Sub menu


空も飛べるはず 01


立海大との練習試合を翌日に控え、テニス部内は静かな緊張に包まれていた。
先だっての全国大会で大会2連覇を成し遂げた立海大附属が、わざわざ神奈川から氷帝まで練習試合にやってくることがどういうことを意味するか、おそらく知らない奴はいないだろう。
何しろ立海大附属と言えば、関東のみならず全国から対戦希望が殺到しているという噂だ。
立海大から試合を申し込むことは、ほとんどないと言っていい。
それなのに、今回うちの学校へ直々に練習試合の申し出がされた。
考えられることは、ただ1つ。
立海大のエースに圧勝したが目的なのだろう。
跡部ですら苦戦を強いた大会で、はどこか力を加減しているように見えた。
それでも常勝立海大に対して圧勝してみせた。
あの試合内容を見て、驚かなかったのはうちの監督ぐらいだろう。
監督はすべてに超越しているようなところがあるから、もし俺が真田をストレートで破ったとしても驚いたりはしないような気もするが。
1年の時から正レギュラー入りしていたにしては、実際にが試合した回数は数える程しかない。
目立つ容姿のせいもあって、という人物は多くの人に知られたが、実はの実力に関してはあまり知られていない。

だから、知らなかった。
のテニスは、俺たちとは次元が違う。
高校生レベルとか、そんなもんじゃなかった。
あれは、プロだ。
それもトッププロ並の実力。
俺たちも驚いたが、対戦相手の立海大はそれ以上に驚いたのだろう。
今回の練習試合、に対するリベンジなのは必至だ。
他の部員にもそれがわかっているから、跡部とを見る目が違う。

、立海大になんか負けるなよ」
先輩、頑張ってくださいね」

そんな声を、ここ数日でどれだけ聞いたことか。
は本来勝利に執着するタイプじゃないから、こういう声援はあまり嬉しくないだろうとは思うが、状況が状況なだけに無理もない。

「皆真剣だね」

が、感心したようにそう言った。
まあ普通は勝利がすべてだからな。
「そりゃ、こっちも関東大会の雪辱を晴らす絶好の機会だし。期待されてんのはお前だけじゃねえよ。俺らだって同じことさ」

「僕は楽しく試合ができれば、それでいいんだけど」

負けたらレギュラー落ちが信条の氷帝テニス部にいて、勝利に執着しないでいられるのはくらいだろう。

「楽しく試合して、勝てれば最高やけどな。今回は相手が相手やさかい、ちぃときついやろ」
「侑士」

振り返るとそこには忍足がいた。
相変わらず飄々とした態度だ。

「珍しく早いじゃんか」
に相手してもらおう思うて、急いで来たんやで」

の観察眼はかなりなもので、と対戦したがる相手は多い。
基本的に手が空いていればは相手をしてくれるので、との試合は先着順だ。
忍足が急いで来たのも納得がいく。

「もしかして、宍戸が先約かいな」
「いや、俺はサーブの練習をしようと思ってる」
「なら、相手を頼んでもええな」
「うん、着替えたら試合しようか」
「よろしゅう頼むわ。ところで跡部は?」
「さっき榊先生に呼ばれてたから少し遅れるかも。先に練習始めてるようにって言ってたよ」

そんな話をしながら、俺たちはコートへと向かう。



「あれ?」

一番乗りだと思っていたテニスコートに、人の気配があった。
見知らぬ人がラリーをしている。
新入部員だろうかと考えて、すぐにそれを否定する。
ここは正レギュラー用のコートだから、他の部員が使うことはありえない。
氷帝の生徒ではないことは、私服であることからすぐにわかる。
何よりも年齢が違う。随分年上に見える。
どうやって入ってきたのだろうか。
そう簡単に侵入できるほど、氷帝の警備は甘くないはずだ。
何しろ良家の子息子女が多数通っている理由の1つとして、氷帝の警備システムの充実さが挙げられているほどなのだ。
不審者は勿論、学校関係者以外は身分証明証を得知事しなければ、校内に入ることすらできない。

「一体誰だ?」

制止しようといきり立ってコートへ近づいたが、声をかけることはできなかった。
ラリーをしていたのは、どこかで見たような男2人。
長い銀髪を後ろで1つにまとめた青年と、同じく銀髪の青年。
ただしこっちは髪が短い。
髪の長さ以外はよく似た2人は、もしかしたら兄弟だろうか。
驚くほど端整な顔立ちをしている。
だが、驚いたのはその外見だけではない。
軽く打ち合っているようにしか見えないのに、ボールのスピードはものすごく速い。
以前に見た跡部とのラリーもかなりの速さだと思っていたが、この2人は半端じゃない。
プロの試合を見ているようだ。

……まてよ、プロ?

