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月の雫 15


冬休みも終わり中学校生活も残すところあと3ヶ月となった。
ほとんどの生徒は高等部への持ち上がりなので3年生とは言っても受験戦争とは無縁のように今の時期にも部活に参加している生徒もいる。
かくいう大石もその1人で、今朝もテニス部の朝練に参加しようと登校するにはまだ早すぎる時間帯だというのに、こうやってテニスバッグを肩に提げ誰よりも早くやってきたのだ。
誰もいない校門をくぐりいつものように部室へと向かう。

「?」

部室の前に人の姿を見つけた。
大石よりも早く来る可能性のあるのは、現部長の海堂だ。
だが海堂は部室の鍵を持っている。入口で待っている必要はないのだ。

(まさか…)

キャラメルブラウンのダッフルコートは見覚えがある。
近づくにつれ相手の顔がはっきりと見える。
褐色の髪。
大きな瞳。

…?」
「おはよ」

一瞬幻かもと思ってしまったのも無理はないだろう。
だがは片手を挙げてそんな大石に軽く挨拶した。

「やっぱり大石が一番なんだね」
「あ…あぁ…」
「開けないの?」

持ったままの鍵を指さされて、大石は動揺したまま部室の鍵を開けた。
不二の死以来テニス部に近寄ろうとしなかった
それどころか自分たちとの接触すら避けていた。
何故今になってテニス部に来たのだろうか。
もう、気持ちの整理はついたのだろうか。

「ふ〜ん、あんま変わらないんだね」

躊躇なく中に入ったは、室内を眺めてそう呟く。
元々私物の置かれていない部室の中は、が日々使用していたときとそう変わらない。
男所帯だというのにすっきりと片付いている。
自分たちが使っていたときもそれほど散らかっていなかったと思うが、きちんと整頓されている室内を見るとそれでも汚かったのかもと思ってしまう。

「海堂が綺麗好きだからかな」

散らかし魔の桃城とは、そういう意味でも合わないのだろう。
些細なことで喧嘩している姿が目に浮かぶ。
はあるロッカーに目を移した。
使われる人のいなくなったロッカーには、生前使用していたジャージが丁寧にたたまれてあった。
不二が愛用していたレギュラージャージ。
故人のものとしてではなく、同じ仲間のものとして置かれてある。
みんなが不二を忘れていないのだと、今でも大切な仲間の1人だと思っているのだと、それだけでわかる。
どうして彼らから離れてしまったのだろう。
どうして自分だけ悲しいなんて思ってしまったのだろう。
みんな同じなのに。
大切な人を失ったのは、自分だけじゃないのに。

(馬鹿だな、俺ってば…)

こうして改めて己のことしか考えていなかった自分を見せ付けられて、は自嘲するように笑う。

…」
「俺さ」

くるりと大石に振り返るその瞳は、以前と同じもの。

「高校に行ってもテニス部のマネージャー続けるよ」

「テニス好きだし、みんながテニスしているの見ていたい。だから続けるんだ」

強い意思を秘めた、勝ち気な眼差し。
皆が大好きなの姿だ。
何がを変えたのか。
目の前にいるは自分達の姿を見て怯えていたではない。
忍足の身体に隠れるようにして去っていったとはまるで別人だ。

「だからさ、高校行ってもマネージャー続けていいよな」

大きな瞳で自分を見つめるのは、
目頭が熱くなって、大石は思わずを抱きしめた。

「うわっ!? 大石?」
「ごめん…今だけだから…」

やっぱり自分は1人じゃなかった。
微かに震えている力強い腕に抱きしめられながら、はそう思う。
が自分の殻に閉じこもって逃げていた間、大石はどれだけ傷ついただろう。
あの事件の現場に遭遇したのは3人。
不二はを庇って命を落とし、は失明するほどの重傷を負った。
目の前でそれを見せ付けられた大石の傷だって深いはずなのに。
そんなことにも気づかなかったは、謝罪の意味も込めてそっと背中に手を回した。

「心配かけて、ごめんね」
「うん……」

その声が震えているのには気づかないふりをした。





「大石先輩、部室で誰を襲ってる………先輩!?」
「リョーマ。お久しぶり」

扉を開くなり固まってしまったリョーマに、は優しく声をかけた。
慌てて大石が離れるのが何だか可笑しくて思わず笑ってしまう。

「……本物?」

リョーマは信じられないというようにの身体に触れる。
ほっそりとしてしまったけれど、それは確かにだった。

「失礼だな。本物に決まってるだろ」

以前のように無邪気な笑顔ではないけれど、綺麗な笑顔。
リョーマはに抱きついた。

「リョーマ?」
「…お帰りなさい…」
「ただいま」

そうして1人、また1人と部員が集まってくるたび、は抱きつかれた。
特にリョーマはしばらく離れようとしなかった。
桃城に引き剥がされそうになりながらもから離れないリョーマに、は苦笑しながらもそれを甘受した。
戻ってきた。
そう感じながら。





   ◇◆◇   ◇◆◇





日曜日。
はある場所へと足を運んだ。
この場所へ来ると、不二の死を受け入れなければならないようで、どうしても近づけなかった。
手には白い花束。
あの雪の日に抱いたイメージそのままの純白。
様々な種類の花を選んだのは、不二がどの花を好むか知らなかったからだ。
知り合って3年。誰よりも近くにいながらも不二のことをほとんど知らなかったのだと気づいて、は苦笑した。
それすら気にならないほど傍にいたのだと、改めて実感した。

「ごめんね。今まで来られなくて」

墓碑に刻まれた不二周助の名前に、ようやく実感がわいてくる。
認めるのはつらいけど、それでもここから始めないと何もできない。
は花束を墓前に添える。
不二が眠る場所。
だけど、魂はと共にある。
いつでも傍にいる。
でも、それでもやはり思ってしまうのだ。

寂しい、と。

乗り越えなければならないことだけど、それでも忘れることはできない。
きっと一生。
忘れるつもりもなかった。
不二と過ごしたこの3年間、確かに幸せだったのだから。
ずっと想っている。

(それくらいいいよね)



「周助…」



は愛しさを込めてその名を呟く。

風が頬を撫で、花を揺らした。


  • 10.05.31