「2週間も期限があったのに、どうして何もしてないの?」
「……」
窓の外は目の醒めるような青い空。
少しだけ開かれた窓からは、そよ風とはまさにこのことと言わんばかりの気持ちよい風が入ってくる。
「いい天気やなぁ」
忍足が窓の外を見て、ぽつりと呟いた。
「本当にね」
同じく外を見ていたが同意する。
一見しただけで高級品と分かる本皮張りのソファーに座り、頬杖をつきながら窓の外を眺めている忍足と。
2人は同じ格好をしているけど、その表情は正反対だ。
は口元に笑みを浮かべている。
そして、忍足は対照的に哀しげな表情だ。
哀しげというより、不満げと言ったほうが正しいかな。
「…楽しそうやな、」
「おかげさまで」
何がおかげさまなんだろうと思わないでもないけど、とりあえず質問はしないでおこう。
はいつも笑顔だから。
はあぁ、と忍足が盛大なため息をついた。
「こんなにいい天気なのに、な〜んで俺らはここにおるんやろうな?」
うん、よい質問だね忍足侑士くん。
ちなみにここ、とは家の応接間のこと。
「それはね…」
僕が答えようとすると、それより早く跡部の声が響いた。
「どっかの馬鹿者共が、レポート提出し忘れたからしかねえだろう」
はい、正解。
この場にいる全員がわかりきっている答えをどうもありがとう。
「滝、お前俺様に喧嘩売ってんのか?」
「まさか、僕もこの状況を甘んじて受け入れているわけじゃないってことだよ跡部」
そう、この場にいる全員(元凶2名とを除く)は、誰一人として納得はしていないのだ。
今のこの状況に。
事の起こりは、今から1時間前。
今日はテニス部の練習がオフの日で、いつものメンバー全員が特に用事もないということもあり、どうせならどこかに遊びに行こうかという話になったんだ。
遊びに行くと言っても所詮は中学生。遠出をするわけにもいかず、結局は近くのテニスコートで皆で試合をするというパターンになるんだけど、今日は久しぶりに跡部とも一緒に行くことになってたから、実は放課後になるのが楽しみだった。
200人以上いるテニス部員の中でも5指に入る実力者である跡部とは、オフの日も先輩たちにミーティングや練習にと駆り出されることが多く、僕たちと一緒に行動できることはあまり多くない。
今日は本当に珍しく予定が入らなかったようで、もみんなと遊ぶのを楽しみにしていた。
もっとも僕たちの方が2人とテニスできるのを楽しみにしてるのは言うまでもないけど。
HRも終わってさあ帰ろうと昇降口に向かおうとした矢先、岳人とジローの2人が偶然通りかかった古典の先生に呼び止められた。
「お前達、レポートがまだ出てないぞ。今日一日待ってやるから早く持ってこい」
先生のこの一言で、僕たちの計画が音を立てて崩れたのだ。
古典のレポートと言えば、2週間も前に出された課題のことで、『どの作品でもいいから古典文学を1冊読んで、その時代と現代の違いをまとめる』というものだ。
時間がかかるのが分かっていたので、先生も2週間という猶予を与えてくれた。
僕たちは当然提出をしていたんだけど、どうやら岳人とジローは提出していなかったらしい。
課題の提出日を忘れていたのか、それとも存在自体を忘れていたのか、『ムンクの叫び』のポーズで固まる岳人と、何を言われたのか理解できていない様子のジローを見て、先生は全てを悟ったらしい。
ため息をつきつつも、特別に提出期限を1日延ばしてくれた。
でも、今の今まで何もしていなかった2人が明日までに課題を提出できるかと言えば、その可能性は限りなくゼロに近かった。
面倒見のよいがそんな2人を放っておくことなど出来るはずもなく、結局僕たちは全員で家にお邪魔して、2人のレポートの手伝い兼監視をしていた。
に泣きつくなんて、やるねえ。
岳人とジローも頭を使ったってことだろう。
確かにこのメンバーで以外に協力してくれる人はいないだろうしね。
1人を陥落できれば、他のメンバーももれなくついてくるし?
上手くいけば課題も手伝ってくれるかなとか思ってたのだろう。
でも。
それで課題を手伝ってあげるほど、は甘くない。
書庫からいくつか本を持ってきて題材を選ばせると、後は自力でやるようにと笑顔で告げた。
ということで現在2人は必死になって資料と格闘している。
それにしても、さすが家ライブラリー。
学校の図書館なんて比べ物にならないほどの資料が揃っている。
天井まで届く高さの本棚に、びっしりと本が並んでる。
ざっと見ただけでも日本語英語フランス語ドイツ語などの背表紙があって、ジャンルの広さを物語ってる。
置いてある本も100や200じゃすまない。1万は軽く超えてるだろう。
全部読んだ人って、いるのかな。いたら尊敬するよ。
さらに日本語の本が置いてあるところには、紙を紐でくくっただけの古い本まで置いてある。
これって、和綴本って言うんだっけ?
