帝光中学に入学して半年。
それなりに友人も増え新しい学校にも慣れてきた頃、ある噂が密かに生徒たちの間で囁かれていた。
『あの赤司征十郎に好きな子がいる』
だからどうしたと言ってしまえばそれまでの単なる噂だが、話題の相手が相手なだけに学校中――――特に1年生の間で赤司の好きな子は誰だと捜索が始まった。
A組の佐々木さんはクラス一の美少女だから彼女ではないか、いやB組の加藤さんは運動神経も良くて男子から人気高いし、それを言うならC組の斎藤さんは名家のお嬢さんだから赤司とは釣り合いが取れてるだの、だったらD組の渡辺さんは良く赤司と一緒に話してるの見たぜ、などなど、最早候補者は2ケタに迫る勢いであるが生憎本命が誰かは今のところわかっていない。
バスケ部関連ではマネージャーの桃井さんではないかという話らしいが、彼女が赤司と接する機会は非常に少なく赤司が彼女と話す姿を見たことがないどころか目で追っている姿すら皆無であることからその噂は一瞬で消えた。
全員の共通点は全て同じ。一目を引く美少女であること。
これは「赤司が好きになるのだから美人に違いない」という思い込みから来ているらしい。
実際赤司が女性の容貌の優劣で態度を変えたことなど一度もないのだが、何故かそういうことになってしまっている。
おそらく同性の嫉妬も多分に含まれているのだろう。
『赤司が好きになる女性ならば自分たちより美人じゃなければ認めない』という無意識の選別だ。
噂は尾ひれをつけてどんどん広まっていく。それこそ本人からの否定もないままに。
そんな騒動の中、黒子テツナは噂話に花を咲かせていく友人たちを眺めながら呑気にブリックパックのいちごミルクを飲んでいる。
(良くもまぁ皆さん、他人の恋愛事情に首をつっこみたがるんですね)
テツナにとって赤司とは雲の上の存在であり、話し掛けることはおろか目を合わせたことがないほど遠い人である。
同じ1年生とは言っても相手は新入生代表に選ばれるほど優秀な生徒で、こちらは哀しいまでに平均的な一般人だ。
特別な感情を抱きもしなければ、彼がどこの誰を好きだろうが全くもって関係ないのだが、そう思っているのはクラスでテツナただ1人だけだったようだ。
休み時間になれば赤司の想い人を突き止めようと推理を巡らし、学校内で赤司を見かけたら追跡尾行。本人たちは隠れているようでも傍から見ればあからさまである。聡明と言われる赤司が気づいていないはずがない。
ちょっとだけ赤司が可哀相だよなぁとか思うけれど、これが有名税というやつかと納得してしまう程度には赤司は帝光中学で有名人だった。
噂は2週間経っても沈静化するどころか益々悪化していった。
何故だか赤司の情報が小出しに披露されるようになり、『運動部ではないらしい』とか『身長は高くないらしい』とか少しずつ明らかになる赤司の想い人情報に、当初複数いた候補者はあっという間に減っていく。
まるで推理ゲームのようだと面白がっている人が半分、もしかしたら自分かもしれないと浮き足立ってきているものが少数、ここまできたら意地でも突き止めてやると躍起になっている者多数と言った感じで噂は駆け足で広まっていく。
その頃にはおそらく全校生徒が周知の事実となっていた。
どういうことか教師から抑止の声が出ることもなく、又、赤司本人から否定の言葉が上がることもないため、生徒たちはエスカレートしていった。
その騒動たるや、赤司本人に問い詰める者がいないのが不思議なくらいだ。
おそらくこの噂をゲームのように楽しんでいる者たちが「それはルール違反だ」とでも言ったのだろう。
どちらにしろこの噂のせいで女子生徒は色めき立っており男子生徒は面白そうに女子生徒の品定めをするようになっているので、一刻も早く終わらせてもらいたいところである。
「そういえば、赤司くんの好きな人って、黒子さんも該当者に入るよね」
ある時、クラスの1人がそんなことを言ったものだから、それまで穏やかだったテツナの周囲は一気に騒々しくなってしまった。
常識で考えたら会話どころか顔を合わせたこともないテツナのどこを赤司が好きになるのだと思うのだが、ゲームとして楽しんでいた者以上に真剣だった女子生徒にはテツナの言葉は届かなかった。
