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テツヤさんが大型のわんこを手懐けたようです


従業員専用口から職場に戻ったテツヤは壁にかかっていた時計をちらりと見て、まだ休憩時間であることを確認してから目当ての遊女の部屋へ向かうべく階段を上がろうとした。
手には5つの花束。
1つ1つは小さいものだが5つもあると流石に嵩張るので、階段を上がる時にはうっかりと落としたり足を滑らせたりしないようにゆっくりと上るのだが、これもいつものことだ。
テツヤは基本的に足音を立てないのだが、そうしてゆっくりと歩くと完璧に気配が消える。
最初の頃は幽霊かと怯えられたものだが数を重ねれば誰もが慣れていくらしく、仄かに薫る花の匂いでテツヤが来たのだと気づくようになっていったらしい。
仕事の前に遊女が会話に花を咲かせる待機室へと近づけば、両手が塞がっているだろうと気を利かせた遊女が扉を開けてくれた。

「いらっしゃい、テッちゃん」
「ありがとうございます、芙蓉姐さん。皆さん勢揃いで何よりです」

待機室にいたのは十人前後の遊女の姿。
その中にテツヤが探していた人物が全員いたのは幸運だった。
帝光苑は広い上に仕事前の遊女は基本的に自室にいないので探すのが大変なのだ。
待機室、三味線の稽古場、舞踊の稽古場、浴場、髪結い室など。
夜の客の相手をしていればいいだけと思われがちな遊女だが、当然のことながら身体しか売らないようでは客は飽きてしまうのだ。
しかも帝光苑は花街一の妓楼である。
春だけ売っているような遊女はほとんどおらず、巧みな話術と客を魅了する楽や舞などで固定客を繋ぎ止めている女性がほとんどだ。
そのため日々の練習を欠かすことのない彼女達を探すのは大変なのだが、今日はテツヤが花をプレゼントしてくれる日であるため、心当たりのある遊女はテツヤが訪ねてきそうな時間を見計らって待機室に集まっているのだが、テツヤはそこまでの事情を知らない。

「えと、全員同じ花になってしまって申し訳ないのですが、お姐さん方に似合う色を選んでみました。僕の趣味なので好きじゃない花もあるかもしれませんが勘弁してください」
「あらやだ、テッちゃんが選んでくれた花に文句なんてあるわけないじゃない」
「そうよそうよ。こんな年嵩のお姐さんに可愛らしい花を見繕ってくれてすごく嬉しいんだから」
「豪華な花ってもらいすぎると飽きるのよね。清楚な花は見ているだけで優しくなれるから大好きよ」
「テッちゃんから貰えるだけで嬉しいのよ」
「そう言っていただけると嬉しいです」

女性達の優しい言葉に、テツヤの滅多に動かない表情筋が僅かに綻んだ。
にこ、と小さく微笑むテツヤに遊女が黄色い悲鳴を上げる。
何て可愛いの私達のテッちゃん、と悶える彼女達は正しい。
可愛いは正義。
遊女達にとってテツヤはアイドルであり我らが弟である。
当然ながら花を貰ってはいさようならというわけにはいかない。
昨日旦那様にもらったのよと1人の遊女が饅頭を取り出せば、もう1人の遊女も珍しい舶来の品なんですってとチョコレートをテツヤの前に差し出す。
テツヤは小食だが甘いものが大好きだ。
あまりお菓子ばかり食べてると食事が入らなくなるとはわかっていても、目の前に食べたことのない甘味があれば手が伸びるのは当然。
夕食まであと少しありますしと差し出されたお菓子を有難くいただく。
何故だか「はい、あーん」状態なのは気にしない。
何しろつい先ほどまで花束を抱えていたので手を洗っていないからだ。
もぐもぐと大福を頬張り、次いで甘く蕩けるチョコレートをゆっくりと味わう。
テツヤの無表情が更に崩れてへにゃりと笑みがこぼれた。

「これで1日頑張れるわ」

満足した笑顔で自室へ戻る遊女を見送り、テツヤもそろそろ夕方の仕事に取り掛かるべく待機室を後にした。
とは言ってもテツヤの仕事はそれほど多くない。
力仕事ではまったく役に立たないからだ。

「とりあえず厨房でも手伝ってきましょうか」

早めの客ならそろそろやってきてもおかしくはない。
料理はできないが酒を運ぶくらいはできるので、いつものように厨房へと向かおうとして――何故だか廊下の隅で頭を抱えている従業員達の姿を見かけた。

