ふわりと微笑んだ姿。
それは3年前と何一つ変わっていなかった。
徐々に集まってきたテニス部員やギャラリーの目を避けるために、部室へと場所を移した。
世界ランキング保持者という肩書きを抜きにしても、2人の存在は目立ちすぎだ。
鮮やかな銀髪やすらりと伸びた長身は、そこにいるだけで目を奪われてしまう。
1人でも十分すぎる存在感なのに、2人揃うとまさに圧巻だ。
変わっていない2人の姿に、少し安堵する。
部室に入ると、まだ着替え中だった岳人や滝が驚いたように固まった。
ジローはソファで居眠りをしていたけど、クライヴを見るなり飛び起きた。
クライヴがテニス界で活躍していたのは3年前なのに、皆は当然のように知っていて少し驚いた。
「そりゃ、ウィンチェスター兄弟はテニス界でも有名やからな。特に兄のクライヴは引退してからまったく姿を現さなかったさかい、伝説となってる程の人や。まさかこんなところで会えるとは思うてへんやろ。そないな2人が目の前におるんやから、興奮するな言うほうが無理や」
そう言う侑士の目も2人から離れない。
本当に、クライヴを尊敬してるんだ。
「…ごめんね、もっと早く教えておけばよかったね」
僕がそう言うと、侑士は僕の髪の毛をくしゃりとかきまぜた。
「ええよ。が話さへんのは、理由があったからやろ」
「…うん」
温かい侑士の言葉が胸に沁みる。
僕を見るその眼差しがひどく優しい。
多分侑士は以前から気付いていたのだろう。
僕が何も言わないから、あえて訊かないでくれたのだ。
自分の過去と向き合うのが怖くて、僕は自分のことを誰にも話せなかった。
皆のことを信じていないわけではない。
ただ、あの事件を思い出したくなかっただけだ。
僕の短絡的な行動が、多くの人に迷惑をかけた。
何よりも、クライヴからテニスを奪ってしまった。
その事実を、言葉にしたくなかったのだ。
知っているのは景吾だけ。
景吾は何度も言っていた。
僕は1人ではないと。皆が傍についていると。
その言葉通り、皆は僕のことを気にかけてくれていたのだろう。
自分のことしか考えていなかった僕は、そのことにすら気付かなかった。
「…ごめんね」
もう1度謝ると、侑士は小さく笑った。
皆が簡単な挨拶を交わしていると、景吾がやってきた。
どうやら榊先生の用事は2人の来訪を教えるためのものだったらしい。応接室で待っているはずの2人の姿がなかったため探していたのだという。
そんな景吾に悪びれずに微笑みかけるクライヴとウィルの姿に、さすがの景吾も怒るわけにいかないようだ。
小さくため息をついて自己紹介をする。
「なるほど、君があの跡部景吾君か」
「話は色々と聞いてるよ。とか綾子さんからね」
「…母と面識が?」
「綾子さんとは、ロンドンのの家で何度か会ったことがあるよ」
「あの女…」
景吾が小さく舌打ちした。
僕がイングランドにいる時、綾子さんは何度か遊びに来ていたので、クライヴやウィルとも面識があったのだけど、どうやら景吾は知らなかったみたいだ。
でも綾子さんはテニスのことはあまりよく知らなかったから、クライヴの経歴もよくわかってなかったんじゃないかと思う。
僕達もあえて説明しなかったし。
「それで、今回日本に来た理由は、に会うためですか?」
「そういうこと。の日本での生活を見てみたくてね」
「の言う『大切な友達』とやらにも興味があったから」
そう言ってちらりと僕を見る。
何となく気恥ずかしい。
「から色々と聞いているよ。テニスが好きだという話だから、会ってみたいと思ってたんだ」
「一度お手合わせ願いたいね」
「ホンマですか!?」
ウィルの言葉に、侑士が思わず椅子から立ち上がる。
「是非、お願いします」
「えっと、忍足君…だっけ?じゃあ一試合しようか」
「えー!侑士ばっかりずりー!!ウィリアムさん、俺も!俺も!!」
岳人が騒いで、それに皆が便乗して。
結局ウィルはほとんどのメンバーと試合することになっていた。
迷惑かなとも思ったんだけど、楽しそうに笑っているから大丈夫だろう。
1ゲームならそれほど疲れないと思うし。
すると、その様子を見守っていたクライヴが、ゆっくりとソファから立ち上がった。
長い銀髪が背中で揺れる。
「僕は君と試合してみたいな。相手してもらえるかな、景吾君?」
穏やかな笑顔で、そう言った。
一瞬景吾の表情が強張った。
クライヴの引退の理由を景吾は知っているから、その申し出を受けていいものか躊躇しているのがわかる。
「僕が相手じゃ不足かな?」
「そんなことは…。しかし…」
景吾が困惑した様子で僕を見る。
その視線に気付いたクライヴは、優しい視線を景吾に向ける。
「もしかして、から何か聞いている?」
景吾は答えない。だが、その無言の返答がクライヴの問いを肯定している。
クライヴは小さく吐息をつくと、僕の前まで歩み寄り膝を折って視線を合わせた。
「やっぱり、はまだ誤解したままなんだね」
「え?」
誤解?
