウィリアムは、兄クライヴに負けず他者を圧倒するテニスで一躍王座に上り詰めた。
不世出の天才と呼ばれた彼を、誰もがクライヴ――「神」の後継者だと信じた。
メディアもマスコミもこぞって彼ら兄弟を報じ、その素晴らしい才能を讃えた。
だが、その評に異を唱えたのは、他ならぬウィリアムで。
兄同様家庭の事情から私的なインタビューには一切回答しないはずのウィリアムが、唯一答えたのはたった一言。
曰く、
『神の後継者は他にいる』
ただ、それだけだった。
そのコメントは瞬く間に世界中に報道された。
その後テニス界から財界へと転身を遂げたクライヴが、公式の場でウィリアムのコメントを肯定したせいもあり、各マスコミでは『神の後継者』探しに躍起になった。
神と言われたクライヴと、不世出の天才と言われているウィリアム。
その2人が公式に認めた『神の後継者』。
名前も年齢も国籍も、その全てが闇に包まれた存在である人物がどこにいるのか、どのマスコミが最初に見つけることができるか、次第に周囲の関心も高くなっていた。
彼らを凌ぐほどの実力の持ち主となればおそらくは大会にも出場しているはずだろうとの読みから、すべての大会へ足を運び後継者の名に相応しい人物を探したものの、容易に捜せるだろうとの当初の目論見を他所にそれらしき人物は見つからなかった。
2人に訊ねてみる者は何人かいたが、彼らの回答はなく。
ただ、意味深な笑みを浮かべるばかりだった。
「見つからなくて当然だ」
そう言って景吾が興味なさそうに放り投げたのは、『月刊プロテニス』。
先日面白い記事があると記者の人が持ってきてくれたものだ。
まだ読んでなかったそれを拾おうとすれば、何故かその手を掴まれて。
「お前が見るようなもんじゃない」
あっさりと言い切られてしまえば、先程から断続的に訪れてくる睡魔のせいもあり、それ以上追求する気にはならなかった。
「面白かった?」
「あぁ、まあそれなりにな。クライヴとウィリアムの特集が組まれていたってだけだ」
引退したとは言ってもクライヴの人気は未だに高い。
クライヴを超える選手が未だに現れていないのも原因かもしれないけど、結構頻繁に特集が組まれてたりする。
何度も話題になる引退の理由。
それを知るのは、ごく一部の人だけ。
トラブルを回避するためだとクライヴは言っていたけど、多分本当の理由は面倒だったからだろうと僕は読んでいる。
勿論トラブルを避けるというのも間違いはないと思う。
サイアス一族の次期当主となれば、それなりの身の危険はつきものだから。
だけど、クライヴはマスコミをあまり好きじゃないから。
色々説明したくなかったんじゃないかなと思うんだ。
「クライヴは、テニスに未練ないのかな…」
あんなに上手だったのに。
あんなに楽しそうだったのに。
クライヴにテニスを教わっていた僕だからわかる。
コートに立つクライヴは、何よりも生き生きとしていた。
「勿体ないね…」
「さあな。決めるのは本人だろ」
「そうだけどさ…」
あぁ、駄目だ。
眠くて目が開けていられない。
柔らかな羽毛の中に身体が沈みこんでいくみたいで、何だかふわふわする。
頭上で小さな笑い声が聞こえた、ような気がする。
「もう寝ろ」
「うん…」
疲れた身体に心地よいアロマの香りと、優しい手のぬくもり。
やがて訪れてくる微睡に、素直に身を任せることにした。
「まったく…」
ようやく聞こえてきた規則正しい吐息に、思わず苦笑が漏れる。
眠くて仕方ないくせに、それでも頑張って起きていようとする様子は、まるで幼い子供のようだ。
が持ってきた雑誌に掲載されていた記事。
それはを溺愛している2人の従兄の特集で、それは以前に組まれた特集と対して代わり映えのしない内容だった。
クライヴとウィリアムを記事にすればそれだけで2割は売り上げ部数が上がると見越してのことだろう。
報道がされてすぐに本人から事情を説明されていなければ、おそらくは発行差し止めの要請をしていただろうその内容。
何が『神の後継者』は何処に?だ。
いくら捜しても、その結末が記事に載ることはない。
マスコミもそれがわかっているはずなのに、敢えて読者の興味を煽る書き方をする。
まるでゴシップ記事だ。
「ま、好きにすればいいさ」
が世界に出るのは、が決めた時。
それまでは決して表舞台に名前が載ることなどないのだから。
神の後継者は今はまだ安らかな眠りの中。
- 07.01.16