そういえばそうかも、でも黒子さんだよ、そうだよ黒子さん地味じゃん、だけど黒子さん結構可愛いよ、などなど、本人の聞こえるところでひそひそこそこそと囁かれる始末。本当に勘弁してほしい。
その日を境にテツナの周囲からそこそこ仲の良かった友人が消えた。
女の友情というものは堅固なようでいて結構脆い。特に色恋が関わると覿面に壊れる。それこそ再起不能なまでに。
哀しいことにテツナはそれを小学校時代に経験している。
「私たち、親友だよね」とか言っていた子が翌日には「顔も見たくない、近寄らないで」とか平気で言うのである。恋心って怖い。
ちなみに一度目の元凶は幼馴染だった。そのため中学入学と同時に幼馴染には「学校では絶対に話し掛けるな」と厳命しておいたので今のところ平和だったのだが、思わぬところで思わぬ攻撃を受けてしまったようだ。
否定して回ったところで焼け石に水、暖簾に腕押し。つまりは無意味。
気が付けばテツナは一人になっていた。時折話しかけてくれる女の子は赤司に興味のない人か純粋にテツナ個人を気に入ってくれている友人だけだったが、彼女たちもトラブルを回避するかのように滅多にテツナに近寄らなくなってしまった。
申し訳なさそうにテツナを見る彼女たちに仕方ないなと思う。
トラブルに巻き込まれたくないのは誰でも同じだ。彼女たちの判断は間違っていない。
とは言えあくまでもテツナは「赤司が好きな子に条件があてはまる」だけの存在で、今のところは単なる候補者の1人である。
どうせそのうち新たな情報が回るようになりあっという間に除外されるに決まっていると、テツナは事態を楽観視していた。
そんなテツナに追い打ちをかけるように出てきた情報は『帰宅部である』ということ。
候補者の半数が除外されたが帰宅部のテツナはそのまま保留された。
次に出てきた情報は『読書好き』。
自他共に認める本の虫であるテツナはこれまた保留されてしまった。
次第に女子生徒の視線が厳しくなっているのを感じたテツナは、もういっそ赤司に突撃して事の真偽を確かめるしかないと決断した。
ルール違反だとか騒ぐ男子はいるかもしれないが、テツナにとってはそんなルールなど快適な学校生活に比べたら何てことはない。
流石に「赤司くん、ボクのこと好きなんですか?」とか聞くほど厚顔無恥ではないので、何気ない会話からやんわりと否定してもらえたらなぁとか思っていた。
だが、赤司とテツナの接点はゼロに等しい。
片やバスケ部の期待の新人、片や影の薄い帰宅部。接点があるわけないのだ。
ないのだから赤司が片思いするはずないということに気付いてほしいのだが、どういうわけか女子生徒に行っても通用しないのが哀しい。
幸い赤司とは接点ないが、バスケ部には幼馴染が在籍している。しかも一軍である。
彼に頼んでテツナのことだけでも否定してもらえないかと、普段なら近寄りもしなかった第一体育館へ足を運んだ。
もうすぐ大会が近いからか練習は熱を帯びている。
部外者が声をかけて邪魔してはいけないと思い休憩時間になるのを待っていると、ロードワークから帰ってきた部員たちが物珍しそうにテツナを眺めては通り過ぎていく。
その中に目当ての幼馴染の姿を見つけて手招きをした。
「……何なのだよ」
「いいからこっち来てください」
言われるままに小走りで駆け寄ってきたのは緑間真太郎。
生まれた時から家が隣同士だったため一緒にいる幼馴染である。
学校では距離を取るようにと告げて以来何故かツンデレに目覚めてしまったようだが、話し掛ければ答えてくれるのであまり気にはしていない。
「真太郎くんはあの噂を知ってますよね」
「噂? 何のことなのだよ」
「…………そうでした、君はそういう人でした」
本気でわからないと言った態度にテツナはがっくりと項垂れた。
そういえばこの幼馴染、噂や陰口が大嫌いだった。
全校生徒が知っているだろう噂を知らなくても無理はない。彼はどこまで行ってもゴーイングマイウェイなのだから。
「とりあえず、かくかくしかじかというわけなので赤司くんに確認してください」
「何で俺が聞かなくてはいけないのだよ。聞きたければお前が直接話せば良いだろう」
「それができないから頼んでるんじゃないですか。いいから行ってきてください」
「ぐはっ」
不満そうに眉を顰めた緑間に、怒りたいのはこちらだと言わんばかりにテツナは脇腹に手刀を叩き込んだ。いつものことなので気にしない。
