Sub menu


その御手を持つ者


その光景を見た者たちは、声を揃えてこう言った。
奇跡を見た、と。





夏休みも前になると逃れられない学校行事がいくつかある。
まずは学期末試験。
これは別に大したことはない。
中学校1年の勉強なんて、それほど難しい内容を学んでいるわけではない。
授業の内容を聞いていれば答えられる範囲の問題しか出ないんだからな。
別に満点取ったからって自慢することじゃねえだろ。
まあ今年の3月まで英国に住んでいて日本の古典文学について全く知らなかったが、古典のテストを満点取ったことは自慢できることかもしれねえが。
俺に言わせれば赤点を取れる奴のほうが凄いことだと思う。
それよりも嫌な行事がある。
それは大掃除だ。
この広い学校内をクラスで分担して休み前に綺麗にしようという、面倒この上ない行事だ。
氷帝学園では毎週業者に掃除を依頼しているのだから、別に俺らが掃除する必要なんてないのだ本当は。
なのに『義務教育の一環』だとか『自立した人間を育てるのが目的』だとかで、小学校から毎回欠かさず行われている。
別に逃げたいというわけではないが、はっきり言って面倒くさい。
何でこの俺様がしなければいけないんだ、というのが正直な意見だ。

「仕方ないだろう。みんなでやることになってるんだから」

俺の腕を放さないまま、が本日何度目かわからない台詞を言う。

「わかってるよ」
「わかってないじゃないか景吾は」

普段大人しいくせに、何でこういうときは厳しいんだこいつは。
真面目というか融通が利かないというか。

「別に俺1人いなくても構わないだろうが」
「構います。先生に言うよ」
「……ちっ、仕方ねーな。分かったよ」

大きな目で睨まれると、それ以上反論できない。
の言葉の方が正論だしな。
今まで俺に面と向かって掃除をしろと言ってきた奴はいない。
だから今回も当然のようにサボろうとしていたのだが、に見つかって怒られた。
情けないことだが、に睨まれると逆らうことができない。
本人無自覚だが、の視線は相手に有無を言わせない迫力がある。
しかもそういう視線は必ずこっちに非がある場合なので、反論することも無視することもできない。
まあ、それは俺だけに限ったことではなく、ほとんどの奴が同じなのだが。
今までの視線に勝てる人間に会ったことがないしな。

「分かった。サボらねーから、いい加減その手を離せよ」
「本当だね?じゃあこれ、景吾の分」

そう言うとはようやく俺の手を放し、代わりに竹箒を俺に押し付けた。
……俺様に掃き掃除をしろと?
受け取るのを躊躇ってると、はまたジロリと睨んだ。
……わかったよ。
すればいーんだろ、すれば!

「じゃ、中庭に行こうね」

俺はに引っ張られるように中庭へ向かった。

俺らのクラスの分担は自分の教室と学校の中庭の一部分。
他の奴らよりも(当然)遅れてやってきた俺たちの前で、何やら不思議な光景が繰り広げられていた。

「どこ?どこにいるの?」
「さっきはそっちの植込みの中に隠れてたぞ」
「いや、もう飛び出していったよ」
「じゃあ、どこなのよ!?」
「知らねーよ、怒鳴るなよ」
「ちょっと、みんなも探してよ。早くしないと……」



「何があったんだろ?」
「さあな?」

犬とか猫とか紛れこんだんじゃねえのか。
校内は広いから、何度かそういう事例があったはずだし。

「でも、それならこんなに騒がないよね?」

そうだな、確かにちょっと大袈裟かもしれない。

「あ、亮」

木の上から飛び降りてきた宍戸にが走り寄った。
おい、走るなら俺の手を放せ。
に引っ張られるように俺が付いていくと、宍戸が意外そうに俺を見た。
そんなに俺がここにいることが珍しいか。
偶然だな、俺もだよ。
何か質問があったらに訊け。俺は説明したくない。
だが、はそんな宍戸の様子には気づいていない。

