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沈黙は金


所用で担任に呼び出され、皆よりも少し遅れて屋上にやってきた俺は、いつも見慣れた面子の中に見当たらない人物が1人いるのに気がついた。
普段なら当然のようにの隣を陣取っているはずの、眼鏡の関西人。

「忍足は?」

別にいないからどうということではないのだが、ついそう聞いてしまった。
あいつが昼休みにの傍から離れるなんて珍しいこともあるものだ。

「侑士なら、そのへんの下にいるんじゃないか?」

岳人が指さす方向へ視線を向ければ、そこは中庭の一角。
丁度いい具合に他の校舎から死角になるその場所は、人通りも少ない上に周囲には園芸部が丹精込めて世話をした花々が咲き誇り、いわゆる呼び出しには絶好の場所だった。
忍足を呼び出してどうこうしようという男連中がいるとは思えないから、呼び出した相手は十中八九女なのだろう。
1,2年の時は頻繁だった告白も、3年になってから自然と少なくなったものの、先日の関東大会の勇姿のせいか、最近はまた呼び出される機会も多くなってきたようだ。
最もそれは忍足に限ったことじゃないが。

「相変わらずまめだな、あいつは」
「忍足はフェミニストだからね」

空いている場所に座ると、滝が茶を用意してくれた。
日本茶に関して妙なこだわりがあるらしい滝の用意してくれる茶は、いつ飲んでも美味い。
の淹れる紅茶も美味いが、やはり食事時には日本茶の方がいい。

「お前の方がよっぽどフェミニストだろうが」
「僕はそうでもないよ。知らない人に声をかけられるタイプじゃないし」
「それにしても、最近多いよな。こういうこと」

関東大会が終了して現役を退いたからだろうか。
早朝昼休み放課後と、何かと呼び出されている忍足。
以前から女子からの人気は高かったが、最近はそれに輪をかけて頻繁だ。

「まあ、このメンバーの中で誰が一番告白しやすいかと言ったら、やっぱり忍足じゃないのかな。それか鳳」
「あー、納得」

一見人当たりがよく見えるが、その実他人を近寄らせないオーラを放っている滝と、何を考えているんだかわからないジロー。他人の話を聞かない岳人に無愛想な若。
そして根は優しいが無口な樺地や俺のようなタイプは、確かに声をかけにくいだろう。
反対に誰にでも親切な長太郎や関西系の軽いノリを持つ忍足は、呼び出しやすい存在だ。
外見も悪くないし、それなりに人気もある。
まあ跡部やに比べれば可愛いものだが。
もっともあいつらの場合男女問わず人気が高いが、それは恋愛対象としてのものではないからだ。
誰もが羨む頭脳と容姿。そして2人の持つカリスマ性。
跡部のそれが他者を導くものならば、のそれは他者を包み込むもの。
敬愛と崇拝の対象にはなるが、恋愛としての対象にはなりにくい。
特にに関しては。
まあ、自分よりも数段綺麗な男に告白する勇気を持った女はそういないだろう。

「俺には関係ないけどな」

実際話をしたこともない女に呼び出されても困るだけだ。
今はまだ恋愛よりもラケットを握っている方が全然楽しいから。
忍足には悪いが、俺じゃなくてよかったぜ。



「それにしても、最近呼び出されるのは侑士ばかりだね。景吾だって結構女子に人気あるのに」
「………」

不思議そうにそう呟いたに、答えを返すやつはいなかった。
そう言えば、は知らなかったんだっけ。
誰ともなく顔を見合わせた俺らには、あの日の跡部が浮かんでいた。
冷徹で酷薄な、見る者を凍りつかせるような表情を。
は、知らない。




