突然聞かされた言葉はまさに寝耳に水という状態で。
何事もなく済むはずがないだろうとため息をついたのは、当然かもしれない。
「交換留学生?」
馬鹿みたいに繰り返した俺に呆れた態度を隠さないまま、跡部は頷いた。
「今年は俺達のクラスに入ることが決まった」
「でもさ、何で今頃…」
毎年一定期間だけやってくる留学生は、通常は夏休み前後が多い。
最短で数日、気が向けばそのままこっちの学校に編入する奴も今までにいないわけではなかったが、それでも通常やってくる交換留学生は姉妹校の生徒であることが原則だ。
だが、今回やってくる交換留学生は姉妹校でも何でもない学校の生徒だというのだから、俺が驚いても無理はない。
少なくとも今までにそんな例は聞いたことがない。
「どうもあちらから熱心な申し入れがあったらしい。政財界にも影響のある人物が関与しているらしく、理事長も断りきれなかったんだと。おそらくは高額の寄付金でも積まれたんだろうよ。実際向こうの生徒がこちらに来ることに関してのメリットは、あちらよりもうちのほうが遥かに大きい」
いくら氷帝が都内でも有数の名門校だとは言っても、それは日本という狭い地域の更に東京という狭い区域でのこと。
全世界でも有数の名門校であるあちらとは比べ物にならない。
だけど、よくわからない。
そんな名門校に通う、それこそ世界有数の資産家の息子が何でわざわざうちにやってくるんだ?
それも交換留学生なんて短期間で。
ましてやうちからあちらに行く生徒はいないのだから、交換留学にもなっていない。
そう言うと、跡部の視線が変化した。
言葉に出さないだけマシなのかもしれないが、こうも見事に「お前馬鹿だろう」という視線を向けられて面白いわけがない。
だが跡部の機嫌が最上級に悪いのは火を見るよりも明らかで、下手に藪をつついて蛇を出すようなことになりたくないから、頭にくるけど大人しくしているしかないのだが。
「英国でも1,2を争う名門校で、良家の子息子女が多く通う学校……ね。目的がえらいはっきりしてはると怒るのも馬鹿らしいな」
忍足がそう言えば、滝も頷いて。
「目的ははっきりしてるけど、どんな手段を使ってくるかわからないから少し困るね。僕達で何とかできればいいけど」
…どうやら俺以外には全員わかっているようだ。
そんな俺に気付いたのか、滝が苦笑した。
「英国で強い力を持つ一族の子息が、うちには1人いるよね」
「あぁ、だろ」
「同年代の彼と仲良くなって上手く取り入っておけば将来は安泰。が入学した当初はそう考えてに取り入ろうと思っていた輩が少なからずいたのは覚えてる?」
「そりゃ当然」
の実家の権力を狙って近づいてこようとした人間は少なくない。
大抵の奴らはを前にすると何も言えなくなるから問題はなかったが、それでも中には性質の悪い奴らがいなかったわけでもない。
男女問わずやってきたそいつらを時には秘密裏に、時には公然と排除してきたのは目の前のこいつらに他ならない。
何せ俺もかなり巻き込まれたからな(遠い目)。
「そう思っている人間は何も国内だけじゃないってことだよ」
「むしろサイアス家の権力は英国では強力やさかい。何としてでもよしみを通じておこう思う人がおっても不思議はないな」
「それこそどんな手段を使ってもね」
「はぁ?どんな手段って…」
「さあね。それがわかれば対策のしようもあるんだけど。少なくとも『』という個人に用はないだろうね」
「『』よりも『サイアス』の家の方が名門やしな」
話しながらも滝と忍足の目がどんどん険しくなってきている。
こいつらのフリークは今に始まったことじゃないけど、それにしてもここまでの徹底ぶりはある意味尊敬するというか決して見習いたくないというか…。
「どうせ数日なんだし、その間気をつけてればいいんじゃねえの…」
「甘いよ宍戸」
「せや、相手が何を考えてるかわからへんやろ」
「下手すると無理やりをイギリスへ連れ帰るつもりかもしれない」
「その可能性も否定できないね」
「そんなこと俺様がさせるかよ」
「勿論だよ」
「跡部、何か対策練ってるんやろ?」
「当然だ。にちょっかい出そうとしたら、問答無用でイギリスへ強制送還してやる」
「…………」
駄目だ。
こいつらすっかり目がイってる。
何でこいつらのことになるとここまでおかしくなるんだろう?
とりあえず跡部達の暴走はが止めてくれることを願いながら、俺は顔も知らない留学生が無事日本での学生生活を送れることを陰ながら祈るだけだ。
俺は今回傍観者に徹しよう。
味方もしなければ敵にもならない。
いわゆる対岸の火事ってやつだ。
そうすれば少しは平和に……。
「宍戸」
そう考えてたら跡部に睨まれた。
「まさかテメエ、1人だけ楽しようってんじゃねえだろうな、ア〜ン?」
…………。
逃げ道はなかった。
◇◆◇◇◆◇
留学生登校1日目。
留学期間中はテニス部に所属したいという留学生の希望を受けてか、クラスに入る前にまず校長室に呼び出されたのは同じクラスでテニス部員である跡部とと忍足と滝と、そして俺。
……多すぎだろ。
実際跡部とだけ行けば十分じゃないかと思ったんだけど、滝に首根っこを掴まれていたために拒否権はなかった。
つうか、こいつ一見細く見えるくせして腕力は俺よりも強いから逃げられるわけがなかった。
初めて見た留学生はさすがに名家の子息らしく、いかにも裕福なお坊ちゃまだった。
金髪碧眼の留学生は忍足とほぼ同じくらいの身長で、育ちのよさが全面に出た顔立ちはまあ美形の部類に入るだろう。
「初めまして。日本はとても興味ありました。色々教えてください」
アクセントは微妙におかしいが、それでもしっかりとした日本語に、俺の中の留学生の株が少し上がる。
それはどうやら滝や忍足にも同様らしく、険しかった表情がほんの少しだけ緩んだ。
もっとも跡部だけは相変わらずの仏頂面だったが。
もしかしたらこいつは本当に日本文化を学ぶためだけに留学してきたのかもしれない、なんて思ってしまったのは、やはりトラブルを避けたいと思う人間の本能のなせる業なんだろう。
だが、そんな俺の予想は見事に裏切られた。
「初めまして。えぇと…、さん?」
たどたどしい日本語でそう語りかけてくるそいつに、がふわりと微笑む。
その微笑を受けて、留学生が嬉しそうに破顔する。
と話せたことが嬉しくて仕方ないというようなその表情。
それは今までに何度も見たものと変わらないもので。
だが、その瞳に熱いものを感じたのは気のせいではなかったらしい。
「うん、よろしく…ね……?」
差し出された手を握り返そうとしたの顔が戸惑いの色を浮かべる。
頬をうっすらと染めたそいつは、の手を恭しく取って優雅な仕草で身を屈め。
「!!!???」
俺達の前で、の手の甲に口付けた。
まるで女性に対するようなその仕草。
跪いた姿勢のまま、そいつは熱に浮かされたようにうっとりとした視線で凍りついたままのを見つめた。
「貴女に会えるのを楽しみにしてました。どうか僕と結婚してください、my
angel」
「あの……」
跡部の額に青筋が立ったのを、俺は見逃さなかった。
………強制送還決定だな、これは。
- 06.10.01