Sub menu


テツヤさんが束の間の平和を満喫していたようです


黒子テツヤが職場を強制退職させられた挙句に新たな職場に就職してから数日が経過した。
新しい職場に対しての不満は今のところない。
高給高待遇の割には仕事内容があまりにも少ないような気がしなくもないが、それを言ったところで改善される可能性は低いだろう。
何しろテツヤがこの邸――――赤司邸に滞在しているのは帝光苑を退職するためだ。
生まれて初めて働いた思い出の場所である帝光苑を去るのは若干どころでない寂しさを感じたものだが、テツヤの存在が花街のパワーバランスを乱すと言われてしまえば反対などできるはずもない。
確かに花街がひと月で稼ぐ金額をテツヤがたった1人で稼いだりすれば文句の1つや2つも出るだろう。
ちなみにその時は黄瀬と青峰の予約がブッキングし(基本、青峰は予約なしで来店することが多い)、残暑の厳しさにテツヤの体調を案じた緑間が診察と称して来店したことが原因である。 たった1人でも上得意客の数倍の金を落としていくキセキが3人揃えば、それはもうとんでもない額の稼ぎになるのだ。
ちなみにその月のテツヤの稼ぎは帝都で働く会社員が血の涙を流して悔しがるレベルで高額だった。

流石のテツヤも思わず給料明細を二度見した程である。
計算ミスではないかと思ったものの悲しいかなこれは紛れもなく現実で、最低でも週に一度はキセキの客が来店するせいでテツヤの給料が下がることはほとんどない。
テツヤの給料に加算されるのは指名料のほんの一部。一部でこれということは帝光苑に落とされる金額はどれほどのものなのか。
確かに花街のパワーバランスが崩れると危惧するのも当然だろう。
聞くところによれば「赤司」は花街を含めた帝都の一部を管理しているらしい。
一部の店だけが暴利を貪り、それにより他の遊郭が廃れていくような事態は好ましくない。
元凶であるテツヤを退職させようとした赤司は間違っていないだろう。

そんな理由で職を失ったテツヤであるが、捨てる神あれば拾う神ありとでも言うべきだろうか、強制退職させた赤司によってテツヤは新たな雇用先を得た。――――赤司邸の家人である。
テツヤは単純に新たな職場を世話してくれた親切な人と思っているかもしれないが、事情を知った全てのキセキは思った。


「赤司の野郎、上手いことやりやがった」


と―――――。

元凶と言えば聞こえは悪いが、要はキセキがテツヤに一方的に懸想しているだけである。
テツヤの毒舌に心をときめかせ、テツヤの無邪気な姿に癒しを感じ、テツヤをラッキーアイテムに見立てて抱き枕にしたり、テツヤの無表情が美味しいスイーツによりへにゃりと綻ぶ姿を堪能したりしているだけなのだ。
何がいけないのだと豪語するキセキに赤司の想いは通じていない。

彼らはたまたまテツヤを気に入っただけだ。
だがテツヤの就職先が遊郭であるため、勤務中の従業員を借りるために普段より割増の金額を提示してテツヤを独占しているのはキセキの方である。
そのせいで通常業務が行えないテツヤとか仕事前のモチベーションを上げることのできない遊女とかぱたぱた走り回るテツヤの姿を堪能できない常連客とか諸々の弊害が起きているので、むしろ元凶はテツヤではなくキセキなのだという意見は少なくない。
筆頭格は遊女のお姐さん方だが。

テツヤを辞めさせるのならうちで雇用したいと言い出したのは誰が先か、おそらくほぼ同時に全員が口にしただろうとは思うが、遊女のお姐さん方は却下である。大却下だ。
誰が可愛い可愛いテツヤを手籠めにしようと企んでいる危ない男に渡すことができるだろうか。
ちなみにテツヤの信頼を得ている緑間医師だが、遊女センサーは彼を要注意人物だと認識している。
遊女の本能恐るべしである。

