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本気を出したらヤンデレになった


練習が終わり着替えを済ませ、後は帰るだけという時になってメールが届いていることに気が付いた。
タップして画面を開けば送信者は黄瀬だった。
着信時刻を見れば1時間前。基本的に部活中はスマートフォンはロッカーの中なので気が付くのが遅くなるのはいつものことで、黄瀬もそれがわかっているから電話ではなくメールにしたのだろう。
用件は簡潔に一言。

『相談に乗ってほしい』

ただそれだけ。
確か今日は仕事で部活を休むと言っていたのだが何かあったのだろうかと、黒子はすぐにスマートフォンを操作して部活が終了したことを告げた。ほどなくして返信があり迎えに行くから暖かい場所で待っていて欲しいと言われたので、練習後の栄養補給と称してマジバに行く火神に同行することにした。
大量のチーズバーガーを注文する火神の横でいつものようにバニラシェイクを頼みテーブルで待つこと数十分、息を切らした黄瀬がやってきて黒子の腕を掴むなり店から連れ出された。
勢いよく引っ張られたせいでバニラシェイクは宙を舞い、床に落ちる寸前で火神の手によってキャッチされた。
とりあえず店を汚さずに済んだことに感謝しつつも、折角のバニラシェイクに何てことしやがると若干の怒りを込めて黄瀬へと振り返った黒子は、切羽詰った表情の黄瀬を見て反論することも忘れて大人しく黄瀬に引かれるままについて行った。



「それで、相談って一体何ですか」

連れてこられたのは黄瀬が一人暮らししているマンションだった。
まさか神奈川まで連れてこられるとは思わなかった黒子は困惑を隠せない。
幸い明日の部活はオフなので遅刻する心配はないが、今まで黄瀬の相談を受けていた時は近くの喫茶店かカラオケBOXというのが定番だったために意外だと思うだけだ。
勿論バニラシェイクの恨みは忘れていないので後で買い直してもらうつもりではいるが。

「まあ、そのへんに座っててよ。今飲み物用意するから」

そう促されるままにソファーに腰を下ろすと、見た目よりも柔らかく黒子の身体がソファーに沈む。初めての家に戸惑うような繊細さは持ち合わせていないので興味深げに室内を見回した。
黄瀬のマンションは1LDKだ。事務所が用意したらしく高校生の一人暮らしには若干不釣り合いな広さだが、事務所の有望株なので妥当な待遇なのかもしれない。
黄瀬の部屋は必要最低限の家具と小物でどことなく殺風景に想えた。生活感がないと言えば良いのだろうか。テーブルの上に置いてあるNBAのDVDだけが黄瀬らしさを感じさせるものだ。
黄瀬の家ならばさぞかしシャラシャラとした室内だろうと想像していた黒子には意外だった。
だが学業と部活と仕事、三足のわらじを履いているのだから家には寝に帰るだけなのかもしれない。黄瀬が自炊できるという話も聞いたことはないし、リビングに生活感がないのも当然と言えば当然だ。
しばらくキッチンで何かをしていた黄瀬は、トレイに2つのマグカップを乗せて戻ってきた。テーブルの上にそれを置いて片方を黒子に差し出してきた。

「はい。黒子っちは珈琲飲めないから牛乳たっぷりのカフェオレ」
「ありがとうございます」

猫舌の黒子のために少し冷ましてあったらしく、それは黒子に飲み易い温度になっていた。
たっぷりの牛乳と蜂蜜。ホットミルクの珈琲風味と言っても良いだろう濃度のカフェオレは確かに黒子の好みだ。黒子が甘党だということは周知の事実だが、実は珈琲が苦手だということは今のところ黄瀬しか知らない。
こくこくと数口飲んで喉を潤しカップをテーブルに戻す。その間に黄瀬は鞄の中から冊子を取り出して黒子に差し出してきた。台本、なのだろう。おそらく。初めて見るものだけれど。
中を見て良いかと目線で窺えば黄瀬が静かに頷いた。附箋やマーカー、その他の書き込みが沢山あり、黄瀬が役作りでどれだけ努力しているのかが一目で窺える台本だった。
たった一行の台詞に対してもこれほど考えることがあるのかと、部外者の黒子ですら感心してしまう。
モデルだけでなく俳優としても少しずつ仕事が増えてきているらしく、これから先も芸能界で生きていくことにしたらしい黄瀬にはこうやって努力していくことが必要なのだろう。
だが黄瀬の相談とは何なのだろう。話の流れから考えればこのドラマに関するものなのだとは思うが、それにしては相談する相手を間違えているような気がしてならない。
首を傾げて黄瀬を見れば、黄瀬は困ったように視線を伏せた。

「それ…さ、今日撮影があったんだけど上手くできなくて、監督に今日はもう帰れって言われちゃったんスよ」
「はぁ」

初のレギュラー、それもそれだけに気合十分で挑んだ撮影初日。台本を読み倒し全ての台詞を覚え役作りもしっかりと行った上で黄瀬は演技をした。だが、どんなに一生懸命演技しても監督がOKを出すことはなかった。NGという程酷くはない、むしろ共演者は十分だと慰めてくれるものの、それでも監督にとっては納得がいかなかったらしく結局17回のリテイクを経て時間がかかり過ぎたこともあって黄瀬はようやく解放された。
撮り直しは明日。それまでにもっと役を理解してこいと言われたらしい。

