出会いがあれば別れもある。
そんな単純なことを忘れていた。
ウィンチェスター兄弟が氷帝テニス部の特別コーチに就任してから早いもので2週間が経過した。
最初のうちはほとんどの部員がリタイアしていた練習メニューも何とかこなせるようになってきたのは、基礎体力の増加か単なる慣れか。
体格的に不利な岳人は練習後は動くのも辛そうで何度か跡部家の車で自宅まで送られていたが、それ以外の面子は練習後自力で帰宅することはできるようになってきた。
実際よく頑張ったと思う。
最初に彼らから渡されたメニューを見たときは、まさかこれを消化できるとは思わなかった。
当然自分達が上達したいと願って真剣に練習に取り組んだからこその結果なんだけど、人間ってやればできるものなんだなぁ(遠い目)。
感慨に耽りながら朝練に来ると、珍しく跡部ももまだ来ていなかった。
そして特別コーチの姿もまだない。
彼らは一緒に登校してくるから、誰か1人だけ先にきているということはないのだ。
部室で着替えてコートに来ると、忍足と宍戸の姿があった。
「跡部とは?」
「まだ来てないみたい」
「おかしいな。あの2人が遅れるなんて、今までにあらへんかったやろ」
「自主練ならわかるけど、珍しいね。クライヴさん達もまだ来てないし」
「何かあったのかな…?」
「単なる道路事情とかならいいんだけどね」
「そうやな」
呑気に話しながらそれぞれ練習メニューをこなしていた。
結局、彼らは現れなかった。
2年A組は、テニス部人口が多い。
テニス部員が200人以上いるから当然なんだけど、A組だけで正レギュラーが5人いるのは偶然にしてはできすぎだ。
しかもメンバーが跡部・忍足・宍戸・・そして僕なもんだから、クラス編成に際して裏工作が行われたという噂も、あながち冗談じゃなさそうだ。
「何や、遅刻かいな」
忍足が教室内を一瞥して、そう呟いた。
教室にも、跡部との姿はなかった。
「うん…」
嫌な予感がする。
何の連絡もなく2人が朝練を休むことも初めてなら、始業開始10分前になっても登校してこないということも初めてだった。
跡部はああ見えて責任感は強いし、は真面目だ。
遅れるならそれなりの理由を知らせてくるはずだと思う。
それがないのは何か理由があるのではないだろうか…。
「電話してみようか?」
「せやな…」
「大変だ大変だたいへんだーっ!!」
もの凄い勢いで教室に飛び込んできたのは、岳人だった。
肩で息を切らせ、それこそすべり込むという形容詞がぴったりな岳人の態度に、宍戸が不愉快そうに眉を顰める。
「うぜえよ、岳人。何が大変だっていうんだ」
「そうや、岳人。もうすぐ授業が始まるんやで。早く教室に帰りや」
「そんなこと言ってる場合じゃねえんだってば!大変なんだよ!!」
「だから何がや?」
「がイギリスに帰っちゃう!!」
「ほお〜そらまたえらいこっちゃ……って、ホンマか!?」
「どういうことだよ、岳人!?」
「ちゃんと説明してくれる?」
「俺だってよくわかんないよ。さっき職員室に言ったら先生達がそんなこと話しててさ。跡部は午後から登校してくるって言ってたけど、のことは何も言ってなかったし、折角学園に慣れたのにとか話してたから…」
が帰国する?
確かにはイギリスで生まれ育ったし本籍はあちらにあるんだから、いつ戻ってもおかしくない。
でも、そんなこと考えたこともなかった。
だってそんな素振り、一度も見せたことなかった。
宍戸が慌てて携帯を取り出す。
何度かコールして、首を振る。
「駄目だ、通じねえ」
「ほら、やっぱり」
「嘘や…」
忍足が低く呟いた。
「忍足?」
「が俺らに黙っていなくなるなんてこと、あらへん。何かの間違いや」
「俺だって嘘だって思いたいよ!でも、11時の便で帰るって言ってたから間違いないんだってば!」
泣きそうな岳人の声に、忍足が動いた。
半開きだった扉を勢いよく開け放って、全速力で駆け出していく。
「どこに行くんだ!?」
「空港や。今なら間に合う!!」
忍足の声に、頭で考えるよりも先に身体が動いていた。
「宍戸、サボるから後よろしく!」
「俺も!宍戸、腹痛で早退するから先生に言っといて!」
「ちょっ…待てよ!俺も行く!!」
廊下を全力疾走する忍足に追いつくべく急いだ。
どこかで担任の怒声が聞こえたけど、気にならなかった。
成田まで走っていきそうな忍足に何とか追いついて、タクシーに乗った。
「おっちゃん!成田まで大急ぎで頼むわ!」
「君達学生だよね。学校は…」
「つべこべ言わんと、はよ出しや!!」