「どうせ何も知らないテッちゃんに親切面してあんなことやこんなことをやらかすつもりだわ。何も知らないテッちゃんですもの、『緑間先生の言うことなら正しいんですよね』とか言ってあんな恰好やらこんな恰好やらさせられた挙句、『注射をしてやるのだよ』とか言って緑間マグナムをテッちゃんに………。けしからん、もっとやれ。ただし二次に限る。現実では却下」

とか腐れたお姐さんが暴走したのはテツヤには内緒である。
大慌てで否定する緑間が挙動不審だったのはもしかしたら疚しいところがあったのかもしれないともっぱらの噂である。
ちなみに黄瀬と青峰は最初からセクハラ発言及び行動が多かったため、欠片も信頼されていない。
黄瀬はテツヤの嫌がることはしないから基本的には安全パイだろうと思われているが、だがしかし青峰てめーは駄目だ状態である。
解せぬと首をひねる青峰は、己の所業を一度顧みるべきだとは遊女の談。

紫原はお菓子の妖精さんなので遊女の警戒は限りなく低い。
だけど妖精すぎて思考が読めないので、気が付いたらテツヤがぱっくり食べられてましたという事態がないとも限らないと無条件に信頼することはできない。

そんなわけで現時点でテツヤに対するセクハラ発言及び行動がない赤司がテツヤを引き取ったことに対して遊女はそれほど文句はない。
勿論大事なテツヤを連れ去った赤司に対して何も思うところがないと言えば嘘になるが、何しろ相手は「赤司」である。
花街だけでなく帝都でも知らない者はいないという「赤司」。
その当主が20代前半のまだ若い青年であることは知らなかったが、彼が連れていってしまったのならば表立って騒ぐことはできない。
「赤司」に逆らうことはイコール国に逆らうことと同義なのである。
何その権力と思わなくもないが、桁違いの権力と財力を誇るキセキの頂点に立つ人物なのだから仕方ない。
とりあえず赤司の下にいるのならテツヤの身は安泰。
暴君という噂は聞かないから、お願いすればテツヤとの再会も叶うかもしれないと遊女たちは泣く泣く納得した。

だがしかし、遊女たちは知らなかった。
完全防備の警備を誇る赤司邸に黄色い駄犬が忍び込もうとしていたり、青い暴君が不法侵入を試みようとして御庭番や番犬に追い掛け回されたりしていることを。
そして彼らの執念にとうとう赤司邸のセキュリティが白旗を掲げることとなることも、遊女たちはもとより赤司本人ですら予想していなかったに違いない。







   ◇◆◇   ◇◆◇







テツヤの朝は早い。
帝光苑は宵っ張りの場所であり基本的に朝はそれほど早くなかったが、テツヤは元々田舎生まれの田舎育ちであるために朝日が昇ると同時に目が覚めるのは普通のことだ。
寝る子は育つという赤司の自論のせいでテツヤの就寝時間は11時と決まっている。
7時間ぐっすりと眠れば若い身体は前日の疲労を持ちこすことなく朝を迎え、テツヤは今朝もすっきりと目を覚ました。
ベッドの中で伸びをして起き上がろうとしたテツヤは、何やら身体が重たいことに気が付いた。
テツヤが両手両足を伸ばしてゴロゴロと転がっても余りあるベッドはテツヤの故郷の部屋ほどの大きさがある。つまりは規格外。
程良い固さのスプリングと肌触り抜群のシーツはテツヤのお気に入りで、あまりの気持ちの良さに無意識にシーツにくるまってしまい目が覚めたら身動きできない状態になっていたことも少なくないが、今朝のそれはいつもとは様子が違うようである。
まず、腹が苦しい。
お腹が痛いという意味ではない。何かが巻きついているのである。
何となく覚えがあるような気がしなくもないこの感触は、帝光苑にいた時には珍しくなかったけれど、ここに移ってきてからは一度も感じたことがないものだ。
気のせいといいたいけれど、気のせいにするにはあまりにも馴染みすぎている重みにシーツをめくりあげて自分の腹部を覗き込んでみれば、自分のものより一回り以上も大きな手がこれでもかと身体を抱きしめていた。むしろまとわりついていた。

(―――――――)

