練習が終わった後、いつものように公園に来ていた。
学校からそう遠くない場所にあるこの公園は、広さのわりに利用者が少ないため結構気に入っている。
公園の一角、広場よりも奥まった場所にあるテニスコートは、昼間は何人か利用している人もいるけど、部活が終わった今の時間にはさすがに人の姿もない。
対戦相手がいるわけじゃないけど、この場所は壁打ちもできるし、サーブの練習もできるということで、俺は最近ほぼ毎日のようにこのテニスコートで自主練習をしていた。
学校のテニスコートも部活がない時間は利用できるようになってるけど、準レギュラーや先輩たちがよく利用しているため、やっぱり入りづらい。
別に入っちゃいけないわけじゃないし、先輩たちが怖いということも(それほど)ないけど、皆レベルが高いからその中に混じって初心者の自分が一緒に練習なんて、とてもじゃないけどできない。
でもやっぱり上手くなりたいから、どこかで練習をしたかった。
家の庭でも素振りとかはできるけど、さすがにサーブ練習とかは無理。
最初は部活が終わってからテニスコートに残って練習してたんだけど、学校だと下校時間を過ぎたら帰らなきゃならないから練習時間は少ない。
どうしようか悩んでたら、2年の宍戸さんがこの場所を教えてくれたんだ。
宍戸さんは準レギュラーで、2年生の中でも目立つ人だ。
というより宍戸さんがいつも一緒にいるメンバーが目立つ。
いつも一緒にいる跡部先輩と先輩は1年のうちから正レギュラー入りした程の実力者だし、他にも一緒に行動している人は皆準レギュラーだ。
皆驚くほど上手い。
特に跡部先輩と先輩には3年生でも勝てる人は少ないらしい。
一度だけ2人が試合しているのを見たことがあるけど、本当に凄かった。
先輩のフォームはまるでお手本のように綺麗で、しなやかに伸びた身体から繰り出されるサーブは抜群のコントロールとスピードを持っていた。
あのサーブを見たとき、思わず見惚れてしまったんだ。
あんなサーブを打ちたいって、そう思った。
宍戸さんは一見恐そうに見えるけど、実はすごく面倒見がいい。
俺にこの場所を教えてくれただけでなく、手が空いているときは練習相手にもなってくれる。
サーブも誰もいないコートに打つのと、対戦相手がいるコートに打つのでは勝手が違う。相手が構えてネットの向こうにいるというだけでコントロールが上手くいかないというのも、宍戸さんが相手になってくれたからわかったことだ。
自分だって練習したいはずなのに、飽きることなく俺のラリーの相手をしてくれる。
お礼を言ったら「自分にとっても練習になるから」って少し照れたように言ってた。
公園に着くと、宍戸さんの姿はまだない。
そういえば部活の後で部長に呼ばれてたから、何かミーティングがあるのかもしれない。
いつもは1年生は片付けとかあるから、俺が来ると宍戸さんは練習をしているんだけど、今日はまだ誰もいない。
軽くストレッチをして、ラケットを持つ。
約束をしているわけじゃないから、いなくても不思議じゃない。
それなら待ってるよりも練習をしていよう。
俺が壁打ちをしようとボールを上に放り投げた。
すると、
「あっれ〜、鳳じゃん」
背後からそんな声がかかった。
落ちてくるボールを片手で受け取って振り向くと、そこには同じテニス部の1年生がいた。
岩田とほかに3人。
テニス部の1年の中でも実力があると言われている4人だ。
特に岩田はリーダー格らしく、何かあると経験者という肩書きをちらつかせて未経験者の1年たちを小馬鹿にしているため、俺はあまり好きじゃない。
「……」
「鳳ってさ、真面目だよな。部活が終わってからもこんなところで練習してるんだ」
「やっぱさ、初心者だから練習しないとなんじゃない?」
「ちょっと練習したくらいで数年の差は埋まらないと思うけどね」
3人はにやにやと笑いながらそう言う。
だが、岩田は何も言わない。ただ、きつく俺を睨むだけだ。
ああ、なんだ。
岩田のその目を見たら、彼らが何のために来たのか想像がついた。
原因は先程の試合。
俺と岩田の試合の結果が不満だったのだろう。
初心者だからと油断していて、あっさりと俺に負けたことを認めたくないのだろう。
すっ、と気持ちが冷めていくのがわかった。
「何の用?」
そう訊ねた俺の声は、多分ひどく冷たかったんだろう。
4人が戸惑ったように俺を見た。
「何の用って…」
「俺、忙しいんだ。無駄な話してる暇ないんだよね」
俺がそう言うと、4人の表情が変わった。
先程までオブラートで包んでいたような敵意をむき出しにし、彼らは俺へと一歩近づいてくる。
「お前さあ、生意気なんだよ」
「そうそう、ちょっと背が高いからって俺たちを見下してさ」
お決まりの台詞に反論する気にもならない。
むしろ見下してるのは自分たちのくせに。
「練習しても無駄だって、わかんないかな。氷帝は200人も部員がいるんだぜ。未経験者のお前がいくら練習したって、レギュラーになれるはずないじゃん」
「そうそう、努力しても無駄ってこと」
「どうせ、3年間球拾いで終わるんだから」
「毎日毎日練習して、それでも報われないなんて可哀想だから、俺たちが親切に教えてやりに来たのに、その言い方ってないんじゃないの?」
