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妖気と微笑み


氷帝学園で敵に回してはいけない者は誰かと訊かれたら、おそらくこの3人の名前が挙がるのは確実だろう。
跡部景吾。

そして、麻生真琴。

少なくとも、俺はこの3人だけは何があっても怒らせたくないし、また敵に回したくない。
特に跡部との持つバックボーンは強力で、本気で怒らせたら社会的に抹殺されるだろう。
過去にそういう例が1人だけいた。
後にも先にも、があれだけ怒ったのは初めてだった。
あの男は今どうしているかは別に気にならないが、馬鹿息子の尻拭いをさせられて仕事を失った父親には多少同情する。
他にも跡部の逆鱗に触れた出版社が潰れたり、にストーカー紛いのことをしていた浪人生が謎の失踪をしていたりと細かいことをあげればきりがない。

そして、跡部やとは別の意味で、おそらくは最強であろう麻生真琴。
生徒会会計である彼女は、一見するとまるで無害な女だ。
和風美人というのだろうか、清楚なながらも凛とした強さを持つ彼女には、校内でも男女問わず人気が高い。
まだ2年だがその会計能力は卓越していて、跡部が会長の座に着いたとき本人直々に会計にスカウトしたという逸材だ。
確かに仕事はできる。多くの女生徒と違ってちゃらちゃらしたところがないし、変に馴れ馴れしい態度もないところは好感が持てる。
あの一面さえなければ。


「宍戸先輩」

聞き慣れた声に呼び止められて振り返ると、そこにいたのは長身の女。

「麻生」
「会長がどちらにいらっしゃるかわかりますか?」

会長。
生徒会の役員はを除いて全員跡部のことをそう呼ぶ。
こいつらにとって跡部はテニス部のカリスマ部長ではないのだ。

「まだ部室にいるんじゃねえの。朝練あったし」

引退してからも、俺らは相変わらず部活に顔を出している。
後輩の指導という名目だが、実際は身体を動かしていないと調子が悪いからだ。
それでも毎日顔を出しているのは跡部とくらいか。
あの2人は後輩の指導を買って出ているからな。

「そうですか…、困りましたね。随分と仕事が溜まってるんですけど…テニス部が急に学校休んで合宿なんてするから」
「……」

1トーンほど低くなった声に気付いて麻生の顔を見ると、気のせいか視線が険しくなっているような気がする。
ヤバイ。
これは、非常にヤバイ。
今までの経験上、この後どういう展開になるかわかってる自分が哀しい。

気付かれないように一歩後ずさると、麻生が俺を見上げてきた。
射竦めるような視線は、女にしておくには惜しい。

「宍戸先輩。会長にご伝言頼んでもよろしいですか?」
「お…おぅ…」

嫌とは言わせない迫力で、麻生は俺に微笑む。
その笑顔が嵐の前の静けさだということも、経験上忘れることはできない。

「『放課後、生徒会室に必ず来るように』。そう伝えていただけますか?」
「わかった…」
「もし会長が来てくださらなかった場合、どうなるかわかってますよね。ふふふ…」
「……」
「それでは失礼します」

癖のない黒髪をなびかせて去っていく背中を見送るしかなかった。
麻生真琴。
彼女の呼び名はいくつかある。
跡部の懐刀、学年一の才女。
そして、女帝
自分に課せられた職務のためなら、跡部にすら手を上げるほどの怖いもの知らず。
合気道2段、剣道2段のあいつを怒らせる場合には、腕の一本や二本覚悟しなければならない。
何としても跡部を生徒会室に連れていかないと、俺の命運はない。

まったく、何で俺ばっかりこんな役割なんだよ。


  • 06.03.07