緑間は諦めたように赤司の元へと歩いていき、そして何やら話しかけられた赤司がテツナの方へ振り向いた。
意志の強そうな双眸がテツナを認めてふわりと細められ、テツナは思わず背筋に寒いものを感じた。
見目麗しい少年の微笑、周囲から悲鳴が上がるほど綺麗なそれに、何故怖いと思ってしまったのか、その時のテツナにはわからなかった。
「やあ、黒子さん」
彼はそう言って気安く話しかけてきた。
テツナの記憶が確かなら初対面。話をするのも初めてなら、目があったのも今日が初めてのような気がするのだが。
視線の端で緑間が額を押さえている。何か言われでもしたのだろうか。
「君、緑間の幼馴染なんだってね」
「はい。家が隣同士なもので」
「羨ましいね」
「………はい?」
ここじゃ騒がしいからと背中を押されて体育館から移動させられた。
何で2人きりになるのか理由がわからない。テツナはただ噂を否定してほしかっただけなのだ。
否、好きな人がいるのは構わない。ただ、その相手が「黒子テツナではない」ということを告げてほしかっただけなのだが。
どうして人気のない体育館の裏に移動しているのだろう。しかもさりげなく背を押されていたはずの手はテツナの肩を掴んでおり、先ほどより密着されている。
赤司はお坊ちゃんだから女性はエスコートするものだと思っているのかもしれない。そうだそうに決まっていると思いながらテツナは促されるまま場所を移動していく。
「ところで黒子さん。君、帰宅部だよね」
「はい」
「どこか部活に入る予定は?」
「今のところありません」
「バスケットに興味は?」
「真――緑間くんがバスケしているのに付き合ったことなら何度か」
「ルールは?」
「人並みでしたら、一応」
「料理は?」
「得意料理はゆで卵ですが、和食なら基本的なものなら作れます」
「それは素晴らしい。一度ご馳走になりたいね」
「えと……」
「あ、体力に自信はあるかな?」
「あまりありません。200メートル全力疾走するともれなく倒れます」
「好きな食べ物は?」
「マジバのバニラシェイクです」
「マジバか。俺は食べたことないな」
「本当ですか? あんなに美味しいのに勿体ない」
「そうだね。今度挑戦してみるよ」
そんな色気の欠片もない会話をいくつか交わし、そして気が付いた時にはマネージャーを引き受けていた。
何がどうしてそうなったかテツナにも分からない。
話の流れでも何でもなく、普通に会話していたはずなのに。
頭にクエスチョンマークをいくつも浮かべたまま手を引かれて体育館に戻ったテツナは、そのまま桃井に引き渡され、そうしてマネージャーの仕事を教わることになった。
当然のことながら部活に入部したことによりテツナの帰宅は遅くなったが、隣人の緑間がいるため帰り道で危険な目に遭うこともなく、小学校のように登下校を一緒にするようになり緑間のツンが若干ログアウトしたらしいがテツナに対する態度は相変わらずなので気が付かない。
その後、赤司の好きな人情報に『バスケ部のマネージャー』が追加され、ほとんどの人には想い人が判明したのだが最後の情報だけはテツナに伝わることはなかった。
彼女は今日も元気に一軍のマネージャーとして働いている。
〜おまけ〜
赤「黒子、重いだろう。少し持つよ」
黒「大丈夫ですって、あっ」
赤「ほら、ね。無理をしては駄目だ」
黒「………すみません」
赤「気にするな。今みたいに転んで何かあったら大変だから。ほら、貸して」
黒「……赤司くんは優しいんですね」
赤「聖人君子じゃないし、誰にでも優しいってわけじゃないよ」
黒「そうですか(マネージャーには優しいってことですね)」
青「……おい、あれで気づいてないってマジか?」
緑「テ――黒子の鈍さは天下一なのだよ」
青「緑間、お前、今、テツナって言いかけなかったか」
緑「つい癖が出たのだよ。学校では呼ばないように気を付けている」
紫「ってことは家では呼び捨てってことだよね。赤ちんにばれないようにした方がいいよ」
緑「わかってるのだよ。ただでさえ家が隣だというだけで警戒されてるのだからな」
青「めんどくせー。とっとと告っちまえばいいのに」
紫「それが出来てたらあんな回りくどいことやらないし」
緑「何の話だ?」
紫「みどちんには関係ない話〜」
- 14.08.20