ようやく明日、テツヤにとって未知の人物が帝光苑にやって来る。
キセキと呼ばれる上得意客。
帝光苑は帝都一と呼ばれるだけあって常連客のほとんどはそれなりに社会的な地位に就いている人がほとんどだが、その中でも群を抜いて特権階級にいると噂されている人達の登場は流石に違うらしく、支配人や副支配人が店内に不備がないか右往左往している。
当然ながらテツヤも雑事に駆り出される。
普段は施錠されている特別室の掃除である。
その部屋へ一歩踏み入れた途端、テツヤは遠い目になった。
「成程、ここが特別室ですか」
この部屋にある調度品だけで帝都に家が一軒買えるという噂はただの噂ではなかったようで、至るところに高級だとわかる品が揃っている。
2部屋続きの特別室はベッドしか置いていない遊女の部屋とは違い、リビングと寝室に別れていた。
桁が8つはありそうなペルシャ絨毯の上にはおそらく舶来品だろう、猫足の豪奢なテーブルと椅子の応接セット。
壁には高名な画家によって描かれた宗教画が飾られている。
全体的に派手な部屋だが絶妙なバランスで下品にはなっていない。
頻繁に使われる部屋ではないとは言え、定期的に風通しを行っているらしく黴臭くはない。
だがそれでも多少の埃は溜まってしまう。
それを綺麗に掃除するのがテツヤの仕事だった。
この壷1つで数千万とか思いながらも、所詮壷は壷ですとか言いながら綺麗に拭いていく。
全ての調度品を拭き、テーブルや窓なども指紋1つないほどに磨き上げた。
与えられた仕事が終了したテツヤは、午後の余った時間を利用して花屋へとやってきた。
帝光苑に飾れれている花は全て出入りの業者が運んでくるが、テツヤが買いに来たのはそんな仰々しい花ではない。
「おや、テッちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは。店主。今日はいつもの花束を5つほどいただけますか」
「了解。まったくテッちゃんはマメだねぇ。こんな可愛い男の子に花束なんて貰ったら、姐さん方は大喜びだろう」
「嬉しいことに気に入っていただけてるみたいです」
にこにこと笑いかける店主に返事をしながら、テツヤは水仕事に慣れた大きな手が可憐な花束を作り上げる工程を興味深そうに眺めている。
テツヤは帝光苑の遊女に好かれている。
幼い少年であること、田舎育ちの純朴で素直な少年だということが遊女の庇護欲をかきたてるのだが、それだけでここまで好かれることはない。
テツヤが他人の好意をきちんと受け止めて感謝する優しい少年であることが最大の理由だ。
遊女がテツヤを可愛がって差し入れをするとテツヤはそれを笑顔で受け取り感謝の意を述べる。
そして数日後、遊女が忘れた頃になってお礼と称して可愛らしい花束を持ってくるのだ。
決して大きなものではない。
高級な花が使われているわけでもない。
両手の平に乗るくらいの小さなサイズだが、愛らしい花ばかりを選んで作られたその花束にはテツヤの感謝の気持ちが籠められているのが十分に分かるものなのだ。
多くの客を取っている遊女は客から贈り物を受けることも多い。
その中には当然花束も含まれているのだが、どれほど大きく豪華な花束であろうとテツヤがはにかみながら渡してくれるこの小さな花束以上の喜びを与えてくれることはない。
逆を言えば、遊女にとって最大の贈り物はテツヤの小さな花束ということだ。
贈り物など貰い慣れている彼女達にとっては安物でしかないのに、それでも何よりも喜んでくれることが嬉しくて、テツヤは定期的に花を買いにくるのだ。
店主もそれを知っているので、テツヤが来る前日には彼が好みそうな清楚で品の良い小花を多めに仕入れるようにしている。
そうして出来上がった花束を抱えてテツヤは帰路についた。
「あの子は本当に良い子だ」
足取りも軽く歩いている後ろ姿を眺めて店主はそう呟いた。
テツヤとの付き合いは彼が帝光苑で働き始めてからだが、それなりに親しくしていると自負している。
