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逆鱗に触れる


その光景を見て、天使の微笑が凍りつく。
息を呑み、そしてその瞳を剣呑に光らせた。
それは一瞬の変貌。





最近めっきり足が遠のいたスクールに、久しぶりに顔を出すことになった。
メンバーは忍足、向日、滝、宍戸、鳳、樺地、日吉。そしてと俺の9人。
久しぶりにスクールに顔を出さないといけないと思っていた俺達に、当然のようにくっついてきた忍足、向日、滝の3人。そして門前で偶然出会った鳳と日吉にが声をかけて、この大所帯になってしまった。
どうせスクールと言ってもコーチから指導を受けるわけでもなく自分たちで試合をするだけなのだから、何人いようと問題はないだろう。
言って帰るような連中じゃないしな。
こいつらの目的がとの試合なのは明白だからな。
との試合は多くのものを吸収できる良い機会だ。
観察眼は言うまでもなく、的確なアドバイスとそれを補うための練習相手としては、スクールにいるどのコーチよりも適している。
百球打てば百球同じ場所に返せるほどの制球力は、誰にも真似できるものではないだろう。
だから皆と試合をしたがる。
当然その中に俺も含まれているが。

空いているコートに行こうとしていたとき、鋭いスマッシュの音と悲鳴が聞こえた。

「何?」

声に反応したが足を止める。
ついで聞こえてきた笑い声に、の表情が強張った。
声のした方を見れば、大学生らしき男たちがコート上で何やら騒いでいる姿が見えた。
その光景は、一言で言うなら異様。
コートにいるのはラケットを持たない人物。全身に打撲の跡があるのが少し離れている場所からも伺える。
そしてその反対側にいるのは、4人の男。
全員がボールを持ってサーブの構えをしている。

「くそくそ!何だよあれ!!」
「いじめやん、大人げないわ」

向日と忍足が嫌悪の表情を浮かべる。
たった1人でコートに対峙する男の手に、ラケットはない。
取り落としたわけでも弾き飛ばされたわけでもない。
コート上のどこにも見当たらないということは、最初からラケットを持ってコートに入ってないということだろう。
1対4という状況。ラケットを持たない相手に対して至近距離からサーブを叩き込む、その卑劣な行為。
泣き叫び逃げ惑う相手に対して浴びせられる嘲笑と罵声。
中央にいる男には見覚えがあった。
コートで喫煙をする、無断で他人のコートを使用する、無断で飲食をしてゴミを散らかしていくなど、およそマナーが良いとは言えない男。
確か、吉村とか言っただろうか。父親がこのスクールのオーナーだとかで、コーチ陣も強く出られないという話を聞いたことがある。

「下衆が…!」

これを見て不快に思わない奴なんているのだろうか?

「何てこと……」

が息を呑む気配がした。
その声が震えている。
他人を傷つけることをひどく嫌うに見せるものではない。

「見たらあかん、……?」

忍足がの様子に気付いて視界を遮ろうとして、不意に動きが止まった。
その表情が見るまに強張っていく。
原因がにあるのだと思い振り返った俺は、その表情が変わっていく様を見た。
穏やかな顔から表情が消え、残されたのは一目見ただけで凍りつくような眼差し。

「Ican'tunderstandit」
?」

俺の声も耳に届いていないのか、は背負っていたスポーツバッグからラケットとボールを取り出すと、2〜3度バウンドさせラケットを構えた。
コートではリーダー格らしき男がサーブを打とうとボールを放り投げたところだった。
男が打つのとほぼ同時にもサーブを放つ。
頭を抱えて逃げようとしていた相手にぶつかる前に、そのボールはのボールに弾き飛ばされた。
コート内の奴らが、呆然と俺達を見た。
飛んでいるボールに当てることなど、簡単にできることじゃない。
ましてや鳳ほどとは言わないまでも、それなりのスピードで放たれたサーブだ。
それをはいとも容易くやってのけた。
奴らへと歩み寄り、そして冷ややかに言い放つ。

「随分とくだらないことをする」

その声はひどく低い。
の眼差しに射竦められていた4人が、その声で我に返ったようにいきりたった。

「あぁっ!?何だテメエは?」
「ガキが生意気言うんじゃねえよ!!」
「俺達に指図しようなんて、10年早いんだよ!!」

だが、そんな罵声を投げてきた3人は、の一瞥を受けて沈黙する。

「Areyououtofyourmind?」

流暢な英語がの口から発せられる。
今まで一度としてが普段の会話で英語を使うことはなかった。
咄嗟の時には使い慣れた言葉が口をついて出るというから、やはりにとって英語のほうが馴染みが深いということだろう。
それだけの怒りが深いということだ。
ただ1人、リーダー格らしき男はの視線に怯んだものの、その虚勢を崩すことはなかった。

