全国大会が終了した。
それに伴い3年生は引退となる。
全国大会ベスト16という輝かしい実績を、引退する先輩に残すことができたのは上出来だと思う。
前部長の指名により、俺が部長職を引き継ぐことになった。
大会が終了したとは言え、今後の練習内容などやらなければならないことは山積しており、俺はここ数日まさに寝る暇もないほど多忙を極めていた。
だからだろうか。
一息つくつもりでソファーに座った途端。
猛烈に襲ってきた睡魔に、俺は意識を奪い取られていくのを感じた。
どれだけ時間が経ったのだろうか、気がつけば日はすっかり傾いていた。
練習はすでに終わっている時間だ。
だが部室に誰の姿も見えないということは、帰ったのだろうか。
不覚にもまったく気付かなかった。
散乱していた書類が机の端に几帳面に片付けられているのは、おそらくの仕業だろう。
人の荷物を片付けようとするのは、この部室を使う奴ではと樺地しかいない。
だが、樺地は今日は親戚の法事で部活を休んでいる。
滝という可能性も考えられるが、散乱した書類に文句を言うことはあっても無言で片付けてくれるほど親切じゃない。
となると残されたのはだけだ。
いつの間にかテーブルに置かれているアイスティーに口をつけた。
冷房がきいているとは言え、作られてからしばらくの時間が経過してしまったそれは氷が溶けて幾分味が薄くなってはいたが、ミントの香りが口中に広がり清涼感をもたらしてくれた。
ふと水音が耳についた。
「?」
シャワールームからか?
誰かまだ残っていたのか。
立ち上がってシャワールームへと続く扉を開けると、そこにいたのはだった。
着替えの途中らしく、上半身は裸のままだ。
髪から伝わる水滴が、肩に落ちていく。
「景吾、起きたんだ」
は俺に気付くと、そう言いながらまだ濡れた髪を拭おうともせずにシャツを羽織った。
さりげなく隠したつもりだろう。
だが、違和感を感じるほど不自然なの行動に、騙されてやるほど俺の目は節穴じゃない。
袖を通そうとしていた腕を掴むと、驚いたように俺を見た。
「景吾…?」
普段見ることのないの素肌。
滑らかな女性よりも白いその肌は、筋肉がつきにくいのか相変わらず細い。
この細い身体からあれほど力強いサーブが打てるとは信じられないほどだ。
だが、気になるのはそんなことではない。
の白い背中。
その左の肩甲骨に、細く残る白い線。
おそらく刃物による傷だろう。
「これは、何だ……?」
問う声がかすれる。
争い事とは無縁な位置にいる。
無垢とも思えるほど素直な人柄は、およそ誰かの恨みを買うようには思えない。
その背中になぜこんなものがある?
今更になってが周囲に肌を見せないようにしていたことに気がついた。
着替えの時も目立たないように背中を隠す。
シャワー室に誰かがいると入ろうとしなかった。
海に泳ぎに行ったときも、必ず上着を着ていた。
肌が弱いのだと、その言葉を何の疑問もなく受け止めていた自分が腹立たしい。
まさかその背にこんな秘密があるなど、思いもしなかった。
「……」
は少し困ったように微笑った。
「これは僕の罪の証。大切な人の未来を奪った、その代償」
罪?
未来を奪う?
言葉の意味が理解できない。
否、理解を拒否しているといったほうが正しい。
何が一体の罪になると言うのだろうか。
が小さく笑んだ。
それは諦めのようにも思える、切ない笑みだった。
「知らない、ということも罪なんだよ、景吾」
大人びた顔の。
こんなは初めて見た。
何かを言わねばと思う。だが、喉が張り付いたように声が出ない。
出たとしても一体何を言おうというのか、それすらも分からない。
慰めの言葉も言えず、かと言って詮索などできるはずもなく。
自分が情けない顔をしている自覚があった。
「もう痛みはないんだ」
そう言っては自分の肩にそって手を触れる。
その仕草はあくまで優雅で、だから一層信じられない。
の言葉の意味が。
「いつかは話すかもしれない。でも、詳しい話はまだ出来ない。ごめん」
その表情はわずかに曇っており、おそらくの中でまだ気持ちの整理が出来ていないのだろう。
そっと傷痕に触れる。ぴくり、と細い肩が反応したが、制止の声はなかった。
背中に残る白い痕。
醜い痕になっているわけではないが、片翼を失った痕のようで、見ていてひどく痛々しい。
本来なら誰にも知られたくなかったであろう、傷痕。
俺に知られたことも不本意なのだろう。
だがは俺に見るな、とは言わない。
それはの優しさなのか、強さなのか。
「…本当に、痛くないんだな」
「景吾に嘘はつかないよ」
「それなら、いい」
「景吾?」
他人のプライバシーを詮索するつもりはなかった。
それが親友であっても。いや、親友だからこそ。
勿論気にならないといったら嘘になる。だが、が答えたくないのなら無理に聞き出そうとは思わなかった。
話せない過去の一つや二つ、誰だって持っている。
すべてを曝け出してこそ本当の友人、などと言うつもりは毛頭ない。
が辛くなければ、それでいい。
「お前の過去など関係ない。俺が知っているのは今の。それで十分だ」
柄にもないことを言ってしまった自分に気付いて、俺は壁にかかっていたタオルをの頭に放り投げた。
「それより早く着替えろ。いくら夏だからって、いつまでも濡れたままでいたら風邪を引く。とっとと支度して帰るぞ」
気恥ずかしさを隠すように不機嫌な顔をしているのに気付いたが安心したように笑った。
「寝過ごしたのは自分のくせに」
「あ〜ん、何か言ったか?」
「別に」
蜩の声が聞こえてくる。
もうすぐ夏が終わる。