僕のお祖父さんに似ているんですと言われた時にはそんなに老けてるわけじゃないと軽く凹んだものの、身内に似ていたからこそ気軽に話しかけてくれたのだと思えばなんとなく嬉しい。
「すいません」
去っていく後ろ姿を孫でも見るような眼差しで見つめていた店主は、突然背後から声をかけられて振り向き――そして凍りついた。
そこには金の髪琥珀色の瞳をした、絶世の美青年がいたのだ。
帝都は人口に比率して美男美女がそれなりに多い都市ではあるが、それにしても桁違いの美形である。
特に金の髪というのは帝都では珍しい。
帝都どころか国内でも滅多にいないのではないだろうか。
端整な顔だけでなくキラキラと輝く青年は、店主の顔を一瞥してそれからすっかり小さくなったテツヤの背中へと視線を移した。
「おじさん、あの子がどこの子か知ってるっスか?」
「テッちゃんのことかい? あの子を知らないもんは帝都にはいやしないよ。有名人だからね」
「有名人? 俺何度も帝都に来てるけど、そんな噂聞いたことないっスよ」
「……兄さん、最後に帝都に来たのっていつだい?」
「10か月前っスね」
テツヤを知らないという青年の答えを聞いて、店主は成程と頷いた。
テツヤが帝都にやってきてからまだ半年も経っていない。
10か月前に来て以来帝都に足を踏み入れていないのなら彼がテツヤを知らないのも道理だ。
「テッちゃんはつい数か月前に帝光苑に入った新人さんだよ。愛想はそんなに良くないけど可愛いし凄く良い子だからこのへんでは有名人さ。知名度で言えば帝光苑のさつき嬢と並ぶんじゃないかな」
小柄な身体で良く働くテツヤは帝光苑のアイドルであるが、同時に花街の愛すべきマスコットでもある。
周囲の妓楼だけでなく出入りする業者からも大人気で、納品の際にテツヤに接客してもらえると1日調子が良いという連中もいるほどだ。
他の店でもテツヤに会うと1日が幸せに過ごせると、まるっきり開運マスコット並みの扱いを受けている。
勿論本人の預かり知らぬところであるが、そんな理由でテツヤは花街に出入りする者が知らないなんてモグリだと言われるほど有名な従業員になっている。
ちなみに何故だか帝光苑ではその噂は広まっていない。
ファンはこっそりとテツヤを愛でているため気づかれていないらしい。何という団結力。
そんなわけで店主もつい説明に熱が入ってしまった。
彼がどれだけ愛らしくて健気で気配りのできる子かと、これでもかと話してしまったのだ。
見知らぬ人物の主観であるが、興味を持った相手が手放しで褒められれば更なる興味を抱くのが当然。
「それは良いこと聞いたっス」
淡い色彩を持つ少年の姿に一目で魅了された青年が、気になった子が遊郭で働いていると分かったら取る行動は1つである。
「おじさん、ありがとうっス」
輝かしい笑顔で礼を告げると、青年は軽やかな足取りで帝光苑へと続く道を駆け上がっていった。
「あ」
青年の後ろ姿を見送ってしまった店主は、そういえば大事なことを話し忘れていたことに今更ながら気が付いた。
「あの兄さん、まさかと思うけとテッちゃんを遊女と勘違いしたとか、ないよな?」
テツヤはれっきとした男の子であるが、悲しいことにあまりにも愛らしい外見のせいで美少女と間違われることが結構多い。
最初の頃はテツヤを遊女と間違えて下卑た揶揄をかけられることも少なくなかった。
勿論そんな愚か者の末路は、鳩尾を押さえて地面をのた打ち回るという、とっても無様なものだったのだが。
最近ではすっかりそんな誤解もなくなったために、つい説明することを忘れていたのだ。
どんなに可憐で愛らしくても、黒子テツヤはサムライの魂を持つ日本男児であることを。
「まぁ、いっか」
彼がテツヤへの応対を誤った際には、ほぼ間違いなく彼の必殺技を喰らうことになるが、店主は生憎美男子に対して冷たかった。
イケメンなど男の敵と密かに思っているので、反省などあるはずもない。
今度テツヤが来た時にでもどうなったか聞いてみようと思っているあたり、この店主も結構な喰わせ者であると言えよう。