「邪魔するんじゃないよ、お嬢ちゃん。それとも何か、お前が俺たちの相手をするっていうのかい?」
「無理無理、オジョーチャンには反応すらできねーよ」
「そうそう、彼氏に守られて大人しくしてな」

下卑た声にの眉がぴくりと跳ね上がる。
俺達の周囲を取り巻く空気が一気に下がった。
よりにもよってを馬鹿にすると言うのか、この男達は。
顔色を変えて飛び出そうとする鳳と向日を制したのは、だった。

「でも、さん……」
「そうだよ、あんな奴ら相手にが出ることないよ!」
「ありがとう、長太郎、岳人。でも大丈夫だから」

小さく笑みを浮かべて2人を安心させると、視線をコートに戻す。

「あんなテニス、僕は認めない」

毅然と、そう言い放った。
無言でコートに入ると、は足を怪我したらしく座り込んだまま動かない男に手を貸し、コートから出させた。
滝と鳳が手当てを始める。
足首がひどく腫れているが、捻ったせいだけではないだろう。

「サーブ、もらうよ」

落ちてきたボールを拾い上げ、はサービスラインに立つ。


の怒りの深さは、試合内容から十分分かった。
普段からは想像もつかない、攻撃的なテニス。

「容赦ねえな」
「あんな、初めて見た」

宍戸と滝が冷や汗を浮かべている。
無理もない。俺だってこんな冷酷なテニスをするなんて初めて見た。
相手の苦手なコースは一切攻めず、敢えて得意だと思われるコースを狙っている。
体格も年齢も相手より劣るのワンサイドゲームにプライドを傷つけられた相手は、それでも見せ付けられる力の差になす術がない。
一度の顔面めがけてスマッシュを打ってきたが、はそれを簡単に返すと逆に相手の足元にスマッシュを叩き込んだ。
ジャッジによる不正を防ぐため、ライン上を狙った球はすべてスピンをかけてラインの上で止まらせる。
3ゲームをラブゲームで連取されれば、さすがに相手の顔色もなくなる。
圧倒的な実力。
これがの本当の力なのか。
試合は10分を経たずに終了した。


汗一つかいていないに対して、相手は息も絶え絶えだ。
は静かに男を見下ろしている。
その瞳に先程の怒りは見えない。
ただ、痛ましそうに相手を見るだけだ。

「テメエら、このスクールで2度とテニスが出来ると思うなよ!!」

男は切れ切れの息の間から、そう叫んだ。

「俺の親父はここのオーナーなんだ!テメエらを出入禁止にすることくらい、簡単なんだよ!!」

今まで培ってきた自信が崩れてしまっては虎の威を借る以外に、自尊心を保つ方法がないのだろう。
未だに叫び続けている男の姿は、醜悪を通り越していっそ哀れだ。

「テニスは、人を傷つけるスポーツじゃないよ」

は哀しそうに、そう言った。
男は持っていたラケットをめがけて投げつけた。

「ふざけやがって!!」

回転しながら飛んでいったラケットは、咄嗟に飛び出してを庇った日吉の腕に当たった。

「日吉!!」
「…大丈夫です」

音と共に低く呻いた日吉の姿に、とうとうがキレた。

「Getout,here!!」

鋭い一喝。
誰もがその場から動けなかった。
そして、後方から大人たちの姿が見えた。
遅いんだよ。
血相を変えて飛んできたのは、ここのオーナーだ。
馬鹿息子の擁護をするつもりだったのだろう、俺達を見る目は険しかったが、コート上にいると俺の存在に気付いて顔色を変えた。
「これは……跡部様と様…?それにご学友の方々まで…。うちの愚息が何か失礼でも?」

「親父……?」

中学生相手に低姿勢な父親の姿が信じられないのだろう、随分情けない顔をしている。

「オーナーなら、息子にテニスのルールくらい教えておくんだな」

俺の言葉に、オーナーは慌てて息子を振り返る。
散らかったベンチ、傷だらけになった連れの男。
放り投げられたラケット、赤く腫れた日吉の腕。
それらが何を意味するか、さすがに分かったのだろう。

「申し訳ありません!!」

オーナーは床に頭がつかんばかりに謝罪した。
子供の不始末は親の責任なんて言葉は、未成年までに適用される言葉だと思っていた。
大人になってからも親に迷惑をかける奴はいるんだな。
まあ、こんな息子に育てたのは確かに親の責任だろう。

世の中には怒らせてはいけない人間がいるのだ。
そして、普段穏やかなをあそこまで怒らせたこの男の罪は重い。
しっかりと償ってもらおうか。


  • 05.03.30