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無知と無謀と無慈悲な瞬間 02


「ゲームセット、ウォンバイ、6-1」

試合が開始してから15分。
予想はしていたけど圧倒的な実力の差に、皆言葉もない。
が対戦していたのは英二。
ダブルスプレイヤーとして全国区だけど、シングルスでもそれほど弱いわけじゃない。
むしろ英二のアクロバティックプレイはシングルスでも縦横無尽にコートで暴れまわって、隙があるようでないから結構対戦しづらい。
それなのに、まさにあっという間に決まってしまった勝負。
英二が手を抜いていたわけじゃない。
それだけが強いんだ。

「くっそー、負けた!」
「一応僕はシングルスプレイヤーだからね。ダブルスの英二には負けられないよ」

悔しそうに地団太を踏む英二は、だが台詞ほどには悔しそうじゃない。
対戦できただけで満足とでも言うように笑顔を浮かべている姿は、負けた後の英二からは想像もつかない。
普段ならものすごく不機嫌になるのに。
が嬉しそうに笑っているからつられているのかもしれない。
それに、になら負けても仕方ないって、何故かそう思えてしまう。
悔しさなんて抱けないほど綺麗なプレイスタイルのせいだろうか。

はすごいね」
「乾?」

隣でノートを片手にデータを収集していた乾が、驚いたように呟いた。

「今まで調べてきたデータのどれを見ても、にはおよそ弱点らしきものは見当たらないんだ」
「へえ。さすが」
「しかもはまだ余力を残している。正直恐ろしいよ。あれだけの技術を見せながら、まだ全貌を明らかにしていないなんて。手塚や不二も全力を見せていないけど、はお前達とも違う」
「………」
には、底がない」

驚愕を隠せない声。
乾がここまで断言するなんて初めてじゃないだろうか。
確かに僕も手塚も相手にデータを取らせるようなヘマはしない。
それが仲間であろうと何であろうと。
だがは違う。
は何も隠さない。
隠す必要なんてないんだ。
僕達じゃの全力を引き出すことなんてできないのだから。

去年の全国大会。
立海大の真田と幸村に並んで無敗だった
あの跡部ですら真田に敵わなかったのに、は当時の主将を相手に見事勝利を収めた。
その時も今のように楽しそうだった。
必死の形相で繰り出される球を、まるでラリーのようにあっさりと打ち返していく。
どこを狙っても、どれだけ力を込めても、はまるで何でもないことのように追いつき相手コートに返す。
コートの上を舞うような優雅な動きに、誰もが魅了されていた。
』の名前を、全国に知らしめるには十分すぎるほどの試合だった。
きっと彼みたいな人のことを真の天才と言うのだろう。

続いてコートに入った越前をもあっさりと下して、は優雅に笑う。

「不二、相手してもらえるかな?」
「お手柔らかにね」

誰に対しても変わらないのスタイル。
彼に本気を出させることが、僕にできるだろうか。
興味があった。

ラケットを持ってコートに向かおうとして、視界の端に見慣れたくないけど見慣れてしまった人物の姿が映った。
普段の冷静な態度をかなぐり捨てた、怒気溢れる形相。
もう着いたんだ。
まだ40分しか経ってないのに。
足止めは失敗したらしい。
とりあえず試合を始めてしまえばこっちのもの。
おそらくは跡部の存在にまだ気付いていないはずのを急かそうと視線をコートに戻して、そこにいるべきの姿がないことに気付いた。