両手に沢山の花束を抱えて帝光苑の従業員専用の玄関に向かっていくテツヤの姿は珍しくない。
近隣の妓楼からは「今日の妖精は白と黄色の花束持参なう」とか情報が行き交うほどには有名だ。
基本的に妓楼同士の仲はあまりよろしくない。
商売敵なのだから当然なのだが、だからと言って従業員同士の仲が悪いかと言われればそういうわけでもない。
何しろ遊女にとって客の争奪戦は日常茶飯事であるが、従業員にとってはそこまで深刻な問題ではない。
ぶっちゃけ自分が働いている妓楼が潰れなければ給料は安泰なのである。
しかも帝光苑周辺の妓楼はそれなりに高級店であるし、多少の客の移動があったところで即倒産という危機はないのだ。
下層の妓楼にとっては死活問題であることは間違いないが。
そんな理由もあって、従業員同士がどこかの食事処で一緒になった時などは多少の日常会話がなされる程度には親しい。
最近はテツヤという存在があってか、うちの子こんなに可愛いんだぜ、何それ超羨ましい、そういえばテッちゃんこの間転んだおばあさん助けてた、うちの子良い子などとテツヤ自慢やらテツヤ目撃談やらに花を咲かせているとかいないとか。
そんなテツヤが胸に花束を抱えて帰宅したことは、当然ながら帝光苑にすぐ知れ渡る。
だが、今回はそんな帰宅情報が流れるよりも前に、とんでもない方法でテツヤの帰宅が知らされた。
帝光苑の正面玄関に、とんでもない美形が登場したのだ。
「すみませーん」
「はぁい。ごめんなさいまだ営業時間じゃないんですよ――」
営業時間は18時から。
これは守られたり守られなかったりする時間ではあるけれど、基本的に正面玄関からの客は18時にならないと入ることができない。
ほんの極一部に特例がいるけれど彼らは滅多に来ないし、唯一予約されているのは明日のはずなのでと従業員はとっさにマニュアル通りの返事をしようとして、入口に立っている男性を見て固まった。
「ききききききっき、黄瀬様?!」
「営業時間前だってのはわかるんスけど、特別に許可してくれませんかね?」
「そそそそそそれは勿論でございますけれども、予約も入れないで来るなんて珍しいでございますね!!」
普段は完璧な接客態度を誇る従業員だが、あまりの動揺に日本語が崩壊してしまっている。
だが黄瀬と呼ばれた青年は一向に気にした様子もなく、にっこりと爽やかな笑顔を浮かべていた。
黄瀬涼太。
帝光苑で特別扱いが許されているキセキの内の1人。
青年実業家だとも貴族出身だとも聞いているが、花街で相手の素性を探ることは禁忌なので詳しいことは誰も知らない。
情報通のさつきならば知っているかもしれないが、さつきが他人の情報を無駄に流すようなことはしない。
情報とは信頼が第一なのだから。
キセキの中でも一番人当たりが良いと言われている人物なので、従業員の不自然な日本語も門前払い喰らいそうになった事実も大目に見てくれるだろう。
実際従業員の言葉に何の不快を抱いた様子もない。
「う〜ん、本当は来る予定じゃなかったんスよね。明日は青峰っちが来るって聞いてたし、俺はそんな気分じゃなかったんスけど、ちょっと気になる人に出会っちゃって」
「勿論、黄瀬様でしたら予約など入れずともお部屋の用意はすぐにできますが…気になる人、とは……?」
前回黄瀬が訪ねてから遊女の顔ぶれは変わっていない。
黄瀬の好みは清楚な感じの女性を好むが、新人などいただろうかと考え、何となく考えてはいけない人物に思い当たった。
黄瀬が好みそうな清楚で可憐な美少女――のような少年。
黒子テツヤである。
明日来る予定だった青峰大輝の目には触れないようにするつもりだったが、今日のテツヤは結構自由に外を歩き回っていたはず。
しかもテツヤが帰宅した時間と黄瀬が帝光苑をくぐった時間がほぼ同時。
嫌な予感しかない。
果たして、黄瀬は今まで見たことがないほど輝かしい笑顔を浮かべた。
「先程花街の花屋で白と黄色の花束を買って帰ってきた、あの可愛い子を指名でお願いしたいっス。むしろ身請けで」
そして特大級の爆弾を落としたのである。
- 13.01.14