口々に何か言ってるけど大人しく聞いてやる義理もないし、何よりも他人の努力を無駄だなんて言い切る人とは関わりたくない。
俺はひとつ息をつくと、彼らに向き合った。
「それで?」
正面から彼らを見ると、意外そうに俺を見る視線とぶつかる。
反論されると思ってなかったらしい。何ておめでたい人たちなんだろう。
身長が高いって、こういうときに便利だ。
威圧感を与えられるというか、はったりが効くというか。
「俺が練習するのは俺の自由なはずだけど?練習しても無駄なんて、君たちがわかることじゃないだろう。先輩や監督に言われるんならともかく、君たちに言われたくらいじゃやめないよ。ああ、それとも…」
そう言って、俺はにやりと笑う。
「未経験者の俺に負けたのが、そんなに悔しい?」
「!」
図星だったのだろう。岩田の顔が真っ赤になる。
岩田は持っていたラケットを俺めがけて投げつけた。
俺が避けると、岩田はそのままつかみかかってきた。
取り落としたボールが、足元を転がっていく。
「初心者がでかい面してんじゃねーよ!まぐれで俺に勝ったからって、お前が上手くなったわけじゃねーんだよ!!」
どこにこんな力が、と言いたくなるくらいの握力で俺の胸元を掴み上げる。
結構苦しい。けど、ここで怯むくらいなら最初から喧嘩は買わない。
「でも、お前は初心者に負けるほどの実力しかなかったってことだろ」
「何!?」
「努力すれば誰だって上達するんだ。どれだけ経験があろうが、そんなのは関係ない!」
「貴様…っ!」
「そこまで!」
岩田が俺に殴りかかろうとするのと、静かな声が響くのが同時だった。
突然の声に、俺たちは慌てて声のする方を見た。
「先輩…」
岩田が信じられないというようにその名を呼んだ。
そこにいたのは宍戸さんと先輩と跡部先輩だった。
ミーティングが終わったのだろう。宍戸さんはともかく先輩と跡部先輩がここに来るなんて初めてだ。
「激ダサだな」
宍戸さんがそう言うと、4人はびくりと身体を震わせた。
彼らにとっても先輩たちは尊敬の対象なのだろう。
特に先輩がいることが、彼らの顔色を悪くさせていた。
普段穏やかな笑みを浮かべている先輩が、今は厳しい表情をしている。
自分達が何をしているかわかっているから、先輩のその視線を受け止めることができないのだろう。
彼らは下を向いたきり、言葉も出ない。
跡部先輩が底冷えのする視線を向けた。
「お前ら、何やってる?」
「えっ…その……」
「何やってるって、訊いてんだよ」
「すっ、すみません!!」
3人が慌てて頭を下げる。
岩田は俺の胸元を掴んでいた手を、脱力したように放した。
そして先輩たちに一礼して、その場を後にしようとした。
その後ろ姿に、先輩が声をかけた。
「岩田に谷口、堤、後藤」
4人は驚いて足を止めた。
俺も驚いた。だって、1年生だけで100人以上いる。しかも入部してまだ1ヶ月だ。
名前を覚えられているとは思ってなかった。
「明日から部活に来なくていいから」
「!」
先輩の言葉に、4人の顔が青ざめた。
「…」
跡部先輩が何かを言おうとするより先に、先輩は言葉を続ける。
「皆一生懸命練習してる。だから上達する。氷帝はそういう人たちが集まってテニスをしているんだ。それがわからない人たちに、ましてやラケットを人に向かって投げるような人と、一緒にテニスはできない」
先輩のその言葉に、彼らはまるで死刑宣告を受けたような顔をした。
彼らだって、テニスを好きじゃないはずなかった。
少なくとも好きだから長年やってきたんだろうし、上達してきたのだろう。
だが、彼らは間違えた。
それを先輩は許せなかったのだろう。
岩田たちは結局反論することもなく、泣きそうな顔で帰っていった。
「怪我はない?」
「あ、はい…」
いつの間に近づいたのか、先輩が俺の顔を覗き込んだ。
青灰色の瞳が、哀しそうに瞬いている。
綺麗だなあと覗きこんでいたら、突然後頭部をぺしっとはたかれた。
「お前も、売られたからって喧嘩を買うなよな。見かけによらず血の気多いんだから」
「だって宍戸さん…」
「だっても何もねえ。こんなくだらねえことで怪我したら馬鹿みたいだろうが」
あっさり一蹴されてしまった。
「そういえば、先輩たちはどうしてここに?」
宍戸さんはわかる。いつも一緒に練習してるから。
でも、跡部先輩と先輩は何でここに来たんだろう。
跡部先輩がちらりと先輩を見た。
先輩は俺を見て、
「鳳に興味があって」
と言った。
「俺に?」
「最近亮が1年生と一緒に練習してるって聞いてね。あの亮が他人と一緒に自主練習なんて珍しいから、見学にきてみたんだ」
景吾はつきそい、って先輩が言ったら、跡部先輩は面白くなさそうに横を向いた。反論しないってことは、本当のことなのだろう。
先輩は今日の試合で分かった俺の弱点をいくつかアドバイスしてくれた。
たった1球打っただけだからわからないだろうと思っていた俺のコントロール力をあっさりと指摘されて、正直驚いた。
何でわかるんだろう?
「鳳はもっと上手になるから、頑張ってね」
先輩は帰り際、そう言ってくれた。
先輩の人を見る目は確かだって言うから、多分お世辞じゃないんだと思う。
すごく嬉しかった。
もっともっと上手くなるんだ。
いつか先輩と試合できるくらいに。