?」

その姿はすぐに見つかった。
はコート脇のベンチにいた。
いつのまにか移動していた乾の手からドリンクを受け取るところだった。

!?」
!?」
「駄目にゃ!!」

気付いたのは僕だけじゃなく、越前と英二も同じだった。
何も知らないは、にっこり微笑んで乾の手からドリンクボトルを受け取った。
大きく『乾』と書かれているそれが何を意味するか、青学では知らない者はいない。
殺人的破壊力を誇る、乾の新作。
先日すべての部員を保健室送りにした、あの最終兵器。
海堂などは未だに復活できないほどの威力を持つ恐怖の乾汁。
僕ですらすでに飲めなくなっているそれは、間違いなく人間の飲み物ではない。
だが、氷帝の生徒であるが知らないのも当然で。
他人を疑うことを知らないはそのままドリンクに口をつけた。

「あああぁぁぁぁっっっ!!!!」

絶叫が漏れたのは、それに気付いた青学のメンバーから。
フェンスに手をかけた跡部が怪訝そうに眉を顰める。

ぴたり、と動きの止まったの手から、ボトルがすべり落ちる。

!!」

傾いた身体が地面に崩れ落ちる前に抱きとめたのは、瞬発力に秀でた英二だった。
一瞬で状況を察した跡部が、すごい勢いでコートに乱入してきた。

!?しっかりして!!」
「おいっ!!?」

頬を軽く叩いても反応はない。
無理もないことだけど、見事に気絶している。
原因が何にあるかなんて、聞かなくてもわかってる。

「乾……」

全員の視線が集中する中、乾は何やら呟きながらノートをとっていた。

「おかしいな。滋養強壮・栄養補給にはバッチリだったはずなのに…」
「そういう問題じゃないだろ。一体何を飲ませたんだ」

前回の部員の様子とは明らかに違う。
ここまで昏倒する部員は1人もいなかった。

「いや、先日の乾汁はにんにくが入っていたせいか匂いがきつくてね。やはりあれは失敗作だと思って…」
「だから、何を飲ませたの?」
「ただのドリンクだよ。つい先程完成した『特製ロイヤルストレート乾汁インフィニティ』さ」
「インフィニティ…」
「無限大っすね」
「この特徴は無味無臭。一見するとただの水にしか見えないんだが栄養素は前回とは比較にならない。今までの芸術的な色彩も捨てがたかったんだが、一度くらいはこういう物体もいいんじゃないかと思ってね」
「物体というあたりですでに飲み物じゃないよ乾…」

これが英二とか桃とかなら全然構わないんだけど、何でよりによってに飲ませるかな。
しかもこれから僕との試合だったっていうのに。
どうしよう。早く病院に連れていかないと…。

「てめえら……」

英二の腕からを奪い返した跡部が、先程とは比べ物にならないくらいの憤怒の表情で見下ろしていた。

「随分いい度胸だな、青学…。どうなるかわかってんだろうな」
「こちらとしても不可抗力なんだ。乾への報復は僕がきちんとしておくから、君らはを病院に連れてってくれないか」

製作者が乾なので、一体あの液体の中に何が入っていたかわからない。
一応毒素はないと思うけど、確証はないから。

「ちっ…。てめえら、二度とにちょっかい出すんじゃねえぞ!次にこんなことがあったら潰す。覚えておけ!」

跡部はを抱きかかえるとそう言い捨てて病院へ直行した。
跡部に言われるまでもない。

「乾、今度ばかりは余計なことをしたね」
「な…何だ不二…。目が開いてるぞ…」
「僕の目が開いていることが、何かおかしいかい?」

次にこんなことがあったらなんて、生ぬるいよ。
二度はないんだよ乾。

「乾先輩…覚悟はいいっスね…?」

越前が乾に向かってサーブを構える。

「越前…」
「ほいほーい。動かない動かない」
「動いちゃいけねえな、いけねえよ」
「こ、こらっ…。菊丸、桃城。離しなさい」
「イ、ヤ、にゃ」
「駄目っすよ」

暴れたって無駄だよ。
この2人ものことをかなり気に入ってたからね。
まったく、本当にこの危険人物どうしてくれよう。

「ねえ、乾」

振り返った乾に口元だけで笑う。

「神への懺悔は済んだかい?」


  • 06.06.27