目を閉じて深呼吸を一つ。
そしてくるりと視線を背中へ回す。――――目に鮮やかな金髪が視界に入る。
すやすやと安らかな寝息を立てる美丈夫。女性なら眼福だと思うかもしれない。
爽やかな香りがふわりと漂ってきて、あぁこれは夢じゃないんだとテツヤは確信した。
できれば夢であってほしかったのは、ここが帝光苑ではなく赤司邸だからである。
テツヤが知る限りでも3メートルを超える門と頑丈な門扉。
常駐している2名の警備員と広大な敷地を歩き回る忠実な番犬。そして見たことはないけれど数人の御庭番。
どれほど卓越した泥棒であろうと決して忍び込まないと評判の赤司邸は別名「入らずの館」。
招待された客以外が侵入すればどうなるかわからないと一部で囁かれている、ある意味度胸試しにはうってつけの場所なのだ。ちなみに過去に数人無鉄砲な若者がいたらしいが、彼らのその後は誰も知らない。
赤司が黄瀬を家に入れたということも考えられるが、だが疑問が一つ。
彼が黄瀬を自分の寝室に入ることを許すだろうか。――――答えは否。
贔屓目に見なくても赤司は自分を可愛がってくれている。
帝光苑でのキセキの所業を知っている赤司がそのような暴挙を許すはずがないだろう。
特に青峰と黄瀬には幾度か貞操の危機的な目に遭わせられたことがある。勿論きちんと報復はしておいたが。
ではどういうことか。
目覚めたばかりだがそれなりに働いている脳が答えを導き出した。

こ い つ 、 忍 び 込 み や が っ た 。

テツヤの目がすぅっと据わる。
もぞもぞと身動きしてほんの少しだけ黄瀬との間に隙間を作る。
眠っていても黄瀬の腕はしっかりとテツヤを捕らえているために抜け出すことは無理なので、ここまでが限度なのだ。
念のため言っておくが、テツヤは黄瀬が嫌いなわけではない。
人懐こい笑顔は見ていると嬉しくなるほど無邪気なものだし、大型犬よろしく纏わりついてくるのも若干鬱陶しいと思うけれど気持ちに余裕がある時ならば可愛いと思えなくもない。
膝枕をしてあげた時の笑顔は格別で、甘える仕草は天才的ではないかとも思っている。

だがしかし、寝込みを襲われて黙っていられるほどテツヤは身の危険に無頓着ではない。
特に相手は眠っているテツヤの寝姿を絵師に描かせたり明け方まで堪能したり、悪戯心を起こして裸に剥かれたりした黄瀬だ。
テツヤが警戒するのには十分な理由だろう。

くるりと反転して拳を握りしめる。
テツヤの必殺技は掌底だが、横になった体勢のままだと威力は半減。
それなら手っ取り早く鳩尾を抉るように拳を叩きつけるのが効果はあるだろうと判断したのだ。
まったくもって容赦のない攻撃だが、日頃の態度が原因なので同情しないのが吉。


「う〜ん、黒子っち……大好きぃ」

へにゃりとしまりのない笑みを浮かべる黄瀬は現在夢の中である。
どうやらテツヤが登場してきているらしい。夢の内容は聞かない方が吉。だって色々酷かった。
テツヤが女体になっていたり監禁されていたり囲われていたり母親になっていたりした。テツヤにとってはとんだ悪夢である。

眠っていても可愛いなんて、何というあざとさ。
この可愛さは他の女性に見せるべきだと思う。
とりあえずテツヤに見せるよりは生産的だろう。

時計を見るとそろそろ起床時間。
テツヤに激甘な雇用主は多少の寝坊くらいで怒ったりはしないけれど、だからといって働いている以上寝坊はよろしくない。
ということでこの腕を離してもらわなくては。

