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出会いは桜の樹の下で


俺があいつと初めて会ったのは、12歳の春。
八重紅枝垂が見事な庭園だった。



「桜風会?」

入学式も間近なある日、母が一枚の招待状を俺に手渡しそこに行くように言った。

「なんですか、それは?」
「何ってお父さんとお母さんが毎年行ってるでしょう?家のお茶会のことよ」

家といえば、旧財閥系の最大手だったよな確か。
『ゆりかごから墓場まで』とまではいかないが、かなり手広く事業を行っているグループだ。
うちとの取引があるかまでは知らないけど、どうせ上流階級のお付き合いとやらなんだろう。

「それに何で俺が出ないといけないんですか?」
「出ないといけないんじゃなくて、一緒に行ってほしいのよ」

いや、さっきの言葉は命令だろう。
俺に拒否権がなかったぞ?

家では、毎年この時期にお花見を兼ねて茶会を催してるでしょ。別に子供を連れていっていけないわけじゃないけど、あなたは大人の集まりとか嫌いだし退屈させても可哀想だから連れていかなかったけど、今回は特別。景吾を連れてきてほしいって、あちらからのリクエストなのよ」

はあ、何だそりゃ?
俺は手土産か?
冗談じゃねえ、そんな見世物になるような場所はごめんだ。
断ろうと思ったとき、鋭い視線が突き刺さった。

……有無を言わさないってやつだなこれは。



そんなわけで俺は正装に着替えさせられ、車に乗せられた。
家とうちはかなり近い。
近所ということになるのか?
車で10分ほど走ると到着する距離だ。
しっかしでかい敷地だ。
家も世間ではかなり大きな部類に入るが、それでも家には敵わない。
門に入っても家が見えてこないというのは、都内では非常識なんじゃねえのか。

「景吾……」
「なんですか?」
「いい加減機嫌を直しなさい」
「別に怒ってませんよ」
「じゃあその不機嫌顔を何とかしなさい」

無理だな。

「仕方ないでしょう。董子が自分の子供にあなたを会わせたいって言うんですもの」

董子?

「董子っていうのは、家当主の娘さん。お母さんの幼馴染なのよ。イギリスにお嫁に行ったから滅多に会えなかったんだけど、旦那さんの仕事の都合で日本に来ることになったの。それで同い年の息子がいるなら、是非お友達になってほしいって言うから」

すっごく可愛いのよ、と母さんが力説する。
そんなに可愛いのか?

「髪の毛はふわふわの猫っ毛で、目は灰色。肌は真っ白で天使みたいなの。景吾も私に似て美形だけど、ちゃんには到底勝てないわね」

……何気に俺を褒めているようで自分を褒めてるな。
しかし、この人が他人をここまで褒めることは、ある意味珍しい。
自分にも他人にも厳しい人だからな。
その董子っていうのがどんなタイプか知らないが、どうやらかなり仲がいいのだろう。
楽しそうに幼馴染とその子供の話をする母さんにつられたのか、俺までその『』とやらに会うのが楽しみになってきた。



家の当主に挨拶をしていると、背後から誰かが声をかけてきた。

「綾子ちゃん。久しぶり」
「董子!」

この人が『董子』さんか。
桜色の着物に身を包んだその女性は30代前半なのだろうが、童顔のせいかとてもそうは見えない。
というか俺と同い年の子供がいるようには絶対に見えない。
なんていうか、可愛いタイプだ。
俺の母親とはまったくタイプが違う。というか正反対だ。

「紹介するわ、私の息子の景吾よ」
「初めまして、董子・サイアスです。董子の方がわかりやすいかしら?」
「景吾です。初めまして」

にっこり笑って手を差し出してきたので、俺もその手をとる。

「ところでちゃんは?」
「それがどこかへ行ってしまったのよ。昨日日本に来たばかりだから眠いって言ってたし、どこかでお昼寝でもしてるのかしら。庭にいるとは思うんだけど」

