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月の雫 10


夏以降まったくと言っていいほど運動をしていないのに、いきなりスキーをすればどうなるか。
知らないわけではないが、すっかり忘れていたである。

「身体が痛い…」

朝起きたら起き上がることも困難な激痛が身体を襲っていた。
ベッドに横になったまま涙目でそう訴えるを見て、跡部は眉間を軽く押さえた。

「何で…」
…それを何て言うか教えてやろう」

呆れを多分に含んだ涼やかな目でを見つめ、跡部は答える。

「筋肉痛だ」
「………嘘だ」
「引退してからまったく運動してなかったんだ、当然だろうよ。そんなの動けば治る。ほら、とっとと起きねえか」
「いだだだだだ!!」
「身体がなまってんだよ、自業自得だ」
「跡部のいじめっ子ー!」

中学3年生男子(しかも運動部所属)がたかが数時間のスキーで筋肉痛。
しかもベッドから動くだけで全身が悲鳴をあげるほどとは情けなさすぎる。
油の切れたロボットのような動きでレストランへ連れてこられたは予想通り皆に大笑いされた。

「ま、運動不足だってことやな。筋力つけなあかんで」
「今なら腕相撲してもお前に勝てる自信あるぜ」
「急に運動したから身体がびっくりしたんですよ。若いんだからすぐに治ります」
「激ダサだな。なまってるんだよ。動け」

忍足と岳人にからかわれ、鳳と宍戸には慰めとも激励ともつかない言葉をかけられた。

「ウス」
ちゃん、無理しちゃ駄目だC」

樺地には最早コメントのしようもなく、唯一優しい言葉をかけてくれたのはジローだけ。
それでも誰一人休んでいていいとは言ってくれないのは何故だろう。
そして部屋で休むと言い張るを笑顔で引きずっているのが、優しい言葉をかけてくれたジローなのはどうしてだろう。

「今日は俺と一緒にボードしようね」
「無理無理無理無理っ」
「だーい丈夫。ちゃん、運動神経は悪くないから」

確かにの運動神経は悪くない。
だが長い間使われずにいたので鈍っていることは間違いない。
そして何よりも体力低下が激しいので、いきなりジローと一緒に滑るというのは無謀だろう。
特に教わる相手がジローならば、お世辞にも上手とは言えないはず。
何とかコーチだけは跡部に変更してもらったが、跡部はスパルタだった。

「おら、。とっとと起きやがれ。周りに迷惑だ」
「…失敗した。おっしーに頼んでおけば…」

雪にまみれては嘆く。

「あ〜ん? 折角俺様が専属コーチしてやっているというのに不満そうだな」
「痛い痛い。跡部、そこさっきぶつけたとこ」
「頭は庇えと教えただろうが。その耳は飾りか」
「ぎゃー!!」

時々悲鳴も聞こえてくるが、比較的楽しく時間を過ごした。
流石に跡部のコーチは上手かった。
初心者だというのに午後になる頃にはリフトに乗って滑走できるほどに上達したは、筋肉痛も忘れてはしゃいでいた。
今まで運動してなかったため岳人のようにアクロバティックな動きまではできなかったが、それでも初心者には見えないだけの上達っぷりだ。
得てしてスポーツは上達すれば面白さが俄然増していく。
じっとしていることができないらしく、は人の少ない上級者コースを縦横無尽に滑っていた。
本来ならマナーが悪いと注意されるだろうが、生憎利用者は跡部と以外は2,3人ほどで、彼らも自由に滑っていたため誰からも注意されることはなかった。
跡部は眉を顰めていたが、それでも楽しそうにはしゃぐの姿に注意までは至らない。

その矢先――。



「うわっ!!」

が悲鳴とともに雪溜りに突っ込んでいった。
かなりのスピードで滑っていたため勢いがつきすぎていたのだろう。
雪溜りに突っ込んだはそのまま弾かれたように2、3度転がって木の幹に衝突した。
咄嗟にボードのエッジで頭を切らないようにガードできたのは、跡部の指導の賜物だ。

「調子に乗りすぎだ」
「う……」

跡部が両腕を組んで雪まみれのを見下ろす。
昨夜降った雪はさらさらのパウダースノーで、は全身粉雪まみれになったまま眉を下げた。
雪のお陰で衝撃は少なかったが、調子に乗りすぎた自覚があるためなんとも情けない表情だ。

「おら、固定されたままじゃ動けないだろう。さっさとボードを外してこっちに来い」

滑走コースから随分外れてしまっている。
誰も踏み入っていない場所は危険なのだ。
単に人が通っていないだけならいいが、すぐ下が崖でも気付かない危険性がある。
今年は雪が多かったから、慣れたコースも形を少し変えてしまっている。
跡部ですら気づかない危険な場所もあるかもしれないのだ。

「もたもたするな。早くしろ」
「うん」

言われるままボードを外そうと上体を落としたその時。
ぐらり、と身体が傾いた。

「!?」

一瞬何が起こったかわからなかったが、体勢を立て直そうとしても身体がすべり落ちていくのを感じ、慌てて足元を見る。
すぐ先で、地面がなくなっていた。
驚愕に目を見開く。

!?」

跡部が顔色を変えた。
ボードにより足が固定されているため動きは制限されてしまうが、それでも膝をつき手を差し伸べる。
がその手を取ろうと己の手を差し出した時、脆くなった雪がなだれ落ちた。
身体がふわりと浮かぶ。
指先が触れるその寸前。


!!」


は崖下へと飲み込まれていった。


  • 10.05.16