その日、テツヤは久しぶりにその場所へとやってきた。
生まれてから15年という歳月を過ごし、父や母、そして親しくしてくれた人達との思い出が詰まる生まれ故郷へと。
思い返すも忌々しい自称親戚に土地財産を全部奪われてから一度も帰ってきたことがなかったのだが、ようやく足を運ぶことができたのだ。
村に来た目的はただ1つ。
奪われた土地の一部を買い戻すためである。
正確には祖父母や両親が眠る墓だけであるが。
辺鄙な田舎の村にある僅かな土地である。
帝光苑の支配人を通じて紹介してもらった弁護士に手続きを済ませてもらい、既に土地の買戻しは終了している。
敢えて墓地だけに留めておいたのは、金銭的な問題ではない。
幸か不幸かテツヤはキセキの指名を連日受けているため、指名料だけでも結構な額となっている。
最初の契約に固定給+ボーナス制度ありということだったため、キセキの客がテツヤを指名するようになってからの給料は恐ろしい速度で右肩上がりである。
明細を見てひっくり返ったのは懐かしい記憶だ。
だから金銭的余裕はかなりある。
それこそ奪われた土地を倍の金額で買い戻しても数十年は遊んで暮らせるだけの貯蓄がある。
ちなみにこの金は帝都に来てから1年弱で溜まったものである。本気で恐ろしい。
だがしかし、今更家を取り戻したところでテツヤがあの村で生活していくのは難しいと判断したため、墓地だけの買い取りに落ち着いたのだ。
何が難しいと言えば、とりあえず全てにおいて攻略法がなかったとだけ言っておこう。
帝光苑の退社は当然のことながら固定客及び従業員全員の泣き落としにかかって断念。
むさくるしい男共の懇願など切って捨てることは可能だったが、綺麗で優しい遊女のお姐様方に涙ながらに「テッちゃんは私達のことが嫌い? 一緒にいるのも嫌?」とか言われたら「そんなことありませんよ。姐さん方のどこに不満なんてあるんですか。そんなことを言う男性がいたらイグナイトです( `・ω・´)キリッ」と答える以外に選択肢があるだろうか。
そして、何よりも厄介なのは遊郭に来て遊女ではないテツヤを指名して数日は居続ける上得意客の説得だった。
まずは黄瀬涼太。
いつもと変わらず差し入れの菓子を堪能し、時々膝枕、時々膝抱っこで時間を潰していた時に、「僕もそろそろ将来のことをしっかり考えないといけませんね」と、暗にいつまでここで働いているかわからないぞということを言ったのだが、脳内お天気な黄瀬の中ではどのような変換がされたのか、「じゃあ、俺もっと稼いで黒子っちに楽させてあげないとっスね。黒子っちのお婿さんになるんだから」と言われたのだ。
しかも恐ろしいことにこの発言はキセキ全員に言われたのである。解せぬ。
そして遠回しな発言では理解してもらえないということで「実家に戻って細々と暮らしていこうと思ってるんです」と正直に話してみた。
実家がここから遠い田舎の村だということは既に伝えてあった――というか何故か知られていたので分かってくれるだろうと思ったテツヤの考えは、それはもう果てしなく甘かった。
まず、泣かれた。
それはもう子供みたいに、大きな身体でテツヤの身体を拘束して号泣された。
更に黄色いワンコには、
「黒子っちがいなくなるなんて駄目っス。そんなの世界の損失っス。黒子っちがいないなんて、黒子っちがいないなんて、そんなの俺はどうやって生きていけば良いんっスか。……………あぁ、そうか。閉じ込めておけばどこにも行けないっスよね。ふふふ、黒子っちは俺の愛がわかってもらえないみたいだから、じっくり教え込まないといけないってことっスか」
とヤンデレがログインしているのではないかという形相で言われ、次いで青い暴君には、
「テツが俺の傍からいなくなる……? そんなの許されるわけがないよな。テツは俺の相棒で、一生俺と一緒にいるべきなんだ。どうしたら俺の傍に繋ぎ止めておけるんだ…あぁ、そうか。テツが俺なしで生きていられなくなるようにしちまえばいいんだ。とりあえずは身体からかな」
と何とも凶悪そうな笑みを浮かべて言われてしまった。
更に自称テツヤの主治医である緑間に至っては、
「よし、わかった。お前がそこまで言うのなら俺としても吝かではない。地方の医療を充実させるというのも医者に課せられた使命なのだよ。何、心配するな。俺と高尾がついていればどんな場所でもお前に風邪一つ引かせはしないのだよ」
と大変有難いけれど今いる患者どうするんだと言いたい台詞を真顔で吐かれた。