「うおぉぉぉぉ! 恐れていた事態がついに…っ」
「地獄が…地獄が俺を待っている…っ」
「誰が支配人に報告に行くんだ? 俺は嫌だぞ! まだ死にたくないんだ!!」
「バカ! 誰だって好んで死地に赴きたがる奴がいるかっ。お前が接客したんだからお前が行くのが筋だろ!」
「つか、キセリョいつまで待たせるんだよ! キセキの中じゃ温厚な人だが、怒らせたら大変なのは一緒なんだからな!」
「じゃあお前は我らがテッちゃんを差し出せるのか?! 『俺に逆らったらこの店潰すっスよ』『そんな……』『テツナっちが大人しくしてたら今以上に贔屓にしてあげるっス』『やだ…怖い、です…』なんて展開になったらどうすんだよ! おのれキセリョ。俺らのテッちゃんを!!」

「あの、先ほどから何してるんですか?」

「「「テッちゃんんん?!」」」

支配人室の前でお前行け、いや、お前こそ行けと押し合いながら嘆きついでに聞き覚えのない名前を恨めしそうに叫んでいる同僚の姿に声をかければ、全員が床から30センチは軽く飛び上って驚いた。
テツヤは気配が薄い。
声を掛けられるまで気づかれないことは多々あるが、先ほどの状況では普通の人でも気づかれなかっただろう。
それほどに彼らは周りが見えていなかった。

「支配人に用事ですか? 急ぎなら早く報告した方がいいと思うんですが…」

親切心でそう告げれば、従業員は見るからにうなだれた様子でテツヤの頭を撫でた。

「うん…そうなんだけどね」 「嫌なことから逃げたいっていう微妙な男心があるんだよ」
「支配人に話したらテッちゃんも巻き込まれちゃうから、お兄さんとしては阻止したいんだけど、阻止するともっと大変なことになっちゃう恐ろしい事態なんだ…」
「何ですかそれは」

この世の終わりのような顔の従業員にテツヤが不思議そうに首をひねる。
遊郭でトラブルはつきものだ。
その手の問題には慣れていると思われる従業員達がここまで嫌がる事態というのが想像つかない。
と言っても遊郭勤務歴が1年未満のテツヤにとって理解していないことの方が多いのだが。

「今すぐ報告して支配人に怒られるのと、引き伸ばしてもっと怒られるのと、どちらが良いんですか?」
「なんて究極の選択…っ」
「テッちゃんのドS」
「今すぐ報告した方がいいんだよなぁ。下手したら店の存続問題になるかもだし」

とっても嫌だけど、と言いながらも従業員の決意がようやく固まったらしい。
支配人室の扉をノックしようと思った直前、ガチャリ、という音と共に扉が開かれた。
そこに立っていたのは花街一の敏腕経営者と名高い支配人の姿。



「へぇ、じゃあ今すぐ報告してもらおうかしら。男共」



その言葉が死刑宣告に聞こえたと、後に従業員の1人は語った。







『とってもとってもとってもとっても気が進まないんだけど、黒子くんに直接出向いてもらわないとダメかもしれないの』

事情を説明してもらったこめかみに指を押し当てながらも、それしか方法がないと溜息をついた。
始めは何のことだかわからなかったテツヤだが、従業員が蒼白な顔色で事情を説明することと、全てを聞き終えた支配人が頭を抱えたことから厄介なことだとはわかったが、雇用主からそう言われて断れる従業員がいるだろうか。
否、テツヤが「嫌です」と言おうものなら支配人は何とかしてくれるかもしれないが、そうなったらその後がとっても面倒なことになるのは間違いない。
実物は見たことがないけれど、噂では国家権力と繋がりがあるとか他国に顔も利くとか、もう『権力持ってます逆らったらどうなるかわかってるよね』的な相手だということなので、新米従業員は大人しく支配人の言葉に頷くしかないのだ。

まぁ、キセキだろうが華族だろうが、理不尽な命令をされたら問答無用でイグナイトかますつもりではあるが。

とりあえず妥協できるのは酒の相手まで。
勿論未成年であるテツヤが酒を付き合うことはできないから酌をするくらいしかできない。
それ以上――つまり同衾とか夜伽とか手慰みとかが目的だったら即刻お帰りいただきたいところだ。
テツヤはあくまでも従業員(見習い)であって遊女ではないのだから。
そんなことを思いながらも、恩義ある店に不義理をするわけにはいかないので、どうにもならなくなったら泣き寝入りしかないのかなぁとちょっとだけ自分の境遇を嘆いてみたりもした。
大人しく泣き寝入るつもりはないが。

「失礼します」

支配人の後ろについて特別室の扉をくぐる。
テツヤが掃除した部屋とはまた違う趣の部屋だが、こちらも趣味の良い豪華な部屋だった。
高級感漂う室内の2人掛けのソファーで優雅に足を組んで寛ぐ美形の青年。
まるで絵画の題材になりそうなほど絵になる光景にテツヤは一瞬だけ見惚れた。
花街は美形が多いため男性従業員もそれなりに見れる外見の人が揃っているが、そんなの比べものにならないほどの美形だった。
金の髪、琥珀の瞳。すらりと伸びた長身。
シャツの釦を2〜3個外した姿は寛いでいるようにも見えるし、どことなく淫靡な印象も与える。
何だこの人、とテツヤは思った。
ここは多くの金持ちが集まる場所だ。
代々続く名士の当主も来れば、武家の末裔という人物だってやって来る。
時には華族がお忍びで来たりするほどの名店なのだから、地位も名誉も権力も持っている人は見慣れたはずだった。

