何故自分がここにいるのかわからない。
この場所が好きだというわけではない。
ただ、どこにも居場所がなくて。
気づくと足を運んでしまうのだ。
周囲から猫みたいと言われる通り、自分しか知らない秘密の場所を探すのは得意だった。
ふらりと歩いていると、自然と静かで居心地のいい場所を見つけることができる。それは屋上だったり校庭の一角だったり、鍵の壊れた特別教室だったりした。
そのうちの多くは仲間に知られてしまっているが、ここだけは別だった。
見つけたのはほんの偶然。入学して少しした頃だった。
広くなった通学区域を、まるで探検のように歩いて回った。
そして見つけた小さな公園。
利用者はそれほど多くないが、綺麗に手入れされていて自分よりも年下の子供達が元気に走りまわっている。
そんな公園の木陰が、のお気に入りの場所なのだ。
少し奥まっているためだろうか、子供達の喧騒もあまり気にならない。
日当たりはとても良く、そして小さな垣根のために周囲から気づかれることもない。
木陰が風を遮ってくれるため柔らかな日差しだけが降り注ぐため、格好の昼寝スポットになっているので、時々猫や小動物が寛いでいる姿も見られるのだ。。
この場所を知っているのは、自分の他には1人だけ。
は木陰に座ってぼんやりと景色を眺めていた。
ブランコで遊ぶ小学生。サッカーを楽しむ子供たち。
みんな楽しそうに笑っている。
そんな笑顔をしばらく眺めていたが、やがて興味がなくなったように視線をそらした。
ごろりと地面に横になると、背中で枯れ葉が小さな音を立てる。
はそっと目を閉じる。
次に目を開けるとき、最初に見るのはあの笑顔がいい。
そう願いながら。
◇◆◇ ◇◆◇
生徒会の引継ぎも終わりようやく肩の荷が下りたというのに、跡部は相変わらず多忙な日々を送っていた。
部活も引退し生徒会の任期も終わった現在、本来なら中学3年生という身分を満喫し残された中学生活を謳歌していてもおかしくない。
氷帝はエスカレーター式で外部受験を望まない限り、特に苦もなく高等部へ進学できる。
受験勉強もなく思う存分遊べる時期だというのに、跡部は父の名代としていくつかのパーティーに出席しなければならず、現役受験生よりも過酷な毎日を送っていることは確実だろう。
年末になると、この手のパーティーの誘いは多い。
あまり気分が乗らなかったが、跡部の家を継ぐ者として顔を出さないわけにはいかない。
何せ主催者は父ではなくまだ若輩の跡部を名指しで招待しているのだから。
それがどういう意味を持つか、分からない跡部ではない。
切れ者と評判の跡部景吾を見たいのだ。
父親譲りの明晰な頭脳、母親譲りの美貌は上流階級の大人たちの間でも何かと話題にのぼる。
今からお近づきになっておこうと目論む大人の数も少なくない。
打算的な考えを持つ彼らのことを好意的な目で見ることはできないが、自らの立場というものを自覚しているため、簡単に断るわけにもいかない。
唯一の救いは、まだ義務教育ということでその場に滞在する時間が数時間だけですむということだ。
優等生の笑顔で対応し、大人たちの腹の探りあいを壁際で観察しながら時間が経過するのを待ち、場の空気を乱さない態度でそっと会場を抜け出した。
いつもなら迎えの車に乗るところだが、会場が自宅までそう距離もない場所だったのと上空で輝く見事な満月のせいで、気分転換の意味で歩いて帰ることにした。
尤も、らしくもなく徒歩を選んだ最大の理由は、篭った空気と充満した香水の香りに辟易したからなのだが。
招待した人物は父親ともそれなりに親しい人物だったのだが、招待された客の質が悪すぎた。
最近急成長を遂げていると言われる企業の社長や、経済評論家、あるいは新進気鋭のデザイナーなど、マスコミや新聞で取り上げられることの多い人物達ばかりだったことは確かだ。
だが急に得た地位と財産の使い方を知らないのか、見るからに似合わないブランドの服や品のないアクセサリー、そして大量につけられた香水などは、跡部の好むものではなかった。
下地の伴わない上流階級ぶりは見る者を不快感にさせるのだと、しみじみ感じ入ったものだ。
そのような人物達と好んで交流を持っている以上、彼らとの関係が発展することはないだろうと、跡部は主催者への評価を下す。
クロークで荷物を受け取り優雅な足取りでホテルのロビーを抜けると、張り付いていた優等生の仮面を外した。
煙草の匂いときつい香水の香りはすっかり跡部にも移ってしまったらしく、秀麗な顔に皺を刻む。
「化け物どもの巣窟だな」
そう吐き捨て、跡部は人気の少なくなった道を歩く。
通いなれた道を一歩外れただけで、まるで未知の場所に入ったような錯覚を起こさせるから不思議だ。
閑静な住宅街にぽつりぽつりと点灯している街灯が静まり返った道路を静かに照らしている。
数十メートル間隔の街灯にしては夜道が明るいのは満月のせいだ。
空は綺麗に澄み渡り、昼間のうすぼんやりとした天気が嘘のようだ。
都内だというのに星空が綺麗で、跡部は歩く速度をゆるめた。
冬の星座が一番綺麗なのだと、以前に誰かが言っていた。
あながち間違っていないだろう。
都内でもこれだけの星空だ。
郊外に出たらどれだけ見事だろう。
都内でも夜景スポットはいくつもある。
だが、やはり自然の美しさには到底敵わないと跡部は思う。
(…?)