「何なの、この騒ぎは」

中庭にいる生徒ほぼ全員が植込みをかき分けたりベンチの下を覗き込んだり木の上の様子を伺ったりしているんだ。
気にもなるだろう。

「女子が見かけたらしいんだよ」
「何を?」
「子猫」

はあ?子猫?
そんなん珍しくも何ともねえだろうが。

「どうやらその猫、怪我をしてるみたいなんだ」

宍戸がそう言うと、の表情が曇った。

「気付いたやつが手当てしようとしたんだけど、凄い警戒しているらしくて逃げたんだ。で、そのままだと死ぬかもしれないって、みんなで捜索中」

「どの程度の怪我?」
「俺が見たわけじゃないけど、見た奴が言うには血だらけで足を引きずってたって」
「ひどい……」

が眉を顰めて呟いた。
らしい。
博愛精神が溢れているというよりは、慈愛の塊みたいなやつだからな。
怪我をしているものや具合の悪いものを放っておけないのだ。

「おーい、見つけたぞー!!」

その言葉を聞くと、は持っていた箒を俺に押し付け走り出した。

1本の木の下に5,6人の生徒が集まっていた。
どうやらその木の上に怪我をした猫が隠れているらしい。

「どうやって捕まえようか」
「無理やり引きずりおろすとか?」
「怪我してるのに可哀想でしょ!」
「それよりかなり気が立ってるみたいで、触れないんだよ」
「登って捕まえる?」
「だから触れないんだって。下手したら落ちるぞ?」
「あの高さから落ちたら死ぬんじゃないか?」


「ちょっとゴメンね」


「うわっ、!?」
くん!?」


木の上を見上げたまま会話をしていたクラスの奴らは、突然現れたに驚いたようだ。

「子猫がいるの、どのへん?」
「あ…あの、小さく張り出した枝の……ずっと先のほう…」
「あぁ、本当だ。ずいぶんひどい怪我してるね。早く助けないと」
「でも、触れなくて……」
「上に登りすぎて下りられなくなってるのかも……」

クラスメイトは申し訳ないようにに説明する。

「うん、大丈夫だよ。何とかするから」

そう言うとは太目の枝に手をかけると、身軽い動作でそれに登った。
下から見てる奴しか分からないが、子猫がに気付いたようで全身の毛を逆立てて威嚇しているようだ。
さんざん追い掛け回されて逃げ回って、人間を警戒しているのだろう。
威嚇の声が下まで聞こえてくる。
が登ったことにより猫が少し動いて、俺にもその姿が見えた。
あぁ、確かにひどいな。
全身が血に汚れている。左足が特にひどい。
ひきずっているように見えるし、もしかすると折れてるのかもしれない。
あんな状態でよく木の上になんて登れたもんだ。
車にでもぶつかったか?
そんな子猫には手を差し伸べた。
驚かせないようにゆっくりと。

「おいで」

がそう囁いた。
その様子を俺らはじっと見守った。
下手に音を立てて猫を刺激しないように。
そしての邪魔をしないように。
は静かにその手を動かした。

「こっちにおいで」

もう一度そう囁く。
子猫がを見た。
と、威嚇をやめた。
その声に敵意がないことを感じ取ったのか?
それともの持つ穏やかな雰囲気に気付いたのか?
俺は初めて会ったときの様子を思い出した。
は野生の鳥を囲まれていた。
そして足元には数匹の犬と猫の姿。
動物に好かれるのだ、とは言った。
波長が合うというのか、どんな動物でも不思議と懐かれるのだと。
それが本当なら、今回の子猫にもそれは通用するかもしれない。
は静かに微笑んだ。

「大丈夫、怖くないよ」

少しだけ手を猫の方に伸ばした。

「だから、こっちにおいで?」


すると。

子猫はゆっくりとの方へ歩いてきた。
足をひきずりながら。
の指先に自分の鼻先を当てて、そいつは小さく鳴いた。
は嬉しそうに目を細めると、着ていたジャージを脱いでそっとその子猫を包み込んだ。

「もう大丈夫だよ」

そう言っては子猫に微笑みかけた。


誰にも触れさせようとしなかった手負いの動物を、はいともたやすく捕まえた。
それはまさに驚くべきことで。
その場にいた誰もが傷だらけの猫を抱えたを、言葉もなく見ていた。
子猫は思ったより怪我の状態がひどかったので、そのまま動物病院へと直行することになった。
俺の予想通り車かバイクにぶつかったらしく、左足は骨折しているうえ内臓にも損傷があって本当に危険だったらしい。
子猫は数週間入院した後、の家で飼われることになった。

そして学校では『が奇跡を起こした』という噂が広まっていた。
……奇跡か。
確かに奇跡と呼べるかもしれない。
相変わらず本人は気付いてないがな。


  • 04.12.12