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テツヤさんがラッキーアイテムになったようです


それはある暑い日のことだった。
1人の遊女が着物を新調したいということで、最近帝都で人気だというデザイナーの帯を欲しいと希望した。
しかも珍しいことに顧客から贈り物として貰うのではなく、自分自身が稼いだ賃金で買いたいと言ったのだ。
常日頃から客に貢がれることに慣れている遊女が自分の金で高級品を購入することは珍しい。 だが衣類に関してこだわりの多い遊女は多く、特に最高級の遊女が揃っている帝光苑では今までにも何度かあったことなので、遊女の願いはあっさりと承諾された。 ただ、それはあくまでも購入を許可されただけであり、商品を購入する際の商談は自分たちで行うことが基本だった。
というのも彼女が選んだデザイナーがとても気難しい人物だったからである。
斬新なデザインは遊女のみならず多くの顧客を抱えている人物は、依頼人が気に入らない場合にはどれだけ金を積もうとも販売しない人物でも有名なのだ。
いくら花街で有名な遊女だからと言って特別扱いはしない。
その潔さが良いと多くの信奉者を集めているが、依頼人としては少しも気が抜けないので大変である。
実際依頼を断られた著名人は数知れず。
その多くは目の前で札束を積み重ねるという成金主義丸出しの行動を取っていたため自業自得としか言えないが、たまたま機嫌が悪い時に赴いた人物はとんだとばっちりである。

どうしても彼の製作する帯が欲しかった遊女は、帝光苑の最終兵器を派遣した。
言わずもがなの黒子テツヤである。
テッちゃんなら大丈夫と根拠のない太鼓判を押されたテツヤは、お駄賃の某有名店の創作和菓子に釣られて地図と依頼料を持たされて帝都へと赴いた。

だがこの時、誰もが失念していた。
テツヤは故郷から上京するなり即日花街で生活していたことを。
つまり、帝都の地理は壊滅的に知らなかったのである。
ということはどういうことか。

分かりやすく言えば迷子になったのだ。

14歳の少年が見知らぬ土地で迷子となれば、不安になるのも当然。
しっかり者と評判のテツヤとてそれは例外ではない。
だが頼まれた依頼はしっかりと終わらせなければいけないし、何よりもこのまま帰っては呉羽姐さんががっかりするという使命感の下、テツヤは不安を押し隠して依頼主の家を探した。
帝都の人は冷たいと言うけれど、流石に年端もいかない少年には優しかったらしく、駐在に連れられるまま目的の家に到着した時には、予定の時刻を半時ほど遅れるだけで済んだ。
帝都でも彼の我儘ぶりは有名だったようで、遅刻したとわかった時点でテツヤに同情的な眼差しを向ける人は多かった。
多分この少年も怒声と共に追い返されるのだろうなと、ただでさえ泣くのを堪えているテツヤに憐憫の情を浮かべた。

だが、そんな近隣住民の予想は見事に覆されたのである。

約束した時間に来ないような奴には売らん、と怒鳴りつけようと思った彼は、玄関を開けた先にいたのが年端もいかない少年であることに驚いた。
そしてその少年の瞳から大粒の涙がこぼれて更に戸惑った。
見知らぬ土地で迷子になって不安だったのだろう、そしてようやく辿り着いた目的地で目当ての人物と会えて安心したのか、緊張の糸がプツリと切れてしまったらしい。
大きな空色の瞳からポロポロと涙を流して遅刻を詫びる少年に、デザイナーは一瞬で陥落した。
普段の気難しい表情はどこへやら、「不安だったよな」とか「駅まで迎えに行けばよかったな、ごめんな」とかおろおろしながら頭を撫でたり涙を拭いたり、目撃者に言わせれば「誰だよこいつ」的な変貌ぶりだった。

ようやく泣き止んだテツヤが恥ずかしそうに頼んだ新作帯についても二つ返事で了承し、そしてお駄賃と言いながら高級和菓子を土産に渡したデザイナーは、それからしばらくしてテツヤをイメージした着物や帯を量産することになるのだが、とりあえずそれはまだ先の話である。

そんなこんなでひと波乱もふた波乱もありながら何とか初めてのお遣い(帝都バージョン)を終了させたテツヤは、花街へ戻るべく大通りを目指して歩き出した。
花街は帝都の中にあるとはいえ、中心からは外れている。
そして件のデザイナーの自宅兼仕事場は帝都でも花街とは真逆の外れに存在しており、それなりの距離が離れている。
デザイナーは車を呼ぶと言ってくれたが、テツヤはやんわりとそれを辞退した。
気難しいと評判の彼がそこまで気を遣ってくれるのは嬉しいのだが、依頼人ではあるものの単なる遣い走りのテツヤにそこまでしてもらうのも申し訳ない。
というのは建前で、本音は泣きはらした目が元に戻るまで少しでも時間を稼ぎたかったのだ。

