頬を伝う透明の雫。
同じもののはずなのに、
なぜ、こんなに綺麗なのだろう。
の飼っていた猫が死んだ。
額に一筋黒い色が入っている以外真っ白だった小さな子猫。
生後半年も経っていないだろうその猫は、先週が拾ってきた猫だった。
テニススクールへ寄った帰り道。
普段車で送迎されていた道を歩いて帰ることにしたのは、ほんの偶然だった。
さして交通量の多くない道を一本それた脇道に、それはいた。
弱々しい鳴き声に気付いたのは、当然のことながらだった。
バイクの陰に隠れて震えていた小さな猫。
ひどく衰弱していた。
白い毛並みは薄汚れて、の手に抱き上げられてもぐったりとして岳人の撫でる手にも反応しない。
一目見て駄目だと思った。
この猫を拾って帰ったらは絶対に傷つく。
だが必死に子猫の身体を温めようとするに、誰がそんなこと言えるだろう。
自分の懐にいる小さな生命を愛おしそうに抱きしめている。
怪我をしているだけなら、すぐに治る。
空腹なら餌をやれば元気になる。
だが、この猫は違うのだ。
病院に連れていけば、獣医に告げられたのは案の定手遅れという一言だった。
自分の力で食事を摂ることもできないほど衰弱した身体。
小さな身体には古い傷がいくつもあった。
おそらく野良猫同士の喧嘩でついた傷だろうが、中には人の手によるものと思われる傷も存在していた。
だが、はその猫を自宅に連れ帰ると言った。
誰もが反対した。
俺達も、そして獣医も。
が辛くなるとわかっていたから。
奇蹟でも起きない限り、この猫は助からない。
そう言われても、それでもは譲らなかった。
「たとえすぐに消えてしまう生命であっても、大切なものだから」
短い時間でも、最後まで面倒を見たい。
決意を込めた強い眼差しと言葉に反論できるはずもなく、は甲斐甲斐しく世話をしていた。
動くことはできなかったが、猫は少しずつ元気になっていった。
に世話をされ惜しみない愛情を受けて回復をしている。
そう思えた。
事態が急変したのは、帰宅直後。
いつもなら部屋に入ると、用意されたベッドの中から顔だけ覗かせてくる猫が、姿を見せなかった。
眠っているのかと思いが近づき、そして動きが止まった。
子猫は眠っているように見えた。
ただ、身体を丸めて眠っているだけだと。
だが明らかに生気のない表情。
だらりと伸びたままの細い腕。
そっと触れると、滑らかな毛触りはそのままだった。
ひんやりとした、熱を持たない身体。
やはり無理だったのだ。
いくらでも、奇蹟はそう簡単に起こらない。
「………かな」
ぽつりとが呟いた。
「?」
「この子は…幸せだったのかな」
「だと思うぜ、俺は」
「こんなに小さいのに、いっぱい怪我もしてたのに、それでも…?」
の視線は子猫に注がれている。
確かに失うには小さすぎる命だ。
だが、それは俺達にはどうすることもできない。
「少なくとも、俺はこいつは幸せだったと思うぜ」
「?」
「お前が拾って、お前が愛情を注いでやったんだろうが。それはこいつにとって救いになると俺は思う」
「景吾…」
不安定に揺らめく瞳が、ひどく切ない。
だから嫌だったんだ。
は生き物全てに等しく愛情を注ぐような奴だ。
今までに飼っていた動物の死に直面したことは何度もある。
その度に傷ついている。
「死」に慣れることなどないのだから。
ったく…。
「景吾?」
「泣きたいなら、気の済むまで泣け。そんな目をされている方が、こっちも居心地悪いんだよ」
「……」
「悲しむのが悪いことだなんて、俺は思わねえよ」
「…傍についていてあげられなかったのに?」
「お前に死に目を見せたくなかったんだろ」
「…」
「こいつだって満足そうじゃねえか、なぁ?」
「……っ」
猫の死に顔は犬のそれに比べて綺麗ではないと聞いたことがある。
だが、目の前のこいつは穏やかで、本当に眠っているように綺麗だった。
に会う前までは、おそらく誰かに愛されるということには無縁だったろう子猫。
こいつがに会えて幸せだったかどうかなんて、考えるまでもない。
この表情がすべて物語っている。
「あとで一緒に埋葬してやろうな」
そう言うと、胸の中のがわずかに頷いた。
- 05.11.27