3年生になってすぐの頃は、忍足に並んで跡部も頻繁に呼び出されていた。
跡部の性格を嫌というほど知っている2,3年生にはそんな無謀なことをする人間はいなかったので、その多くは初等部から上がってきた1年生ばかりだった。
声をかけるたびに刻まれていく眉間の皺。
それでも一応呼び出しに応じていたのは、英国仕込みのフェミニストであるが傍にいるから。
応えることはないが、それでも勇気を振り絞ってきた少女の気持ちを思いやるようにとが言えば、跡部は逆らうことができない。
告白の返事は決まっていたが、それでも跡部と1対1で話せる機会などそうないからか、玉砕するとわかっていても跡部に告白しようとする者は後を絶たなかった。
そのせいで休み時間や練習時間が削られ、跡部の機嫌は日に日に悪くなっていた。
いつ切れてもおかしくないと俺らが心配するほどには。

そして、の階段転落事件の後、騒動は起こった。


1年生の中には跡部目当てで入学した奴らが少なくない。
それは本人の希望だったり、彼らの親の打算かもしれなかった。
跡部グループの御曹司と「お近づき」になれば、将来が有望だからだ。
中には真剣に跡部に恋心を抱く少女がいなかったわけではないが、ミーハーな気分で声をかけてくる輩が多かったのは事実。
ただでさえの入院ということもあってピリピリしていた跡部が、そんなミーハー相手に切れるのも時間の問題だったところに、性質の悪い女からの呼び出しが入った。
HRが終わるなり病院に向かうのが日課になっていた跡部を、強引に呼び出そうとしたその1年生は、自分が断られることなど微塵も考えていなかったのかもしれない。

『跡部先輩の隣にふさわしいのは、それなりの家柄と容姿が必要だと思いませんか?』

確かに、その女の外見は悪くなかった。
だが公衆の面前でそんな台詞を吐けるような女を跡部が好むはずもなく、結果は火を見るよりも明らかだった。

跡部の怒りが一気に爆発した。

たまたまその時期に遭遇してしまったその女が不幸だったのか、それとも跡部景吾という人間を知らなかったその女が愚かだったのか。

『お前程度が俺に相応しいと本気で思っているのか?笑わせるな。俺の隣に並びたければ、せめての100分の1くらいは自分を磨くんだな。外見も、無論中身もな」

絶対零度の視線を向けられた女は、その言葉に瞬時に固まった。
裕福な家庭に生まれて、両親からも溺愛されて育ったのであろうその女に、跡部の鋭い視線が受け止められるはずもなく、彼女はその場で腰を抜かして座り込んでしまった。
比較の対象にされたのが同性ではなく男のだったことに自尊心を傷つけられ、それでもどうやってもに敵うはずもなく、その女は数日で姿を消した。
そして学園内では、こんな噂が広まった。

『跡部景吾の好みのタイプはである』

噂に対して跡部は何も言わなかった。
ただ、意味ありげに口の端を上げて笑っただけだ。
否定でもなく肯定でもないその仕草に多くの人がどう解釈したのか、それ以来ぴたりと跡部の呼び出しがなくなった。
まあ、外見の中身も家柄もに勝てる女なんて、少なくとも学園内にはいないだろう。
馬鹿馬鹿しいとは思うが、確かに効果は絶大だった。
そして退院してきたを、それこそ真綿で包むように大切に接する跡部の態度に、噂は信憑性を増し様々な憶測が流れた。

曰く、
『跡部景吾とはできている』
は実は女だった』
『2人は高校卒業後、外国で籍を入れるらしい』

…あまりにもくだらなすぎる。
跡部だって噂は知っているはずだが、余計な手間が省けるからと敢えてそれを無視している。
当然はそのことを知らない。
反応が怖くて誰も告げようとしないから無理もないが。
こう見えては怒らせると怖いからな。

「どうしたの、亮?何だか疲れた顔してるよ」
「………
「何?」
「……いや、頑張れよ」
「何が?」

きょとんと俺を見るに、さすがに同情してしまう。
他人を疑わないのはの長所だが、他の誰を疑わなくても隣にいる男だけは信じちゃいけないぞと言いたかった。

言えないんだけどさ。

ああ、そうさ。結局俺も自分の身が可愛いんだよ。
何か文句あるかよっ。


  • 06.04.10