テツヤは社会人として立派に働いているが、その年齢はまだ14歳。
裕福な家庭以外では就職していてもおかしくない年齢ではあるが、それでもまだ十分子供に分類される年齢だ。
別に迷子になって泣いても可笑しくないとは思うが、そこはテツヤの自尊心が許さなかった。
何よりもテツヤを溺愛してくれている遊女のお姐さんたちが気に病んでしまうかもしれないので、最低限目の腫れが通常に戻るまではと、就業時間まで時間があることからわざわざ遠回りをして帰ることを選んだのだ。
テツヤが気にするほど腫れているわけではないが、目敏いあの店の人たちには気づかれてしまうだろうと思ってのことだが、これがいけなかった。

季節は夏。
特に今年は猛暑だと言われるほどに暑い。
運の悪いことにテツヤが選んだ道は日陰になるような場所が少なく、帽子も日傘も用意していなかったテツヤの頭上からはさんさんと熱気が降り注いでくる。
そして、テツヤはあまり体力がある方ではない。
更には先ほど大泣きしたせいで体内の水分が不足していた。
案の定、テツヤは歩いている途中で眩暈を虚脱感を感じて足を止めた。

「テッちゃん、暑い日はきちんと水分補給しないと倒れちゃうよ」

と優しく教えてくれたのは誰だったか。
そういえば結構長い間水分を摂っていないぞと気づいた時にはもう遅く、テツヤはぐるぐると回る視界を何とかこじ開けようとするが視界は真っ暗で結構危険な状態だ。

「――い。おい、大丈夫か?」

そんな声が聞こえたような気がしたが、テツヤは深淵の闇に引きずり込まれるように崩れ落ちた。





目を開けると視界に入ってくるのは白い天井。
視線を巡らせると白いカーテンに周囲が覆われているようだ。
薬品の臭いもするので、ここはもしかしたら病院なのだろうか。
倒れたのかと自覚するのは、自身の身体が熱いから。
体調が悪いわけではなかったが、暑い日は熱中症というものになると聞いたことがあったので、多分それだろう。
眩暈は治まったが軽い吐き気と脱力感は残っている。
ここ最近暑さで食欲が落ちているのも原因かもしれない。
とりあえず早く帰らなければと思い起き上がろうとして、自分が何も身に着けていないことに気付いた。
身に纏っているのは肌触りの良いシーツのみ。
その中は全裸だった。驚くなという方が無理だ。

「―――――っ!!」

慌ててシーツを引き上げ全身を包み、ベッドの上で蹲る。
何がどうしてこうなったとか思い出そうとしても、道の真ん中で具合が悪くなったとしか思い出せない。
動いた拍子に足に何かが当たった。
シーツの中のそれを拾い上げてみれば、それは小さな氷嚢で数は3つ。
位置を考えればテツヤの両脇と足の間にあったようだ。

(何でしょう、これ?)

すっかり常温に戻っているということは、これでテツヤの身体を冷やしていたのだろうか。
医療に関しては素人なので良くわからない。

3つ並んだ氷嚢を前に首を傾げていると、カーテンの隙間から男性が顔を覗かせた。
釣り目の人好きをする青年はテツヤと目があるなり優しく笑った。

「お、目覚めたね。思ったより早かったな」

ベッドの上できょとんとしているテツヤを観察するように眺めて、それから背後へと振り返った。

「真ちゃーん。少年の目が覚めたよー」
「騒がしいのだよ。聞こえている」

青年がカーテンの奥へと引っ込み、ややして四方を取り囲んでいたカーテンが音を立てて開かれた。
姿を現わしたのは、見上げるほどの長身を持った青年だった。
緑色の髪と同色の瞳をした、繊細な顔立ちの美形だ。
体格で言えばキセキの1人である青峰と同じくらいではないだろうか。
白衣と知的な印象を与える眼鏡のせいで、与える印象はあまりにも違うが。

青年はテツヤを一瞥すると、おもむろに顎を持ち上げて顔を上向かせた。
至近距離からじろじろと見られるのは好きではないが、接し方が医者のそれなので大人しくしている。
カーテンが開かれたことによりここが病室であること、目の前の男性が白衣を身に着けていることから、彼を医者だと判断したのだが多分間違っていないだろう。
随分美形な医者もいたものだと若干感心しているのは秘密である。

「顔色も随分良くなってきてるようだな。眩暈はまだあるか?」
「あ、いいえ。もう大丈夫です」
「吐き気は?」
「さっきまでは少し……でも、今は平気です」
「体温も正常か。――熱中症と軽い栄養不足だな。きちんと食事を摂るように。目の前で倒れられては迷惑なのだよ」
「はい。…お手数をおかけして申し訳ありませんでした」
「………そういうわけではない」
「え――?」
「真ちゃんは、君が急に倒れたから心配してたんだよ」
「高尾!」

