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花舞う庭で


満開の桜。
百花繚乱とはまさにこのことを言うのだろう。
薄桃色の可憐な花も、これだけの数が揃えば圧巻の一言に尽きる。
開花宣言がニュースで伝えられてから数日。
春の代名詞である桜は満開で、道行く人々の表情もつい緩みがちだ。
ましてや今日は日曜日。
天気は快晴。時折穏やかな風が頬を撫でる程度で、花見には絶好の日和だろう。
桜の名所と呼ばれる場所では、朝から花見客が押し寄せてすごい状態らしい。
暖冬だと言われた昨年の冬、それでもやはり身を凍えさせていた日々がようやく過去のものとなる春の気配に、子供より大人のほうが浮かれているように見えるのはおそらく気のせいじゃないだろう。
家から駅に向かうときに通る公園には、昼前だというのにすでに出来上がっている大人たちが大勢いた。
花見とはえてしてそういうものだと思っていたので、そんな彼らの姿に疑問を抱いたりはしなかった。

だが、家の花見はそういう類のものとは次元が違っていた。
見事な枝ぶりを見せる桜の下には、ビニールシートの代わりに野点が用意されており、呆れるほど広い庭にはガーデンパーティーの如く沢山のテーブルがセッティングされている。
糊の効いたクロスは一点の染みも許されないような純白で、その上に並べられた食器は当然マイセン、バカラ、そしてウェッジウッド。
太陽の光を浴びて輝く銀器は、クリストフル。
テーブルに並んだ料理は、家専属シェフが腕を奮った豊富なオードブル。
そして広い庭のあちこちで優雅に談笑している、紳士淑女の方々。
どこかの園遊会に紛れ込んでしまった錯覚を覚えてしまうのも無理はない。

ここは花見客で賑わう都内の公園なんかではなく、日本でも有数の大財閥家が開く『桜風会』の会場なのだから。

「何で俺こんなところにいるんだろう…」

恨みがましいため息が漏れても、俺に罪はないだろう。

鳳長太郎、13歳。
先輩の家の庭で迷子になりました(ありえない)。



家の門をくぐった時には、確かに俺は先輩達や日吉と一緒にいた。
案内されるまま広い敷地を進んで、咲き誇る桜とそこに広がる光景に思考が凍りついた。
先輩達は慣れているのか、主賓であるさんの祖父母と両親に挨拶をすると、ドリンクを取りにその場を離れた。
俺はと言えば突然のことに何を話したのか、まったく覚えていない。
ただ、さんのお母さんの微笑に見惚れていて、宍戸さんに足を踏まれたことくらいしか記憶にない。
そして姿が見えないさんを探すべく歩き出した先輩達の後についていったはずなんだけど…気がついたら誰もいなかった。
あんまりだ。
そりゃ確かにありえない状況だったし、ちょっとだけ意識がぶっ飛んでたかもしれないけど、まさか可愛い後輩を置いていくなんてひどすぎる。
そして適当に歩いてたからここがどこなのかわからない。

「…日吉までいないなんて…冷たい…」

さんの家には何度かお邪魔したことがあるし、その規格外の広さに度肝を抜かれたことも記憶に新しい。
明治時代に建てられた洋館を改築したというとんでもない広さを持つ屋敷は、重厚な雰囲気を残しつつも洗練されたデザインの建物だ。
そして、そんな屋敷を構えるにふさわしい、広大かつ優美な庭園。
屋敷の南に広がる庭園は花を好む当主夫人の趣向からか、上野公園の桜もかすむほどの桜の木が植えられている。
ぱっと見た感じではよくわからないけど、実はそのほとんどは種類が違う。
桜といえば染井吉野くらいしか知らなかった俺だけど、そういわれてみれば花弁の開き方も大きさも色も、それぞれ特色があって面白い。
それだけの種類が一斉に揃っているのに、不思議と調和されていて見事としか言いようがない。
上空を見上げると、頭上を覆う満開の桜が、まるで薄桃色の雲のようだ。

『家の桜が満開なんだ。日曜日にみんなで遊びにおいでよ』

全校の憧れの的であるさんにそう誘われて、頷かない人間なんて氷帝にはいない。
知り合ってまだ1年に満たないけど、容姿・家柄・性格すべてにおいて文句のつけどころのないさんは、テニス部部長の跡部さんと並んで知名度は高い。
名家の令嬢令息の多い氷帝でも別格の存在。
そんなさんと知り合いになれたことは、もしかしたら俺の人生で最もラッキーなことなのかもしれない。
偶々入ったテニス部の先輩で、偶々一緒に自主練していた先輩がさんの友人で、その後誘われるまま一緒に練習するようになって、気がついたら行動を共にするようになっていた。
さんは跡部さんとは違った意味で近寄りがたい雰囲気の持ち主だけど、話してみると全然そんなことはなく、むしろふんわりとした空気を醸し出すさんと一緒にいるのはひどく居心地がよかった。
一緒に練習するようになってからは、的確なアドバイスのお陰でテニスの実力は段違いに上達して、2年生になったら正レギュラーに選ばれた。
周囲からは妬みや嫉みの中傷も少なくないが、そんなことは全然気にならない。
だって、俺が一緒にいたいんだから。