「別に初めてのレギュラー出演で気負っていたとかいい加減に演じてたとか、そんなつもりはなかったんスよ。でも『何か違う』って言われればやり直すしかなくて。でも、何をやり直したらいいかわからないからもうどうしようもないんス」

ドラマは少々変わった恋愛ドラマだ。黄瀬の役は主人公の幼馴染で、事故で記憶を失った主人公の面倒を見ながら事故の裏に隠されたとある事件の真相を探るという中々に重要なポジションで、共演者も実力者ばかりで上手く演じることができれば俳優としてのステップアップになるのは間違いない。
人当たりの良い笑顔で主人公を守る役だなんて黄瀬には簡単だと思ってしまうのは、黒子自身が演技未経験者だからだろうか。
そもそも黄瀬の相談が演技指導だとしたら黒子は何の役にも立たない。
自慢じゃないが演技らしい演技をしたのなんて、幼稚園のお遊戯会で村人Aを演じたくらいだ。

「それで、今日中に何とか役を掴まないといけないんスけど、相手役がいないとどうにも身が入らなくて」
「成程、そういう理由で僕が呼ばれたんですね」
「そうっス。相手役の子が丁度黒子っちくらいの身長で――――って痛!」

余計なひと言は鳩尾チョップで黙らせて、黒子は仕方ないと台本を持ち直した。

「付き合うのは構わないのですが、僕は演技経験がないので棒読み確実ですけどいいですね。駄目と言われたら帰りますけど」
「勿論! 一緒にいてくれるだけでいいっス! むしろ黒子っちが相手役なら良い演技できそうだし」
「はあ、そうですか」
「じゃあ、こっちきて」

そう言って腕を取られて壁際へと連れていかれた。壁に背を凭れた黒子に黄瀬が台本の台詞を指で示す。

「ここからお願いするっス。俺に内緒で外出した主人公に俺が怒りでぶち切れるところ」
「え、でも監督から『違う』って言われてるのなら今までとは違った演技の方が良くないですか」

黒子が不思議そうにそう言えば、黄瀬は目を瞬いて「あ、そうか」と答えた。
そうして黒子から台本を受け取って何やらうんうんと唸りながら考えている。
黒子は演技は未経験だが読書家ということもあり様々な描写があることを知っている。単純に「怒り」でも種類は豊富だ。そしておそらく黄瀬は普通に「怒った」のだろう。それはそれで間違いではないと思うのだが、監督が求める演技がそうでない以上、黄瀬が変わるしかないのだ。

「主人公は黄瀬くんが演じる役にとってとても大事な人なんですよね」
「うん、そう。彼女のためなら自分がどう思われようと構わないくらい大事で、命がけで守りたいって思うくらい大好きみたいっスよ。本人は妹みたいなもんだから当然だって思ってるらしいっスけど」
「じゃあ、そんなに大事な幼馴染が自分のお願いを無視して出かけてしまったとしたら、黄瀬くんならどうしますか?」
「え、そりゃ怒るよ。心配だもん」
「例えば、その幼馴染が僕だとしてもですか?」
「え………」

黒子の言葉に黄瀬が固まった。茫然としつつ「黒子っちが…」とか呟いているのにちょっと聞き方を間違えたかなと黒子が思った途端、黄瀬の目の色が変わった。

「そっか…。俺、普通に相手の子を守らなきゃって思ってたけど、相手が黒子っちだったら違うわ。ちょっとそれでやってみて良い?」
「いいですけど…」

そう答えた途端、黒子の身体が壁に押しつけられた。痛くはないが驚いた。

「え、黄瀬――」
『うまく行くと思ったのに、願った通りにはならないね』

低い、感情の抜けた声が黒子の耳朶を打つ。押し殺した怒りなんてものじゃない。怒りというより何の感情も込められていない声に演技だと分かっているのに黒子の背が震えた。
思わず顔を上げると昏い光を瞳に宿した黄瀬の顔がそこにあった。

『……ねぇ、俺が怖い?』

それが台本に書かれていた台詞だと思い出した黒子は、覚えていた台詞を口にする。台詞が少ないのが幸いだ。

「怖くない」

嘘だ。怖い。だが台本に怖くないとあるのだからそう言わなければいけない。流石に演技はできなかったけれど。
そして黄瀬は無表情のまま演技を続ける。

『へぇ、意外だな。でも怖がったほうがいいよ。俺みたいな男は危険だからね』

淡々と、まるで業務連絡をするかのような口調だからこそ、ハイライトの消えた瞳が恐怖をかきたてる。
真顔で淡々と話されることがこれほど怖いとは知らなかった。
黒子の知る黄瀬はこんな表情したことがないから、これは間違いなく役に入り込んでいるのだと思うのだが。ヤンデレ怖い。
背後は壁だ。更に逃げ道は黄瀬の逞しい腕によって塞がれている。これが壁ドンかなどと呑気に考えている余裕はない。目の前のヤンデレが何をするかわからない。
そして黄瀬は黒子の顎を取るなり至近距離で囁いた。

