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無知と無謀と無慈悲な瞬間 01


前日の練習でガットを傷めていたことをすっかり忘れていたラケットは、練習中にタカさんのパワーショットを受けてとうとう悲鳴をあげてしまった。
衝撃を吸収しきれず弾き飛ばされたラケットのガットは見事なまでに切れてしまい、手塚の許可を得て部活を抜けさせてもらい、馴染みのスポーツショップへ向かった。
大会も近いのだからラケットの管理くらいきちんとしなければいけないのに、何故忘れていたのだろう。
幸いフレームに傷はなく、ガットを張り直してもらう間にグリップテープとテーピングを購入して帰路についた。
そしてそこで珍しい人に出会った。
本当に偶然出会ったその人と、すぐに別れてしまうのは勿体なくて、思わず青学に連れ帰ってきてしまった。
皆――特に越前あたりは喜ぶんだろうな。



「あーーー!だーーーーー!!」

最初に気付いたのは英二。
相変わらず猫みたいに鋭い英二は、に気付くとラリーをしていたにも関わらずダッシュしてきてに飛びついた。

「えぇ!?何で!?何でが青学にいるの!?」
「えと…道で不二に会って、気がついたら何でかこういうことに…」

不思議そうに首を傾げるは、自分でもどうしてここにいるのかよくわかってないようだった。
確かに「今、時間ある?」の一言で青学まで連れてこられるとは思ってなかったんだろう。
って押しに弱いよね。

「不二に?マジで!?」

こくん、と頷くに抱きついた英二が僕を振り返る。

「不二、偉い!」

当然だよ。
余計なお邪魔虫がついていないなんてものすごくレアなんだから、ここで連れ帰ってこなかったら今度いつを青学に招待できるっていうんだ。
試合もできるかもしれないし、あわよくばこのままを青学に…。

ふふふふふふふふふ。

「不二…頼むから黒いオーラを出すのはやめてくれ」
「あぁごめん大石。つい、ね」

いけないいけない。を怯えさせたら駄目じゃないか。
もっともは猫2匹……もとい英二と越前に囲まれてて気付かなかったみたいだからよかったけど。
それにしても、あの猫2匹。本当にのこと大好きだよね。
特に越前。
身長差を利用しての上目遣いとか、年下ならではの甘えっぷりとか、本当に僕達の前とは別人。
帰国子女という立場を利用して、に抱きついたり英語で楽しそうに会話したり、さらには過剰なまでのスキンシップを見せ付けたり。
はそれを越前の習慣だと思ってるけど、青学の誰も越前にキスされたことなんかないからね。

、時間あるんでしょ。相手してよ」
「駄目だよ。部外者の僕がコートに入れないだろう」
「大丈夫っすよ。ねえ、英二先輩?」
「当ー然。は特別。どんどん使って使って。つーかむしろ俺とも対戦して」
「あぁ、それはいいな。僕とも対戦してくれるかい?」
「不二まで…」
「何しろ、うちの部長は今不在だし、正直なところ人手不足なんだよね。合宿の時みたいにがコーチしてくれれば心強いな」

手塚はまだ療養中だからと言えば、の秀麗な眉がわずかに下がった。
手塚の肩を壊したのは跡部で、跡部は怪我で試合に出場できなかったを全国に連れて行くために無茶をしたとわかっているから、そう言われればは強く出られない。
まあ、僕は別にに責任を負わせるつもりもないし、勿論跡部を恨んでもいない。
実際僕達にも隠していた手塚の弱点が露呈したのが、関東大会でよかったと思っているくらいなんだから。
全国に行く前に治れば問題なし。
そして、全力で治すのは手塚の仕事だ。
必ず全国に間に合うように治してくるようにと厳命しておいたから、手塚は死に物狂いで治してくるだろう。
だからが気にする必要は1ミクロンもないんだけど、優しいを丸め込むには情に訴えるのが一番だから、こう言えばが拒むことはない。
我ながら卑怯だとは思うけどね。
目的のためには手段なんて選んでられないし。
手札は有効に使わないと意味がない。
案の定は困ったような表情で、それでも頷いてくれた。

「それじゃあ、少しだけ…。あまり役に立たないかもしれないけど」

作戦成功。



着替えのために部室に消えてから5分、戻ってきたはやっぱりというか氷帝のジャージ姿だった。
先程の制服姿も新鮮だったけど、やはり見慣れているのはこの姿。
うちとは違うデザインは、悔しいけどによく似合っている。
でも、青学のジャージでも似合うと思うんだよね。

「ねえ、。ジャージ交換してみない?」

ふと思いついたんだけど、はあっさりと了承してくれた。
僕とは身長差もそれほどないしお互い交換しても違和感はなかった。

「へえ〜、こうやって交換してみると、って青学のレギュラージャージ似合うね」
「本当だ。うちのレギュラーみたい」
「そうかな?」

自分では見えないからだろうか。はジャージの袖を引っ張りながらはにかんだように笑う。
可愛いなぁ。
同性とは思えないよ。特に桃と。
子供っぽいというのとは少し違う、世の中の綺麗なものだけで作られたかのような
跡部が過保護になる気持ちもよくわかる。
でも、独り占めはずるいよね。

、これから…」
「あ、ちょっとゴメン」

一緒に試合しようよと言おうとしたら、のバッグから携帯音が鳴り響いた。
何となく嫌な予感がしたんだけど、電話に出るななんて言えるはずもないので、大人しく待つことにしたんだけど。

「あ、景吾?」

やっぱり相手は跡部だった。
あの過保護め…。

「見舞いは終わったよ。…今?今は青学にいる」
『青学!?』

携帯から響いた大音量に、驚いたは思わず電話を取り落とした。

『何でお前が1人で青学にいるんだよ!帰りは車を呼べって言っただろうが!ふらふら1人で歩いてるんじゃねえ!無用心にも程があるって何度言えばわかるんだ!!』

地面に落ちた携帯からは跡部の怒声。
焦ったような怒ったような心配するような声は、普段の跡部からは考えられないものだ。
余程のことが心配らしい。
まるで母親みたいだと思わなくもないが、それだけが大事なんだろう。
でも、その親密な態度が面白くないのは事実だ。

が携帯を拾い上げる前に、それを奪い取る。

「不二?」

怪訝そうに首を傾げるに、小さく笑みを浮かべる。

「やあ、跡部」
『その声…青学の不二か。テメエいい度胸だな』
「随分だね。が友達に会うのに君の許可が必要なのかい?」

電話の向こうで跡部が舌打ちするのがわかった。
相変わらず心が狭い。

「悪いけど、はしばらく借りるから。あぁ、帰りは僕がちゃんと家まで送り届けるので安心していいよ」
『ふざけ…』
「じゃあ、そういうことだから」

通話を切ってついでに電源もオフにして、携帯をに返す。

「跡部にも連絡できたし、試合しようか」
「あ…、う…ん」
「よっしゃぁ!んじゃ俺最初ね」
「ずるいっすよ英二先輩。俺が最初!」
「皆、誰がを連れてきたか忘れてない?」
「関係ないっす」
「それとこれとは話が別にゃ」

猫2匹がをコートへと引っ張っていく。
まったくいい度胸してるよ2人とも。
でもまあ微笑ましいから許してあげよう。

それよりも問題は跡部だ。
あの様子だと、跡部は大慌てで青学へ怒鳴り込んでくるだろう。
早くて30分ってとこかな。
どこかで足止めされれば1時間くらいは時間があるかもしれない。

…足止め、するか。


  • 06.06.15