目の前の桜はひどく幻想的で、一瞬見知らぬ世界に迷い込んでしまったような錯覚を起こさせる。
盛りを過ぎたら潔く散っていく桜の花弁が、ひらひらと頭上に降りかかってくる様は、見ていて切なくなる。
来年になればまた同じ姿を見せるとわかっているのに、そんな光景がひどく綺麗でそして儚い。
どうしてだろう。
こんなにも綺麗な光景なのに、胸が痛くなるのは何故なんだろう。
目をそらすことができず、しばらく立ち止まって桜の降る音を聞いていた。


「おや、そこにいるのはどこの小市民だ?」

棘だらけの言葉で、現実に引き戻された。
声のした方向を振り向けば、そこには俺より少し年長であろう男が2人、木の幹に凭れかかって俺を見ていた。
明らかに見下してるとわかる視線。
どこか人を小馬鹿にしたような態度。
俺のことを心配して声をかけてくれたとは、到底思えないその傲岸不遜ぶりに内心の不快さを押し隠して視線を向けた。
態度はでかいが背は低い。
俺よりも15センチほど低い彼らは着ている服こそ一流ブランドだが、中身はメッキどころか吹けば飛ぶようなハリボテにしか見えない。

「ここはさ、選ばれた者だけが来ることのできる場所なんだよね。どうやって入り込んだのさ」
「今なら黙っててやるから、さっさと消えろよ。場違いなんだよお前」

向けられる敵意に、彼らは俺のことを知っているのだと確信する。
どこで知ったかは知らないし、それは大した問題じゃない。
家に近づこうと思っている人はそれこそ山のようにいるし、その子供がさんと知己になろうとしているのも知っているから。
こういうやっかみは別に今に始まったことじゃない。
俺は息を吸い込んで、彼らへと一歩踏み出した。
大きく踏み出した歩みに、それまでにやにやと笑っていた表情が一変する。
俺の身長は180センチを超えてるし、毎日テニスで鍛えてるから体格だっていい。
それに引き換え目の前の男達は平均的な身長で運動もあまりしないのだろう、ひょろりとした貧弱な身体だ。
もし俺が手を出したら、多分簡単に殴り飛ばされてしまうだろう。
そんなことはするつもりはないけど。

「すみませんが」
「なっ…なんだよっ…!」
「選ばれた者って誰のことですか?まさか貴方達のことじゃないですよね?」

至近距離から2人を見下ろして、俺は小さく笑った。

「貴様…!」
「見ず知らずの人に消えろと言われて、誰がその通りにすると思いますか。俺は自分の意思で今日この場所に来たんです。貴方達に指図される謂れはこれぽっちもありませんよ」

そう、俺が家に来ることを決めたのだ。
余計な人間の指図は受けない。

「庶民が恥をかく前に親切に教えてやれば調子に乗りやがって…」


「氷帝に入学できなかった奴が、随分偉そうな口をきくじゃねえか」


聞きなれた低い声。
口調は不遜なのに、それが目の前の男達みたいに耳障りじゃないのは、それに見合うだけの実力を持っているからなのか。
アルマーニのスーツ姿が、しっくりと似合っている。
同じブランドでも着る人が違うと、まったく別の服になるといういい見本が目の前にあった。

「それで?」

怜悧な視線で相手を一瞥し、それだけで彼らが萎縮していくのがわかる。
見知らぬ俺1人なら何とかなると思っても、跡部景吾という人物には何も言えないのだろう。

「氷帝の編入試験を3年連続で落ちた貴様が、うちの後輩に何をアドバイスしてくれるって?」
「俺達は…このガキ、いやこの彼に…身分相応のことを教えようと…」
「それを言うなら分相応だ。中学生レベルの国語も分からないような奴にアドバイスされるほど、こいつは落ちぶれちゃいねえんだよ。消えろ」

冷ややかに言い捨てて、跡部先輩は視線を上空に向ける。

。てめえもとっとと降りてきやがれ。高みの見物してんじゃねえよ」


言われて上空を振り仰ぐと、目の前の木からさんが飛び降りてきた。
見事に音も立てず着地したさんは、随分と長い時間そこにいたのだろう。
頭上や肩に積もった花びらを軽く手で払って、俺に笑いかけた。

「やあ、長太郎。いらっしゃい」
さん?…何で木の上に?」
「ちょっと休憩」

おどけたようにそう言って、さんは目の前の2人に向き直った。
鮮やかな青灰色の瞳が、一瞬だけ剣呑にきらめくのを俺は確かに見た。

「どなたのご子息か知りませんが、僕の大事な友人に何か御用ですか?」

そう言ったさんの顔には、綺麗だけど明らかに作ったと思われる社交的な笑顔が浮かんでいた。


  • 06.03.26