そう考えて見ると、短髪の青年に見覚えがあった。
20代前半だと思うが、その彫刻のように整った顔立ち。
目を奪われるプレイスタイル。
もしかして…。

「ウィリアム・E・ウィンチェスター…」

ATPランキング3位。最も注目を浴びているプロテニスプレイヤー。
日本ではプロテニスプレイヤーはハリウッド俳優ほどの知名度はないため知らない人も多いだろう。
それでもテニスをしていて彼を知らない人は、おそらくいないはずだ。
ということは彼の相手をしている人は…。

「クライヴ・ウィンチェスターや…」

忍足が信じられないというように呟いた。
驚くのも無理はないと思う。
実際俺も驚いているし。
クライブ・ウィンチェスターと言えば、8年前にテニス界に現れて、一躍テニス界のトップに躍り出た天才。
繊細で大胆。芸術とまで謳われた彼のテニスは、見る人すべてを魅了した。
『神に最も愛された選手』と呼ばれた彼の無敗記録は、数年経った今でも破られていない。
3年前突然の引退でテニス界を騒がせたが、彼の口から理由が語られることはなかった。
事故で再起不能だとか強すぎて対戦相手がいなかったとか色々な憶測が流れたが、真相は闇の中だ。
そんな2人が何故?


「『神』と『天才』が何でうちにいるんや?」

目の前に、トッププロがいる。
それは喜びよりも戸惑いを抱かせるのに十分だった。
いくら氷帝が全国区の強さを誇ると言っても、日本人でもない彼らが氷帝の存在を知っているとも思えないし、ましてや学校のテニスコートにいる理由にはならない。
不思議そうに首をひねりつつ、目の前の2人から目が逸らせない。
すると、背後で何かが落ちる音がした。

?」

見るとの鞄が床に落ちていた。
呆然というよりは信じられないというような表情で彼らを見つめている。

「クライヴ…どうして…」

の呟きが聞こえたわけではないだろうが、実にタイミング良く彼らのラリーが終了し、2人が俺たちのほうへ視線を向けた。
あれだけのラリーをしていたのに、息ひとつ乱さないのはさすがだ。
どこかで見たことのある光景。
そうだ。1年前の跡部とのラリーと同じだ。
そういえばプレイスタイルも似ている。
跡部の他者を圧倒する強さは『天才』ウィリアムに。
そしての魅せられるプレイは『神』と呼ばれたクライヴに。
特にとクライヴはまるで同じコーチに教わったかのように酷似している。
何故今まで気付かなかったのだろう。
とウィンチェスター兄弟は、よく似ている。
プレイスタイルは勿論、外見も醸し出す雰囲気もそっくりだ。
伯爵の位を持つウィンチェスター家と、名門サイアス公爵家。
イギリスの貴族は血縁関係が深いと聞いたことがある。
どこかで繋がりがあってもおかしくないと思うのは、俺だけだろうか。

「やあ、
「元気そうだね」

彼らはの姿を認め、優しく微笑んだ。
2人はゆっくりと歩いてくる。
その視線はに向けられたままだ。

「どうして日本に…」

驚きすぎて声が出ないのだろうか。ようやくのことでそう訊ねたは、どこか様子が違っていた。

に会いにきたんだ」
の日本での生活を知りたくてね」
「クライヴ、足…」

軽快にフェンスを飛び越えての前に降り立ったクライヴに、はどこか気遣うように訊ねた。

「あの程度のラリーなら、何の支障もないよ」

そう言ってふわりと笑うその姿は、やはりと同じ雰囲気を持っていた。