高尾の意見はまるっと無視なあたり良いのだろうかと疑問はあるが、高尾なら面白い方にあっさりついてくるだろう。
そんな気がした。
ちなみに帝都の妖精さんこと紫原に至っては、
「ん〜、黒ちんがいなくなるのは嫌だから、俺の店を黒ちんの故郷に出そう。そして俺がそこで働けば良いだけの話だよね。無問題」
とあっさり言われてしまい終了。
帝都の店も続くし、多分一番迷惑が少ないのではないかと思うが、有難く辞退させてもらった。
それらの言葉が彼らの偽らざる本音であることを察知したテツヤは、大慌てで計画を中止した。
故郷が恋しくないわけではないけれど、不特定多数の人に迷惑をかけてまで帰りたいわけではない。
そして何よりも自分の身の安全が第一である。
監禁、駄目、絶対。
そんなわけでテツヤの勤務先は相も変わらず帝光苑のまま。
キセキ専属接客係という肩書もそのままである。
だがしかし、やはり墓参りくらいはしておきたいので、支配人に無理を言って数日間の休暇を貰って帰省してきたのだ。
今頃帝光苑では黄色いワンコや青い暴君などがテツヤの不在に嘆いているかもしれないが、とりあえず数日で帰るので大人しく待っていて欲しいと思う。
間違っても監禁計画とか企てていないことを願いたい。
久しぶりに戻ってきた故郷は記憶の中と何一つ変わっていなかった。
集落と言って良い程小さな村だ。
村人より山羊や羊の数の方が多いため放牧地は多いけれど民家は少ない。
店は少なく、決して裕福とは言えない村だが、それでもテツヤにとってここはかけがえのない故郷であり懐かしい土地なのだ。
帝都では少なくなかった車はここでは皆無。
当然ながらタクシーなどという便利なものも存在しないため、移動手段と言えば徒歩か馬、時々馬車や荷車と言ったところか。
幸いテツヤの家があった場所は駅からそう遠くない。
とはいえ徒歩では30分は軽くかかるのだが、そのようなことは最初から想定内だ。
まず墓参りを済ませ、そして最後までテツヤのことを気にかけてくれた近所のおじさんを訪ねてみようと今後の計画を立てながらテツヤはてくてくと舗装されていない道を歩く。
視線の先には長閑な田舎の風景。
帝都の華やかさに慣れてしまえば殺風景にも見えるだろうが、テツヤはこの景色が好きだった。
しばらく歩いて目的の場所につき、すっかり荒れてしまった墓の周辺を掃除して供え物を並べ手を合わせる。
年に一度は墓参りに戻ってきたいとは思うけれど、勤務状況によってはそれもできないかもしれない。
今後不義理をしてしまうことになるかもしれないことを謝りつつ、亡き両親に墓地だけは買い戻した旨を伝えた。
冷たい墓石は何も答えてくれないけれど喜んでくれたのではないだろうか。
「テッちゃん?!」
「お久しぶりです、おじさん」
子供の頃から良くお邪魔した家の扉を叩けば、別れた時と変わらない人の良さそうな壮年の男性が姿を現わした。
親戚ではないテツヤを実の息子のように可愛がってくれた近所の住人だ。
全財産を没収されたテツヤに数日の寝床と衣服、それから当面の生活費を面倒見てくれた彼は、まさにテツヤにとって恩人である。
その生活費がなければテツヤは帝都に行くこともできなかったし、冗談抜きで野垂れ死ぬしか道はなかったと言っても良いだろう。
彼はテツヤの顔を見るなりくしゃりと表情を歪め、万感の思いを込めて抱きしめられた。
無事であったことを安堵する姿に、やはり顔を見せて良かったと心底思った。
今は帝都で働いていること、職場は良い人ばかりでとても可愛がってもらっているということ、待遇も給料も何一つ不満がないことを告げれば彼は更に泣いた。
どうやら感激しすぎて涙腺が壊れてしまっているようだ。
よかったなぁ、よかったなぁと何度も嬉しそうに笑う彼に、流石にどこで働いているかは言えなかったが。
勿論彼に告げた通り、テツヤは職場に何の不満もない。
顧客も、まぁ面倒がないと言ったら嘘になるが良い人ばかりで自分は恵まれていると実感する。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので、帰りの汽車の時間が迫っているためテツヤは別れを告げて家を出た。
駅まで送るよという言葉を丁寧に断り、見慣れた光景を目に焼き付けるようにゆっくりと歩いて駅まで向かった。
次にいつ訪れるか不明なので少しでもこの長閑な空気に浸っていたかったのだ。
だが、それが悪かったのだろう。
テツヤが駅に到着した時、汽車はほんの少しの差で出発してしまっていたのだ。