自分で探しに行こうにも、主催者として挨拶が忙しくて無理なのだろう。

「いくら何でも庭で昼寝するにはまだ寒いわよ」
「僕が探してきましょうか?」

俺がそういうと、董子さんは驚いたように俺を見た。

「悪いわよ。そんなこと」

申し訳なさそうな董子さんに、母がひらひらと手を振った。

「いいのよ。大人の話を聞いているより、子供同士仲良くしてもらったほうがいいもの」

確かにその通り。俺は不躾に注がれる視線にいい加減うんざりしていたので、むしろこの場を離れることは大歓迎だった。

「……お願いできるかしら?」
「はい。では失礼します」

丁寧に挨拶をして、俺はその場を離れた。




わずらわしい周囲の視線からようやく解放された俺は、そのまま人気のない方へと進んでいった。
跡部の家に生まれた以上、こういう輩と付き合っていかないといけないのは知っているが、まだその中に入りたくはなかった。
全ての人がそうだというわけではないが、ほとんどの人間が俺の背後に『跡部』を見る。
嫌ではないが、鬱陶しい。
』も俺と同じだったのだろうか?
家の機嫌を取ろうとする大人たちから逃れるために、この場から離れたのだろうか。



しばらく進むと周囲の声はすっかり聞こえなくなった。
染井吉野のアーチを抜けると、珍しい桜の花が頭上に広がった。
さすがに桜が自慢な庭だけあって、種類も豊富なようだ。
生憎全部の種類がわかるほど博識じゃないので、目の前で見事に咲き乱れる花々がどんな名前か知らない。
だが、白い花を咲かせるもの、大輪の花弁を纏うものなど本当に色々な花がある。
その中に珍しい木を見つけて、俺は足を止めた。
八重紅枝垂だ。この桜は確か普通の桜よりも咲くのが遅いはずだが、すでに満開に近かった。
これだけ大量の桜があると、まるで別世界に迷い込んだような錯覚を思い起こさせる。
世間の喧騒などまったく関係ない、穏やかな空間。
そんな感じだ。



「?」

不意に小さな声が聞こえて、俺は足を止めた。
歌……か?
細い綺麗な声だった。
どこかで聞いたことがある。
優しい歌声。
声は八重紅枝垂の方から聞こえてくる。
よく見ると木の陰に誰かがいた。
そいつが歌っているのだろうか。
歌の邪魔にならないように、そっと近づいたつもりだった。
だが、俺が近づくとその声はぴたりと止んだ。
そいつの肩から鳥が飛び立ち、足元に寝そべっていた数匹の犬(おそらく番犬だろう)が俺へと顔を向ける。
…鳥と犬が一緒にいたのか?
それより野生の鳥が人間の肩に止まるなんてことあるのか?
俺が一歩近づくと、残っていた鳥たちが一斉に飛び立った。
そうだよな、普通は逃げるんだよ。
何でこいつは平気なんだ?
そいつがゆっくりと振り向いた。

「!」

何だ、こいつ……。
年は俺と同じか少し下という感じだ。
透けるように白い肌というのは、こういうことを言うんだろう。
その上にえらく整った顔がある。
こちらを見上げる瞳はブルーグレーで、澄んだその瞳は一切の汚れを知らないかのようだ。
完璧に整った顔は冷たい印象を与えるものだが、こいつからはそんなものは感じない。
穏やかな春の陽射しのようで、でもどこか他者を圧倒するような雰囲気の持ち主だ。
何ていうのか、綺麗すぎる。
男とか女とかいうよりも、こいつ人間か?
宗教画の天使のようだ。
天使?
もしかして、こいつがか?
俺がそう聞くと、そいつはふわりと笑った。
栗色の髪が風に揺れる。


「うん。そうだよ」



まさに、天使の笑顔だった。


  • 04.12.07