それでも彼らはこんなにオーラを放ってはいなかった。

段違いの上得意客という言葉が比喩ではなかったということをテツヤは知った。

「ようやく来てくれたんスね。ちょっと待ち草臥れました」
「お待たせして申し訳ありません。黄瀬様の仰る遊女がなかなか見つからなかったので…」
「でも、支配人の後ろにいるその子ってこの店の新人っスよね。俺の言った通りの子だと思うのに、何でわからなかったんスか?」

にこにこと柔らかな笑顔を向けているけれど、視線は鋭く支配人を刺している。
待たされた時間がどれほどかわからないが、普段このような扱いをされるような人物でないから怒っているのだろうかと思ったがどうやら違うようだった。
黄瀬と呼ばれた男性がテツヤを見、視線が交錯するとふわりと笑う。
周囲に花が咲いたような錯覚を覚えたのは何故だろう。
ソファーから降りて近づいてくる姿をテツヤはぼんやりと眺める。
随分と背が高い。
おそらくテツヤとは頭1つ分余裕で差があるだろう。縮め。
テツヤの前に来た男性は、テツヤと視線が合うように膝を折る。

「さっき花屋で花束を抱えてたっスよね?」
「…はい」

こくん、と頷く。 嘘をついて怒らせるのは得策ではない。

「白と黄色の花束だったっスよね」
「はい」
「やっぱり…っ」

ぱあぁ、と顔が輝いた。
比喩ではなく本当に輝いて見えた。
イケメンオーラ眩しい、と思わず目を塞いだ時には、テツヤの身体は逞しい腕に抱きしめられていた。

「もう、もうっ、あの時の可愛さったらハンパなかったっス。俺、天使に逢ったかと思ったんス。こんなに可愛い子が遊郭で働いてるとか何その外道。帝光苑ってそんなに鬼畜だったんスか。こんな稚い子に客取らせて客にあんなことやこんなことされちゃうなんてこの世の冒涜っス。でも、自分色に染めるってちょっとだけそそられた自分がいるのは内緒っス。とにかく、もう俺が身請けして自由にしてやるしかないよねとか思ったんスよ。聞いたところ顔見世もまだだって聞いたから間に合った俺万歳。安心していいっスよ。君の純潔は俺が守るっス!!」
「……………………………………………………………………………………はぁ」

そう答える以外に何が言えただろうか。
勘違いも甚だしいだけでなく、自分が守るとか言っておきながら自分色に染めるとかほざきやがった。
これはもう自分を女だと思っていると考えて間違いないですか、ないですね。では制裁です。

でもなんか悪い人じゃないみたいなので、ちょっとだけ手加減はしてあげよう。

「人の話を聞きやがれです」
「うぐっ!!」

テツヤは無表情のまま男の鳩尾に手刀を叩き込んだ。

そうして床に沈んだキセキの客改め黄瀬涼太に事情を説明して、黄瀬の誤解も解けて円満解決ということになるかと思ったが、そうは問屋が卸さないのが世の常である。



「君、また来たんですか」
「だって黒子っちに逢いたかったんス」
「キセキの客って滅多に来ないんじゃなかったんですか」
「黒子っちがいるなら毎日だって足を運んじゃうっス」
「…君も物好きですね」
「へへ、黒子っちが大好きなだけっスよ」

半年に一度来るか来ないかと言われていたのに、何故週に2回は顔を見せるのだろうか。
そして何故当然のようにテツヤを指名するのだろうか。
頼むから予約をしてほしい。接客係が本気でびっくりしているから。
そんな嘆きは華麗にスルーするのがキセキである。
他人の都合なんてお構いなしなのだ。彼らにはそれが許されるだけの権力がある。
だが、黄瀬はテツヤの前ではそんな権力を振りかざしたことは一度もない。
大型犬のようにテツヤに貼りついてはいるものの、基本的に無害。
酒の相手もしなければ伽の相手もする必要はない。
ただ、話し相手とちょっとの時間だけ膝枕をしていればいいのだ。
その程度で店が安泰ならテツヤに断る理由はない。
決して帝都でも入手困難な果物とか菓子とか氷菓子とか買ってきてくれるからではないのだ。えぇ、断じて。

そうしてテツヤは今日も金色の頭を膝に乗せて、新製品と言われた乳製品を美味しそうに頬張っているのである。

テツヤが帝光苑一の稼ぎ頭になる日は近い。


  • 13.01.14