何故その場所へ向かったのか分からない。
現場から少し離れた場所。
自力で動くことなど不可能なが1人で動ける距離ではない。
だが跡部はそこへ向かった。
人間の第六感などというものは信じていなかった跡部が、説明のつかない何かに促されるように進んだ先――。
そこにがいた。
大きな岩陰に座り込んでいると、その身体を支えている白い影――否、今は亡き不二周助の姿。
の身体は雪に埋もれていたのだろう。
ウェアには払いきれない雪がついていたが、顔色は想像していたよりもひどくはない。
転落して凍死していてもおかしくなかったを助けたのは、間違いなく不二なのだろう。
あまりにも非現実的な思考だが、目の前の光景を無視してしまうことはさすがにできなかった。
大切な宝物のようにの肩を抱き、自分の姿を認めるとふわりと笑む。
相変わらず綺麗な微笑。
を連れに来たのか、それとも―。
「――悪いな。そいつをまだお前の所にやるわけにはいかねえんだよ」
自分を見つめる瞳から視線をそらさず、跡部はそう告げた。
まだ死なせるわけにはいかない。
こんな、傷ついた心のまま逝かせるわけにはいかないのだ。
自分なら幸せにできるとか自惚れているわけではない。
大会で何度か会っただけの存在。
小柄な身体で選手をサポートするために動いていた姿は楽しそうで、くるくるとよく変わる表情がとても印象的だった。
次に見たのは虚ろな表情。
どうしてか胸が締め付けられた。
本来ならば跡部には関係ない話だ。
彼が立ち直るのも不二の後を追おうともそれはの自由で、学校も違う会話も碌にしたことのない跡部が気を遣う必要もさしてなかったはず。
それでも放っておけなかったのは、ただ放っておけなかっただけなのだ。
「こいつは――はまだ必要とされてるんだ」
自分に、だけではない。
氷帝の仲間もにはすぐに心を許した。
塞ぎがちで会話にもあまり加わってこないようなだけど、それでも根気良く話しかけて付き纏って、強引に自分達の領域に引っ張り込むこむほどには、は皆から好かれていた。
青学の連中だったそうだ。
が大事だから、声をかけることができなかった。
慰めることが救いにならないとわかっているから、敢えて距離を取った。
どちらもを思っての行動なのだ。
大事に思っているからこその行動なのだ。
だから、まだ逝かせるわけにはいかない。
に自分がどれだけの人に愛されているのか自覚させるまでは。
『――そうだね』
跡部の言葉に、不二は満足そうに微笑んだ。
その姿が景色に溶ける。
不二の姿が完全に消えると、その肩に凭れていたが地面に倒れる。
慌てて駆け寄ると、その口からは規則正しい呼吸音が聞こえる。
意識を失っているだけなのか、それとも眠っているのか。
持ってきたカイロをのウェアの中に入れながら、跡部はあることに気付いた。
雪に埋もれ更に長時間吹雪の中に放置されていたにも関わらず、の体温はそれほど下がっていないのだ。
それどころか凍傷にもかかっているようにも見えないし、あれだけの高さから落ちたにしては目立った外傷も見られない。
外傷がないだけなら余程運がよかったのだろうということで済ませられるが、これだけの時間氷点下を越える外気にさらされていて、顔に凍傷を負っていないとは考えられなかった。
「不二、か…」
彼が守っていたのだろうか。この状況から。
跡部はを抱く腕に力を入れた。
「ん…」
苦しかったのか、跡部の腕の中でがわずかに身じろぎした。
「?」
うっすらと開いた瞳が跡部を捉えた。
「やっぱり、あとべだ……」
「?」
「助けに来てくれるの、跡部だって思ってた…」
どこか夢見心地のようなの表情が跡部にふわりと微笑んだ。
◇◆◇ ◇◆◇
「奇蹟です」
病院に搬送されたの容態を見ていた医師が、診察を終えてからそう告げた。
「多少の打撲と指先にわずかな凍傷が見られる以外、大きな怪我がないのです。通常でしたらあのような軽装で真冬の、しかもこの地域の寒さでしたら凍死していてもおかしくないのですよ。崖からの転落の上、吹雪の中に3時間もいたとは思えません。まさに奇蹟と呼ぶ以外説明がつかないかと…」
念のため一晩入院して様子を見たが結局異常は認められず、翌朝は退院した。
心配するみんなの前に戻ってきたは健康そのもので、心配したぶんだけ怒られたが、疲れているのだろう、叱られながらもしきりに瞼をこするの姿に、みんなの怒りも続かなかった。
結局はすぐに解放され、用意された部屋に戻ると意識を失うように眠りについてしまった。
顔色は悪いがそれでも健やかな寝息を立てるの姿を見て、みんなも安心して自室に戻る。
だが、跡部は部屋に戻らずにその寝顔を眺めていた。
不二に守られるように眠っていた。
自らの身を省みずを庇い、その角膜で失明したに視力を取り戻させ、そして肉体を失っても尚、凍てつく空気からを守っていた。
何て深い想いなのだろう。
が自らの精神を壊すほどに不二を想っていたのと同じく、自らの肉体を失ってものことを想っている。
2人の結びつきがこれほど深いとは…。
そっと髪をかきあげると、の口元がわずかに緩んだ。
いい夢を見ているのだろうか。
1人で寝るのを怖がっていた。
夢を見るのが怖いと、つらそうに呟いた。
夢を見て、泣きながら目が覚めるのだと。
跡部の腕に抱かれて眠るの顔は落ち着いているものの、それでもどこか悲しそうだった。
思えばこんな安らいだ寝顔を見たのは初めてかもしれない。
すべらかな頬に触れると、ふわりと笑みが浮かぶ。
子どものような無邪気な笑顔。
跡部が知る、以前の表情によく似ている。
跡部は口元に笑みを浮かべ、その頭を撫でる。
安らかな眠りが続くように。
- 10.05.27