夜道でありえないものを見て、跡部は足を止めた。
「何やってんだあいつ?」
何気なく入った場所に、それはいた。
子供向けのブランコとジャングルジムしかないような小さな公園。
その広場にぽつんとたたずむ細い身体。
違和感を感じて足を踏み入れた。
外灯など一つもない公園だったが、周囲の建物の明かりと上空から降り注ぐ満月の光がその人物の顔を照らしていた。
漆黒の髪。身長のわりにほっそりとした身体つき。
「青学の…、か……?」
珍しいこともあるものだ。
自宅から近いのかと思ったが、ここから青学までの距離を考えてそれを否定する。
第一跡部の家から目と鼻の先にあるこの場所にの家があるということは、一度くらい道でばったり会っていてもおかしくない。
今の今までそういうことがなかったことを考えると、がこの近所に住んでいるという可能性は低い。
跡部が最後にを見たのは全国大会。
大会が終了して、まだ数ヶ月しかたっていない。
(痩せたな…)
の姿を見て、そう思った。
一瞬別人かと思うくらい、身体つきが変わっていた。
身長は確かに低かったが、それほど貧弱だとは思ったことがなかった。
尤も青学テニス部は中学生男子の平均身長を遥かに越えた規格外の人間が多いため、マネージャーのはかなり小柄な少年に見えなくもなかったが。
それでも全国区の部を支えるマネジである。
体力も筋力も平均以上はあるはずだ。
それなのに、コートを着ていてもわかるくらい細い身体というのはどういうことか。
月の光だけなので心許ないが、輪郭もかなり細くなっている。
一見しただけで痩せたと分かるの姿に、跡部は表情を曇らせた。
事故に遭ったのだと聞いていた。
その時の怪我が原因で失明したが、幸い角膜提供者が現れ視力を取り戻したということも手塚から聞いて知っていた。
その提供者が他ならぬ不二周助だと言うことも。
不二の訃報は夜中に届いた。
寝入りばなに突然冷水をかけられたような衝撃に、睡眠を邪魔された不快感は一瞬で消えた。
知らせを聞いたとき、跡部は思わず自分の耳を疑ったのだ。
いつでも如才なく世の中を渡っているように見えた不二が、わき見運転の車に撥ねられて亡くなるなんて、まさかとしか思えなかった。
だが努めて冷静を保とうとして失敗している声音の手塚が嘘を言っているのだとも思えず、半ば騙されたのではないかと思いながらも氷帝テニス部レギュラー全員で出かけた告別式。
泣き崩れる母親と、それを隣で支えている姉。
辛いだろうに、それでも気丈に弔問客の対応をこなしている父親。
そしてやり場のない怒りと深い悲しみを隠そうともしない弟。
棺の中で眠る不二は目立った外傷もなく、まるで眠っているだけのように見えた。
穏やかな、満足しているかのような表情。
それは大切な友人を守ることができた満足感からか。
切なくなるくらい、綺麗な顔だった。
葬儀の時、は姿を見せなかった。
入院中だと聞いたので参列できなくても無理ないだろうと、深く考えずそう思っていた。
まさか不二の死を知らせていないとは思いもせず。
はただ立ち尽くしている。
音のない空間、月光の中にたたずむの姿は、どことなく幻想的な感じがした。
何かを求めるように視線がさまよい、かすかに口元が動いた。
ほんのかすかな動作。
だが跡部にはそれが何を意味するかわかった。
の目から涙が一筋こぼれる。
は気づいていないのだろう。
それを拭おうともせず、そのまま踵を返す。
声をかけようとしたが、できなかった。
夢遊病のようにふらふらと歩いていくの姿を、跡部はただ見つめるしかできなかった。
が紡いだ言葉。
周助。
ただ、それだけ。
その言葉にどれだけの想いがこもっているのか、跡部にはわかってしまった。
「壊れた、か……」
跡部は苦々しそうにそう呟いた。
- 10.04.29