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風幻


温度計は35度を示している。
これで4日連続の真夏日だ。
まだ梅雨明けもしてないってのにこの異常な暑さは何なんだ。
滝のように流れ落ちる汗と頭上から照りつける夏の陽射しに、さすがにラリーを続ける気力も体力もなくなる。
膝から力が抜けて倒れそうになったのを機会にラリーを早めに切り上げ、ベンチへと倒れこんだ。
この猛暑に試合をしようとした俺が馬鹿だったかもしれない。
忍足もやってきて、俺の足元にずるずると座り込んだ。

「あっちー」
「かなわんな、この暑さ。何とかならへんやろか。宍戸、タオル取ってくれへん?」
「おらよ」

手探りでタオルを探し、そのまま忍足に向かって放り投げる。
悪いな。手渡す気力もないんだよ。
ふわりと舞ったタオルは、そのまま忍足の頭の上に落ちた。
狙ったわけではないが、我ながらいいコントロールだ。
タオルで顔を隠して、喘ぐように息をつく。
肺から吐き出される空気も、新たに送り込まれる空気も熱を持っていて爽快感はまったくない。
暑さもつらいが、それ以上に湿気がつらい。
全身に薄い粘膜がまとわりつくような不快感は、何年も経験しているが慣れるものではないらしい。
陽射しは日陰に入れば避けることはできるが、湿度は空調の効いた屋内に入らない限り逃れられるものではないので、不快指数は上昇する一方だ。

「お疲れ様」

声とともに頭のタオルが取り除かれ、その代わりにひんやりとした感触が額を覆う。
同時によく冷えたグラスを手渡された。
視界を覆っていたタオルをずらして見ると、それはアイスティーだった。
最近アイスティーに凝っているの本日のドリンクは、どうやらアイスグレープフルーツティーらしい。
琥珀色と黄色が綺麗に二層を作っている。
混ぜてしまうのが勿体ないくらいの出来だ。
簡単そうに見えて、実は2種類の液体を綺麗に分離させるのは意外と難しいのだそうだ。まあ、生まれた時から紅茶と親しんでいるにとっては造作もないことなのだろう。

「あーうまいー」

きんきんに冷えたアイスティーは、灼熱の太陽に照らされた身体に爽快感をもたらしてくれる。
の淹れてくれる紅茶は、どの店よりも美味しい。
作るには数分を要した綺麗なドリンクも、数秒でなくなってしまった。

「はい、侑士も。熱中症で倒れる前に水分補給しておくように」

そう言ってグラスの他にドリンクボトルをベンチの脇に置く。
アイスティーはの趣味で、スポーツ後の水分補給はやはりスポーツドリンクの方が効率がよいということなのだろう。
大量に汗をかいたからグラス1杯の飲み物じゃ足りるはずもなく、躊躇なくドリンクボトルに口をつける。
あー生き返る。

「ここまで暑いと、思いっきり泳ぎたいよな」
「どこでやねん。うちのプールは今日明日は改装中やで」
「…だよな。いっそ跡部の家にでも押しかけるか」
「それ賛成や。水浴びたくらいじゃすっきりせえへんしな。欲を言えば南の島がええけど」
「ハワイとかタヒチとか?」
「沖縄でもええな。いっそのこと海で合宿とかしてもらえへんやろか」

海で合宿…いいかも。
全国大会を前に、毎年準・正レギュラーだけで合宿をすることになっている。
去年はどうやら軽井沢だったらしいが、今年も多分そうなのだろう。
どちらにしろ俺達準レギュラーが口を挟めることじゃない。

「大会が終わった後に皆で行こうよ。モナコに」

いきなりそう言ってきたのは、だった。
相変わらず突拍子もないことを言う奴だ。

「…何でモナコ?」
「従兄弟がモナコのアパート持ってて遊びに行っていいって言ってた」
「…あっそ」
「F1の時期じゃないから観光客もそれほどいないし、快適で過ごしやすいよ」
「F1って確か公道がサーキットになるんやったな。一度観てみたいわ」
「モナコGPは大体5月だからね。練習休めないでしょ。ジェット機チャーターすれば行けないこともないけど」
「それは無理やろ」
「パドックパスは手に入るから、来年行こうか」
「何で手に入るんや?」
「サイアスの企業がチームのスポンサーになってるし。ドライバーの何人かは従兄弟が友達だから何度か会ってるもの」

あっさり答えるに、練習の疲れとは別の意味で疲労感を感じる。





「モナコは夏休みに楽しみにしておくことにして、それより今のこの暑さを何とかしたいもんやな」

タオルで拭っても後から噴き出してくる汗に、忍足が不快げに眉を顰める。

は暑うないんか?」
「暑いよ、当然」
「そのわりには汗かかへんな」

涼しそうな顔をしているに忍足がそう訊ねる。
確かに炎天下のテニスコートにいるとは思えない涼しい顔をしている。
屋外に長時間いるくせに相変わらず白い肌だし。
まあ、半分白人の血が流れてるのだから俺達よりも白くて当たり前だが。

「そういえば汗かいてないね」
「あぁ、さっきまで生徒会室にいたんだ。エアコンが効きすぎてて寒いくらいだったから、侑士達ほど暑いとは感じてないと思うよ」
「跡部はまだ生徒会室か?」
「うん、大変みたいよ」
はおらんでええのか?」
「だって、僕は会計じゃないし」


不思議だ。
が来ただけで、空気が変わっていく。
肌にまとわりつくような湿気も気にならない。
暑さなど感じさせないの様子が、そう思わせているのかもしれない。
風が、頬を撫でる。
が来てから急に風が吹き始めたように思えるのは、俺の気のせいか。
視線を向けると、俺に気付いたのかが小さく笑った。
ふわり、と風が起こり涼しい風が俺を包む。

………。

まさか、なぁ……?


  • 04.07.13