大きな手が頭を撫でる。
――すごいな、は
――将来が楽しみだ
そう言って、笑う。
深い蒼の瞳が、優しく細められるのを見るのが大好きだった。
プロテニス界の新星として注目されている従兄弟。
身内というだけじゃない。同じ道を目指している者として、彼らを尊敬していた。
――いつか、僕を追い越すかもね
笑顔でそう言っていた、クライヴ。
――早く大きくなれよ
そう言って僕を抱き上げるウィル。
大好きだった。
自慢だった。
無敗記録を更新していくクライヴと、その傍らに立つウィルを、ずっと見ていられると思っていた。
壊したのは、他でもない自分自身―――。
連れてこられたのは、郊外の小さなアパートメント。
古い造りの建物は、まるで何かの映画にでも出てきそうだと、どこかぼんやりと思った。
散乱した雑誌。切り刻まれた写真。
そのほとんどが従兄弟のものだとわかったとき、初めて異変に気付いた。
優しい笑顔を浮かべていた大人の態度が豹変する。
突き飛ばされた際に強打した膝が痛んだが、生まれて初めて向けられた憎悪に射竦められて、身動きができなかった。
騙されたのだと、気付いたときにはすでに遅い。
――何故、お前達のような人間が存在する
知らない。
――お前達だけが選ばれた人間だと言うのか
そんなこと、知らない。
僕は――僕たちはただ、テニスをしているだけだ。
持てる力を出しあって、勝負して、その先に勝利があるとしても、それはただの結果だ。
勝利を目指して戦っているわけじゃない。
だが、その声は狂気にとりつかれている男には聞こえなかったのだろう。
それとも、聞こえていたから許せなかったのか。
――許せない
振り上げられた手の中のモノが、鈍く光る。
狂気を宿した瞳が、僕を捉え醜く歪んだ。
――お前達さえ、いなければ…
鋭い痛みに思考が麻痺する。
肩が、動かない。
太く大きな手が、首を締め上げた。
誰か、助けて―――
携帯電話の音で、現実に引き戻された。
いつの間にか眠っていたらしい。
体調が悪いと決まって見る夢。
忘れることのできない、あの出来事。
全身が汗で濡れていた。
張り付いた前髪をかき上げて大きく息をつく。
この悪夢から解放される日は来るのだろうか。
鳴り止まない携帯電話を取り上げると、聞きなれた声が聞こえてきた。
『遅い!』
「…景吾……」
不機嫌な景吾の声に、安心する自分がいる。
ここは日本だ。
イングランドじゃない。
今の僕は13歳で、10歳の子供じゃない。
『?何かあったのか?』
「何でもない。ちょっと夢見が悪かっただけ。景吾の声を聞いて安心した」
『…お前なぁ…』
「それより、どうしたのこんな時間に?」
時計を見ればすでに11時を過ぎている。
こんな時間に連絡を入れることは、今までになかった。
緊急の用事だろうか?
『明日の早朝生徒会役員の会議を行うから、30分早く迎えに行く。寝坊するなよ』
「それだけ?」
『須王のやつが急に決めやがるから、連絡が遅くなった。起こして悪かったな』
「ううん、わかった。大変だね、会長にもなると」
『お前もだろうが、副会長。寝てたら叩き起こすからな』
「大丈夫だよ」
『ならいい。じゃあ明日な』
「あ……」
思わず声を出してしまった。
そんな自分に驚いた。
引き止めて、それでどうするつもりなのだろうか。
『何だ?』
「…ううん、何でもない」
『…何か、あったんだろう』
「景吾…」
景吾は鋭い。
告げたのはたった一言。それなのに、景吾は僕の不安に気付いてくれた。
『どうした?』
問う声がひどく優しい。
「ん…夢をね、見た。昔の……」
それだけで多分景吾には伝わる。
『…平気か?』
「うん…」
家族の誰も気付いていない事実に、景吾だけが気付いた。
僕が時折悪夢にうなされていることを。
僕の心は3年前に捕われたままだ。
気付かれないようにしていた。
気にしないようにしていた。
過去を封印し、前へ歩いていけると思っていた。
だけど、実際は封印なんてできなくて……。
心配をかけたくなかった。
だが実際、僕は景吾に心配をかけさせてばかりだ。
他の人にはできることが、景吾にだけはできない。
どんなに隠そうとしても、景吾には気付かれてしまうのだ。
『…、お前は1人じゃないだろう』
「うん…」
『小父さんや小母さんもいる。の家もサイアスの家も、皆お前を大切に思ってる。もちろん俺たちテニス部だって、お前が大切なんだ』
「うん」
『俺には強がる必要はない。つらい時は寄り掛かっていい。支えてやるから』
「…プロポーズみたいだね」
『馬鹿が』
くすり、と笑う声が聞こえる。
一見傍若無人に見えても、景吾はすごく優しい。
だから人望があるのだろう。
そうでなければ、氷帝の生徒会長になどなれない。
『もう寝ろ。大丈夫だから』
「うん、…ありがと。お休み」
『Good-night』
今度は通話を切ることができた。
大丈夫。
そう、素直に思えた。
大丈夫。
過去はいつか忘れる。
罪は、いつか償える。
そう信じたい。
- 04.05.27