切羽詰った忍足の関西弁に圧倒された運転手は、金魚みたいに口をぱくぱくさせていたが再度忍足に睨まれて慌てて発進した。
東京の道路事情は結構悪い。
とは言っても首都高に乗ってしまえば意外にも道は空いていて、タクシーの運転手を急かし続けて何とか時間前に成田空港の入口に到着した。
ファーストクラス用のロビーに向かうと、そこに彼らはいた。
「!!」
忍足が大声で叫ぶと、4人が振り向いた。
青灰色の瞳が見開かれる。
「侑士?亮に萩に岳人まで…」
は僕たちを見て不思議そうな顔をしたが、忍足のタックルを浴びて言葉をなくした。
「!何でや?何でイギリスに帰るなんて言うんや!?」
「ゆ、侑士…苦しい」
「何でもっと早う知らせてくれへんかったんや!?あんまりや、突然いなくなるなんて…」
「急に決まったことだから…連絡ができなくてごめんね」
「何で今更イギリスに戻るんや…。来年は全国制覇するって約束したやんか…。何で今…」
「そうだよ、僕たちも驚いたんだから」
「俺、がいなくなるの嫌だよ」
「皆…」
は僕たちの顔をじっと見つめて嬉しそうに笑った。
「大袈裟だなぁ、1週間くらいで」
「……………………………………………………………はい?」
4人が揃ってそう言うと、は不思議そうに首をかしげた。
…つまり、こういうことだ。
現在大学院生のクライヴさんと現役トッププロのウィリアムさんは、周囲に何も言わず日本に来ていたらしく、クライヴさんに大事な論文を任せていた大学の教授やウィリアムさんのスケジュール管理をしているマネージャーさんは、突然消えた2人を躍起になって捜索していたらしい。
まさか海を渡って遠い日本に来ていることなど想像もしていなかった彼らは、一向に連絡がつかないことに業を煮やし、サイアスの家に連絡を取ったのだそうだ。
「お祖母様が怒っちゃって大変だったんだ。すぐ戻ってこないと政府に連絡して強制送還させるとか言い出すし。僕まで怒られたんだから」
ラウンジに場所を移して、がそう説明してくれた。
困った様子のとは対照的に、問題の兄弟は優雅にコーヒーを飲んでいる。
それにしても政府を通して強制送還って…。
サイアスの家はイギリス王室とも深い繋がりがあるということだから不可能じゃないとは思うけど、普通はありえないんじゃないだろうか。
色々と面倒なことになりそうだし。
そう言うと、は首を振った。
「あのお祖母様ならやるよ」
「うん、やるね」
「間違いなくやるね」
相槌を打つ2人。
すごい人なんだ…。
っていうか、それがわかってて雲隠れした2人もすごいと思う。
「それで、何でまで行くの?」
「見張り兼お祖母様の宥め役」
「何やそれ?」
忍足の問いに答えたのはウィリアムさんだった。
「本当にすごい怒っててさ。このまま帰ったらパスポート没収されかねない勢いなんだよ。そうなると簡単に日本に来ることもできなくなっちゃうし、第一遠征にも行けなくなっちゃうしね」
「それに、2人の滞在が長くなったのは僕のためでもあるから、フォローできるならしておいたほうがいいかなと思って」
「が行くとフォローになるの?」
「ものすごく。うちのばあ様はのことを溺愛しまくってるからね」
「こんなに可愛い子だから無理もないけど」
そう言ってのこめかみにキスを落とす。
どこかで女性の悲鳴らしきものが聞こえるけど無理もない。
ラウンジに入ったときから、この団体は周囲の視線を集めまくりだったんだから。
自覚してないのはだけだ。
跡部は不機嫌な顔をしている。
この2人にが同行することを面白く思っていないのだろう。
それでも大人しくしているのは、一族内のことだから口を出すわけにいかないといったところか。
「ホンマに1週間で帰ってくるんやろうな」
「予定では2〜3日で帰ってきたいんだけどね」
それは厳しいかもとは言う。
「もう戻ってこないってことは、あらへんのやろうな」
「戻ってくるよ。僕は氷帝の生徒なんだしね。まだまだ皆と一緒にいたいよ」
「ほんならしゃあないな。がおらへんのは寂しいやねんけど、待ったるわ」
聞きようによっては熱烈な愛の言葉に聞こえる忍足の台詞に気付かないは、嬉しそうににっこりと微笑んだ。
忍足って過保護な保護者というよりはのことを熱愛してる恋人みたいだなと思ったけど、それを言葉にするほど命知らずじゃない。
「…」
「何、景吾?」
「気をつけて行ってこいよ」
「うん、行ってきます」
そう言ってはイギリスへと旅立っていった。
教室で発した岳人の言葉に、氷帝学園中がパニックになっていることを僕達が知るのは、学校に戻ってからのことだった。
- 04.06.24