綺麗な毛筆で書かれてるってことは、当然印刷じゃないってことだよね。
歴史的価値があるんじゃないだろうか。
そんな本がゴロゴロ置いてある家っていうのも凄いよね。
本当にさすがとしか言いようがない。
「そういえば、跡部とは、何を題材にしたの?」
宍戸は『奥の細道』で僕は『徒然草』だった。ちなみに侑士は『枕草子』。
昔の日常が書かれてるし比較的調べやすいかと思って選んだんだけど、意外と苦労した。
資料というよりレポート形式にまとめるのが慣れてなくて。
「俺は『宇治拾遺物語』だ」
「僕は『今昔物語』」
「また随分とマイナーなものを選んだんやな」
「「面白かったから」」
見事にハモってくれたよこの2人。
跡部との思考回路は普通の人たちとちょっと違うからなあ。
教科書にも出てないような作品を題材に選ぶあたり、普通じゃない。
きっと内容も僕たちには理解できないんだろうな。
この2人のIQっていくつくらいなんだろ?
それにしても……。
「飽きた〜」
「目が疲れたC〜」
まだレポート1枚目すら書き終えてないというのに、すでにやる気が見えないこの2人。
誰のためにここにいると思ってるんだろう。
大体ね、2週間も前に出されてる課題に手をつけてないっていうほうが悪いんだよ。
2週間という期限の意味、わかってるのかな?
1日や2日じゃ到底終わらないものだってことなんだよ。
本当なら放っておいたって、全然構わないんだよ僕は。
むしろ放っておきたい。
折角と試合できると思ってたのに…。
部活中だと正レギュラーと準レギュラーは練習場所が違うから、の試合してるところなんて滅多に見られないし、対戦なんてもっての他。
のプレイスタイルは綺麗で上手い。
まったく無駄のない動きは、見ているだけで勉強になる。
まるでお手本のようなそのテニス。
今回は思う存分見れると思っていたのに……。
この2人、どうしてくれようか?
「滝、滝、顔が怖いよ?」
が僕の顔の前で手を振って、それで正気に戻った。
いけないいけない。つい物騒な考えが頭をよぎっちゃったよ。
の前でそんなことできないじゃないか。
「ごめんね、ちょっと理不尽さを噛み締めちゃってたよ」
が淹れてくれた紅茶を受け取りながら、僕は笑いながらそう言った。
って言うか、ちょっと自棄?
は少し困ったように笑った。
「不本意なのは分かるけど、もうちょっと待ってあげようよ。ね?」
優しいなぁ。
「がそう言うんなら、もう少しだけ待ってみるよ」
「ありがとう」
がふわりと笑った。
でも、お礼を言うのならじゃなくて、後ろの2人のほうだろう。
僕がちらりと見ると、意図がわかったのか岳人が不機嫌そうに眉をひそめた。
「俺だって、好きでやってなかったわけじゃないんだよ!」
「そうだそうだ〜、終わらなかっただけだも〜ん」
……。
頭の奥でプチ、と何かが切れる音がしたような気がする。
「うるさいよ、お子様’s。何一つ調べてなかったくせに、口だけは一人前だね」
「お子様言うな!!」
「13歳はお子様じゃないC〜。中学2年だよ」
「お子様はお子様だろう。2年にもなって課題一つ満足にできないなんてさ。オ・コ・サ・マ」
「むきー!!」
「そんなことより、あと30分で終わらせないとどうなるか、わかってるよね?」
「滝…黒いなぁ……」
「黒いですね……」
「滝はと試合するの楽しみにしてたからな」
「俺…滝先輩だけは怒らせないようにします」
「そうしとけ」
「フン、あいつらのは自業自得だ」
「このお茶美味しいなぁ。ロイヤルミルクティー言うんやっけ?」
「キャンブリックティーだよ。蜂蜜入り」
「お茶だ〜、休憩きゅうけい〜」
「さっきから手が休んでる人は休憩する必要ありません」
「滝、おーぼー!」
「長太郎、そこのサンドウィッチ取ってくれ」
「はい、どうぞ」
「景吾、アップルパイ食べる?」
「あぁ」
その後、なんとか30分以内にレポートが終了した(させた)ので、皆で家の専用テニスコートでテニスをした。
時間は短かったけどと試合できたし、一応は満足。
岳人とジローは精魂使い果たしたようで、テニスする体力まではなかったみたい。
残念がってたけど、同情の余地なし。
これで懲りてくれればいいんだけど。
ちなみに2人が提出したものは、レポートとは名ばかりの読書感想文だったらしい。