『なんにせよ、俺はおまえをここから出す気はない。抵抗しても無駄だよ』
「――――っ?!」

言うなり黄瀬の唇が黒子の唇を覆った。ちょっと待てそれは台本にないと叫びたくても口を塞がれているため叶わない。それならばと抵抗しようとしたがいつのまにか伸びてきた腕が黒子の身体をきつく抱きすくめていてそれも無理だった。

「やっ、ちょ、んぅ」

口づけは執拗で、そして容赦がなかった。官能を引きずり出すというよりは呼吸を奪うのが目的だったらしく、ようやく黄瀬が解放した時には黒子は酸欠で膝から崩れ落ちた。
勿論その前に黄瀬によって抱き留められていたのでみっともなくも床に座り込むようなことはなかったのだが。
何だこれ、何だこれ何だこれ。
友人の台詞読みに付き合ったらキスされましたなんて笑い話にもならない。これがふざけていただけならば殴るなり蹴るなり方法はある。だがおそらく黄瀬はふざけたわけではない。黄瀬はあくまでも演技をしただけだ、多分。台本のどこにもキスシーンなんてなかったけど。黒子の台詞も悉く無視されていたけれど。
これは演技なのだと黒子は心の中でひたすら呟いた。演技だからノーカウントだ。自分のファーストキスの相手は黄瀬ではない。気持ち良かったような気もするけど気のせいったら気のせいだ。
そんなことを脳内で呟きつつようやく心と身体が鎮まってきたので黄瀬から離れれば、黄瀬は先程の表情はどこに消えたのかと思う程にきらびやかな笑顔だった。

「どう? 迫真の演技でしょ」
「…そうですね」

褒めて、褒めて、と満面の笑みで見つめる大型犬にそれ以外何を言えば良いだろうか。
だがようやくいつもの人好きのする笑顔を向けられて黒子は安心したように息をついた。

「十分過ぎですよ。相手役の女優さん、泣いちゃいますよ」
「んー。まあ今みたいには出来ないと思うっスけどね」
「何故ですか?」
「だって、黒子っちが俺から逃げちゃうって考えながら演技してたから」
「……」
「それにしても、見方を変えて読んでみると、この幼馴染ちょっとやり方がぬるいんじゃないかなって思うっス。俺なら薬飲ませて眠らせるなんてしないっスよ。薬って耐性できちゃうし、何より副作用が怖いじゃないっスか。俺は黒子っちに身体に影響残るようなことはしたくないし、やっぱり鎖つけて籠に閉じ込めて監禁が一番だと思うっスよ」
「……」

何だろう、聞いてはいけないことを聞いたような気がする。黄瀬がぬるいと言ったのは口論した幼馴染を閉じ込めておくために食事に一服盛って眠らせるというその後の展開についてだ。
黒子は少し目を通しただけでも酷いと思っていたのだが、そうか、黄瀬はこれをぬるいと思うのかと遠い目をした。
というか演技でなく黄瀬が行動するとしたら拉致監禁なのか。資金はありそうだから本気で監禁されそうな気がする。この場合のターゲットが誰かなんて考えたくない。名前を呟いていたような気がするけど、聞こえなかったことにしても良いだろうか。

「一回逃げられてるからなぁ、やっぱり手段は選んじゃいけないよね」

くすりと哂う黄瀬に、あ、これ放置したらいけないやつだと感じた黒子は慌てて黄瀬の腕を引いた。

「黄瀬くん、黄瀬くん」
「何、黒子っち」

笑顔で振り返る彼の、その目の奥に昏い光があるのを黒子は見逃さない。役に入り込んだのか本質が出たのかは精神衛生上問い質さないことにする。我が身の安全第一である。

「僕は君から逃げたりしませんから、そんな危ないことは考えたら駄目ですよ」
「やだなぁ。そんなこと考えてないっスよ」

いつもの大型犬に戻った黄瀬に安堵した黒子は知らない。



「でも、万が一ってこともあるっスよね」



そう黄瀬が呟いたことを。







その後、オンエアされたドラマで件のシーンを見た黒子は愕然とした。

一畳ほどの金属製の檻の中、鎖に繋がれて空を見る少女と、ハイライトの消えた瞳で少女を見つめる黄瀬の姿。

『大丈夫、俺がずっと守ってあげるから』

恍惚の表情で少女を背後から抱きしめて哂う黄瀬の姿に、この少女の姿が選択肢を間違えた黒子の未来なのだと悟るには十分だった。
あれ、こんな話でしたっけと首を捻る黒子に、黄瀬は監督が黄瀬の演技を気に入ってシナリオを変更したと満面の笑みで報告してきた。

ちなみに深夜番組、更にはかなり過激なラストだったにも関わらずドラマの視聴率はかなり高く続編の企画が上がっているらしい。



  • 15.11.23