この村は田舎だ。
汽車は1日に2本しか来ない。
1本目は当然ながらテツヤが乗ってきた。
帰りの汽車を乗り過ごしたということは、明日にならないと移動手段がないということである。
帝都まで汽車を乗り継いで半日以上かかる距離。
とてもじゃないが歩いて帰るのは不可能だ。
とは言えここは観光地でも何でもない田舎の村で、当然のことながら宿泊施設などない。
3つ先の駅は昔の宿場町でもあったからそこまで行けば宿泊できるかもしれないが、果たして未成年であるテツヤが1人で泊まれる宿があるかどうか。
田舎の宿は飲み屋を兼ねていることが多く、その治安はあまり良いとはいえない。
(でも、このままここで夜を明かすわけにもいきませんし――)
真冬ではないとはいえ、野晒しの駅は野宿には不向きだし、そもそも野宿する体力はテツヤには備わっていない。
ここは一度戻っておじさんの家に泊めてもらうしかないのかと考え、だけどそこまで甘えるわけにもと考え直し、いやいや他に方法がないのだから仕方ない、などと二転三転する思考に頭を悩ませていると、遠くから光が見えた。
外灯のない田舎道では滅多に見ない、だけど帝都では見慣れた車のライトである。
珍しいこともあるものだと何となしにそれを眺めていれば、それはテツヤの前で停車した。
以前緑間に乗せてもらったような高級車にテツヤは更に首を捻った。
咄嗟に浮かんだのはテツヤを贔屓にしているキセキの客。
彼らならテツヤの故郷を探るのも簡単だし、数日留守にしているテツヤを迎えに来たという可能性がないわけではない。
だが、いくら何でもそこまでしないだろうと脳内で否定するテツヤは、まだ彼らに対する認識が甘いとしか言えないだろう。
実際緑間が迎えの車をかっ飛ばしていることは知らなくて良い事実だ。
テツヤの前で停止した車の窓がゆっくりと開いていく。
周囲に人影がない以上、車内にいる人物の目的がテツヤなのは間違いない。
一体誰だろうと思いながら開いていく窓を見つめ、そして後部座席にいる人物と目があった。
テツヤよりいくつか年上だろう、黄瀬や青峰と同年代かもしれない。
とても品の良い顔立ちをしている青年だがテツヤを見てかすかに笑った。
「やあ、こんな遅くにどうしたんだい?」
駅にいる自分に対してとても場違いな発言だと思ったが、何となく無視することができなくてテツヤは事情を説明した。
「それなら乗っていくといい。僕も用事を済ませてこれから帝都に帰るところだ」
「でも、悪いです」
「気にしないでいい。1人で長距離移動にも飽きてきたところでね。話し相手になってくれると嬉しい」
そう言って人好きのする笑顔を浮かべた青年は、そのままドアを開いてテツヤに乗るように促した。
口調は丁寧、物腰も柔らかくて押し付けがましいところは一つもない。
だというのに彼の言葉には逆らい難い何かがあるのか、個性的な人物を御することで定評のあるテツヤですら彼の言葉に逆らうことができなかった。
失礼しますと告げて車に乗り込む。
革張りのシートは座り心地が良く、帝都のタクシーとは比べものにならない豪華さだ。
キセキの1人である緑間が所有する車と同じかそれ以上。
多分、彼もそれなりに地位のある人物なのだろう。
そうでなければ運転手付の高級車などには乗らないし、明らかに既製品ではないとわかる仕立ての良いスーツなど着ていないはずだ。
このような田舎に用事があるような人物には見えないが、彼は一体何者なのだろう。
何度か喉から出かかった質問は、だが綺麗な笑顔によって発せられることはないまま会話は予想外に弾み、テツヤは安心安全に帝都まで送り届けられた。
礼をしたいからと名前を窺ったけれど、「困った人を助けるのは当然のことだから」と決して名を明かしてはくれなかった。
何て親切な人なんだろうと感激の眼差しで彼の車を見送り、テツヤは予定よりも数時間遅れて帝光苑へと帰宅した。
その後、休暇だということは伝えておいたはずなのに置いてけぼりをくらった飼い犬のように特別室から動かなかった黄瀬と青峰の機嫌を直すのに忙しかったため、その人物のことは記憶からすぱっと削除されていたのだが、テツヤはその後で彼と遭遇することになる。
そしてその日がテツヤにとって真の波乱に満ちた人生の始まりとなり、「何であの時気づかなかったんでしょうか僕の馬鹿、第六感きちんと働け」と嘆くことになるのだが、それはもう抗いがたい運命だったのだと諦めてもらうしかないだろう。
- 13.04.24