テツヤは躊躇うことなく逞しい腹筋に拳をめりこませた。



「おはようございます、黄瀬くん。朝ですよ。起きやがれです」
「ぐほおおおぉぉぉっ!!」



爽やかな日本庭園に奇妙な叫びが響いた。







   ◇◆◇   ◇◆◇







ドン、とソファーに鎮座する姿が一つ。
その横にちょこんと座る小柄な姿が更に一つ。
決して大柄ではない赤と水色の2人の前に、大きな体を縮こまらせて正座するのは黄色い駄犬――――基、金髪の美丈夫。
テーブルの上に用意された玉露で喉を潤した赤司は、ひたりと目の前の駄犬を一瞥した。
右手に握られた鋏がシャキンと鋭い音を立てる。

「さて、涼太。辞世の句はもう出来たかな」
「まままままま待って! いきなり最後通牒とか酷過ぎるっス!」
「僕はお前をこの家に入れる許可を出した覚えはない」
「そんなの愛の前にはどんな妨害も無力っス」
「黙れ」
「きゃうんっ」

サクッと股間すれすれに鋏が突き刺さり、黄瀬が正座したまま飛び上った。
うわぁ器用だなぁとかずれた感想を抱いているテツヤは、この緊迫した空気をあまり理解していない。
テツヤにしてみれば勝手に部屋に侵入してきた客人(とテツヤは思っている)にちょっとばかり灸を据えてやってくれれば良いなぁと思っているだけなのだ。
まさかその灸が去勢だったり切腹だったりとは到底思っていないテツヤである。知らないって幸せ。

「前々から思っていたけれど、お前たちのテツヤに対する執着は少々どころではなく行き過ぎている。テツヤに会うためだけに一体どれだけの金を花街に落としてきた? 僕は花街に入り浸るなと言っておいたが、週に2度通うのは入り浸っていないとでも言うのか?」
「や……それは、だって黒子っちがそこにいるから」
「言い訳は嫌いだよ」
「ひぃっ! だって黒子っちに仕事をさぼらせるわけにいかないじゃないっスか!」
「お前が会いに行かなければ良いだけだ」
「そんなの嫌っス!!」

ヒュンッ、サクッ、トスッ。
そんな音を立てながら赤司の手から放たれた鋏が黄瀬の頬や頭上を掠めて背後の屏風に突き刺さっていく様にテツヤは言葉も出ない。
黄瀬は正座を崩さないまま首だけを動かして鋏を避けている。
重要文化財に登録されてもおかしくない源氏物語を題材にした屏風が無残にもハサミだらけになっている。損害金額がいくらになるかなんてテツヤは知らない。
とりあえず赤司家の財産管理人がショックで前髪が後退した程には高額だった。

「しかもテツヤのベッドに忍び込むとか、一体どういう神経をしているんだい。子供の睡眠時間を邪魔するほど外道になったとでも言うのか」
「黒子っちの寝顔は正義!」
「それは否定しない」
「hshsもprprも我慢したっス」
「それは犯罪だ」

眉間めがけて放たれた裁ち鋏をのけぞることで黄瀬はかわした。それ何てマ○リックス。
流石のテツヤもお仕置きレベルで済まないことに気がついた。ちょっとだけ遅かったが。

「あ、あの征十郎さん……」
「何だい、テツヤ。もうすぐあの駄犬を屠ってあげるからね」
「いや、あのそこまではしなくても………」
「テツヤは優しいね。だけど躾のなっていない犬はうちにはいらないんだ」

笑みを浮かべて硬直したテツヤの頬を撫でる赤司の声は蕩けるように甘い。
とりあえず黄瀬との温度差が半端なく激しい。大体において自業自得なのだが。
だが黄瀬はそんな赤司の態度は気にしない。彼が怒ると怖いのはいつものことである。
問題はそこではない。


「狡いっス!!」


今まで謝罪一辺倒だった黄瀬が不意に牙を剥いた。
見れば涙目である。
そこまで怖かったのかと思いきやそうではないらしい。

「何で赤司っちは黒子っちに名前で呼ばれてるんですか!! 俺も呼んで欲しいっス! 『涼太さん』でも『涼太くん』でも良いけど、『ダーリン』とか呼ばれたらもう最高っス」
「……………………」



とりあえずこの駄犬はやっぱり捨ててこよう。
異議なし。



そんなアイコンタクトが交わされたことを黄瀬は知らない。



  • 13.12.09