突然声が割り込んできたかと思えば、目の前にグラスが出された。
透明色の液体はおそらく水だ。
熱中症と診断されたテツヤに水分を摂るようにということなのだろうと受け取り一口飲む。
常温に近い温度の液体がほのかな甘みを伴って喉へと流れていく。

「水分と、塩分とミネラルも不足しているから、特製ドリンクだよ。美味いでしょ?」
「はい。初めて飲みました」
「俺のお手製だからね。患者さんにも人気なんだぜ」

子供のような笑顔で笑う青年は高尾と名乗った。
そして隣に立つ医者は緑間という名前なのも一緒に教えてもらった。
そういえばお互い自己紹介をしていないということに今更ながらに気付いた。やはり本調子ではないらしい。
そう思い名を名乗れば、2人が驚いたように目を瞠った。

「へぇ、君があの……」
「噂だけなのかと思ったのだよ」
「え? あの…」

じろじろと見られて何となく居心地が悪い。
恩人だとわかっているから大人しくしているものの、これが某黄色い人だったり青い人だったりした日には「何見てるんですか」くらい言えるのだが。
しかもテツヤは未だに裸である。
室内は外より遥かに気温が低いのでそろそろ肌寒くなってきているのだが、この状況で着替えをさせてくれと言うのは何となく憚られた。
シーツを羽織り直して身じろぎすると、そんな小さな仕草に気付いたのか高尾がどこからかテツヤの着ていた服を持ってきてくれた。
その間に緑間が再度診察を済ませ問題がないようだと診断して、ようやくテツヤは解放された。

時間はそれほど経過していなかったのか、太陽はまだ空に昇っていた。
だが大分傾いてきたために早く帰らないと仕事に遅れるかもしれない。
何よりも帰宅予定時間を大幅に過ぎてしまっているので、皆が心配していることだろう。
歩けば1時間ほどで帰れるはずと検討しながら2人に礼を告げてさあ帰ろうと一歩踏み出した足は、背後から襟足を掴んできた緑間によって止められた。

「あの……」
「――送ってやるのだよ」
「はぁ」

いつの間にか玄関前に黒塗りの高級車があった。
運転席では先程と同じ笑顔を浮かべている高尾の姿がある。
そのままぽい、と後部座席に放り込まれ、テツヤはまさかの高級車で帝光苑の正面玄関に乗りつけるという不思議体験を果たした。
最初こそ申し訳ないからと辞退していたテツヤだが、五月蠅いと口の中に練り切りを放り込まれて大人しくなった。
初対面のはずなのにテツヤの好物兼弱点を熟知している緑間真太郎という人物は何者なのだろうかとテツヤは口の中いっぱいに広がる絶妙な甘味を味わいながら思った。

だが、その疑念はすぐに解決した。
帝光苑の玄関前にテツヤと緑間を置いて出発した高尾を茫然と見送っていると、今度は小脇に抱えられて帝光苑の玄関へと運ばれたテツヤは、

「みっ、緑間様?!」
「ななな何でうちの従業員を連れていらっしゃるのでございますか?!」

と再度敬語がおかしくなっている従業員と対面した。
あれ、この展開は何だか見たことがあるぞと思ったテツヤは、嫌な予感そのまま小脇に抱えられたまま特別室へと運ばれた。

「緑間先生ってもしかして…」
「そ、テッちゃんお馴染みの『キセキ』のお客様。1年近く来てなかったんだけど…」

ようやく解放されたテツヤが同行してきた従業員に訊ねれば、予想通りの答えが返ってきた。
ここ数週間ですっかり見慣れてしまった特別室のソファーに座らされて、テツヤは小さくため息をついた。
緑間の姿は見えない。
おそらく奥の部屋で支配人と話でもしているのだろう。
多分、主にテツヤの貸し出しについて。
従業員だから従わなければならないが、遊女ではないので身体は売らないということだけ理解してもらえればいいやと思うテツヤは、何だかもう色々吹っ切れ過ぎていた。
しかも相手は緑間だし、命の恩人(大袈裟だが)である。

その後、やはり体力が落ちていたテツヤが緑間が戻ってくる前にソファーで転寝をしてしまうのだが、そんなテツヤに気づいた緑間がテツヤをお姫様抱っこで寝台に寝かせたり、その隣のように当然のように横になった緑間が小柄なテツヤを雁字搦めにするように抱きしめ、

「今日のラッキーアイテムなのだよ」

と呟いて、そのまま気絶するように眠りについたことをテツヤは知らない。

帝都で知らない者はいないという天才外科医・緑間真太郎が、運悪く重なった手術のせいで3日間の貫徹を余儀なくされた挙句、本日のラッキーアイテム『水色のお人形』が見つからなくて苛々していたことなど当然知らないし、その後も幾度となく訪れてくるせいで一部からテツヤが『キセキのラッキーアイテム』とか呼ばれるようになるのも、当然のことながら知らないのである。


  • 13.03.15