クライヴはふわりと笑う。
「怪我は本当に大したことはなかったんだ。勿論テニスだって普通にできる。が思っているような、再起不能な怪我にはなっていないんだよ」
「だって、クライヴの足は僕を庇って…」
そう、すべては3年前の事件が原因。
誘拐された僕を助けるため、クライヴは大事な試合を棄権した。
そして犯人から僕を助けるために、クライヴは自分の軸足に大きな傷を負った。
クライヴの左足を抉った大きな傷は、アキレス腱こそ切れていなかったものの、おそらく2度とテニスはできないだろうと言われた。
大したことはないと、自分の足より僕の生命の方が大事だからと。
そう言って笑ってくれたクライヴ。
だが、その後まもなくクライヴはテニス界から引退した。
「あの当時は色々騒がれたけど、僕が引退したのは怪我が理由じゃないんだ」
「え…?」
「、クライヴはサイアスの当主になることに決まってたんだ」
いつの間に傍に来たのだろう。気がついたらウィルが隣に立っていた。
「20歳になったらテニスを辞めて、企業家として勉強に専念すること。それが最初からの約束だったんだ」
「だって、クライヴは成績優秀で…」
「ウィンチェスター家を継ぐだけなら今まで通りでいいかもしれない。でもサイアスの一族を継ぐとなると、そういうわけにはいかない。全企業の実態を把握し、政界財界の要人と渡り合うだけの知識と実力を身につけるには、片手間じゃできないよ」
だからテニスは辞めた。
僕の目を見つめる蒼い瞳は、とても優しい。
嘘を言っているようには思えない。
「だから、のせいじゃないんだよ」
本当に?
「…テニスはできるの?」
目の前の姿がぼんやりとにじむ。
本当にその言葉を信じてもいいのだろうか。
「に嘘をついたことなんてないだろう」
その言葉に、涙が頬を伝った。
「…僕がクライヴの未来を奪ったんだと、そう思っていた…」
クライヴがそっと僕を抱きしめた。
早く教えなくてごめんね、と小さな声が聞こえた。
腕の中で何度も首を振った。
クライヴのテニスが失われてなくて、本当によかった。
それだけで、十分だった。
「ところで、」
僕が落ち着くのを見計らって、ウィルが声をかけてきた。
「クライヴの足が再起不能だなんて嘘をに教えたのは、一体誰なのかな?」
「あの……?」
「不思議だったんだよ。クライヴの怪我は本当に大したことないのに、はテニスを辞めるとか言い出すし。まあ結局撤回してくれたけど、誰がにそんな情報を流したか是非とも聞いておかないとね」
「色々考えもあることだし」
クライヴもそう言う。
考えって…何の?
「それで、誰に聞いたんだい?」
両肩をつかまれて、そう訊ねられた。
笑顔だけど、その目は笑っていない。
顔が怖いんだけど…。
答えたら大変なことになりそうな気がしたんだけど、何となく黙秘を許さない雰囲気だったので黙ってることはできなかった。
「入院してたときのクライヴの担当医からだけど…」
「ふ〜ん…」
「あのやぶ医者ね…」
やぶ医者?
「どうする?」
「どうするって、決まってるだろ」
「え…あれ?クライヴ?ウィル?」
何か背後がおどろおどろしてるんだけど。
というか表情がさっきまでと全然違うんだけど。
「を苦しませるなんて、とんでもないよね」
「本国に戻るのが楽しみだ」
ウィルがそう言うと、クライヴも頷いた。
…忘れてた。
景吾や侑士の僕への過保護ぶりなんて可愛いものにしか思えないくらい、この2人の僕への溺愛ぶりはもの凄いものがあったのだ。
3年間、僕が誤解していた原因を作った人に何の報復もしないはずがなかった。
「あ、あのね…」
「、安心して。悪は滅びるから」
悪って…。
「3年分のお礼はしっかりしておくからね」
…やっぱり。
救いを求めるように景吾に振り返ると、景吾は小さく首を振った。
「悪いのはそいつだ」
……。
名前も知らない先生。ごめんなさい(合掌)。
- 04.06.14