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黄瀬パパとテツヤくん 番外その1


「ん?」

バサリ、と。
背後で音がして赤司は振り返った。
書斎の一角。部屋のほとんどが棋譜で埋め尽くされた部屋の片隅に積まれてあった書類が、バランスを保ち切れずに雪崩を起こしていた。
散乱しているのは赤司が棋士となってから対局した全ての棋譜である。
年月で言えば十年以上、不敗神話を更新中であるためその量はかなり多い。
棋聖戦に備えて過去の対局を見直そうと思ってプリントアウトした資料だが、結局使われることなく書斎の隅に置きっぱなしにしていたのが悪かった。
天気が良いからと窓を開けた瞬間、入り込んだ一陣の風が山積してあった書類を揺らし、危うい均衡で積み上げられていた書類は予想外の衝撃を受けてしまったのだ。

床一面に広がる紙面に赤司はため息を吐いた。
ここ最近対局が続いたせいで書斎の整理を怠っていた結果なので自業自得なのだが。
そもそもパソコンにデータを保存してあるのだからわざわざプリントアウトする必要などなかったのだが、ディスプレイ越しに見るより手に取って眺める方が頭に入る気がするのだから仕方ない。
とはいえ、結局使わなかったのでただの紙の無駄以外の何物でもなかったのだが。
赤司の家には定期的に家政婦が通ってきてくれる。
そのため書斎以外の部屋は綺麗に掃除されているのだが、実業家としての顔を持つ赤司にとってこの部屋は仕事場でもあるため、書斎だけは家政婦の立ち入りを禁じていた。
何せ社外秘も重要機密文書も全部この部屋に置いてあるのだ。
空き巣に狙われたら会社の権利までそっくり奪われてしまうだけの資料は揃っている。
会社に保管しろという秘書の言葉は尤もである。
この部屋に入るのは自分くらいなのだから構わないと赤司は聞く耳を持たないが。
ちなみにそんな重要書類だらけの書斎であるが、予想通りテツヤの出入りだけは禁止されていない。全面的に信頼されているからというのが理由の一つだが、この書斎に億を超える預金通帳だとか株だとか実印だとか小切手だとかが無造作に置かれているのを見たテツヤが卒倒しそうになったのは余談である。
大事なものは金庫にしまってくださいと力説するテツヤに、

「生憎、金庫にはもう入れるスペースはないんだ。そろそろ買い替えなくてはと思っているんだけどね」

としれっとと答えた赤司にテツヤは絶句した。
というのも赤司家の金庫は大きい。
どのくらいの大きさかと言えば、子供のテツヤが入り込んで手足を伸ばしてぐっすり眠っても余裕なのだと言えば理解していただけるだろうか。
一般家庭にある大きさではない。中小企業のそれよりも大きな金庫が赤司家には存在するのだ。
その金庫に入りきらないものなど個人所有であるのだろうか。
赤司のことだから開けたら金ののべ棒とかあるに違いないと思ったテツヤは悪くない。
そんなテツヤは赤司家の金庫に大切に大切に保管されているのが、テツヤの成長記録を収めた写真及びDVDだと言うことまでは流石に知らない。
金庫の八割をテツヤ関連が占めているなど、気づいてはいけない。気づいたところで何が変わるわけでもないのだから。


赤司は足元に滑り落ちてきた紙を一枚拾い上げる。
それは先月行われた新人棋士との棋譜だった。
実直な性格がそのまま表れているような手は嫌いではないが、如何せん先読みしやすく対局相手としては物足りなかった。まぁ、相手は今年プロになったばかりの新人だし、赤司を相手に緊張していたようなので実力を発揮できていなかったのだろう。赤司はそれを2つに畳んでシュレッダーにかけた。

2枚目に拾い上げたのは、昨年行われた竜王戦の棋譜だった。
相手は赤司より30歳年上の棋士。心理戦が得意との話だったが、赤司には全く通用しなかった。
そういえば彼とは以前にも対局したことがあった。
あの時はまだ幼いテツヤを同伴していたものだから、得意の毒舌が使えずにあっさりと投了したのだと記憶している。
対局前には「幼い子供を対局の場に連れてくるなどけしからん」やら「子守しながら棋士など務まるものか」とか言っていたくせに、対局が終わればテツヤにあっさり陥落しやがって、野太い声で「テッちゃんは良い子だね〜」だの「お腹が空いたかな? おじいちゃまが何でも好きなものをご馳走してあげよう」だの気持ち悪いことを言っていた。
しかも昨年の竜王戦では、「何故テツヤくんを連れてこないのだ。君は儂を馬鹿にしているのかね」とかほざいていたが、生憎赤司は二度とこの老人とテツヤを会わせるつもりはない。
不愉快なことを思い出してしまい、赤司はその棋譜を乱暴に丸めてゴミ箱へ投棄した。

3枚目に拾い上げたのは、まだ拙さが残るものの何とか赤司に一矢報いようと頑張る姿勢が見える健気な棋譜だった。
赤司は思わず目を瞠る。

「ここに紛れていたのか」

赤司はそれを丁寧に折りたたむと金庫の鍵を開けた。
赤司家特製金庫。又の名を『テツヤメモリアル保存室』。
テツヤが生まれてからの写真及びビデオ及び関連資料が大量に保存されているため青峰が呼び出したことが始まりだが、今では誰もがそう呼ぶようになってしまった。
耐火性・耐久性・防犯性どれをとっても銀行並みに堅固な金庫も、まさか一介の子供の写真を保存するために使用される日が来るとは思わなかっただろう。
金庫の使い方が激しく間違っているという指摘の声もあるが、個人資産や会社の重要書類なども収められているため通用しない。尤も金庫の総容量に対して微々たるものではあるが。
ちなみにこの金庫、テツヤが誕生してすぐ購入されたものである。
何でも「テツヤという天使の成長記録を収めるにはこのくらい必要になる」とのことだが、天帝の目が曇ったのか親馬鹿フィルターがかかったのか意見は未だに割れている。

金庫にしまってあるファイルから一冊取り出し、その一番上に持っていた棋譜を丁寧に収めた。
ファイルには『テツヤ棋譜No.5』と書かれていた。勿論、5冊目のファイルである。
赤司が棋士なのだからテツヤと対局しても良いよねという名目の下、3歳からテツヤは赤司と将棋を指している。
最初こそまともな相手にはならなかったが、赤司が一から教えているのだ。
今では新人棋士レベルなら互角の対戦が出来るだろう。テツヤは呑み込みが早いのだ。

そろそろ容量オーバーになりそうな金庫の中身を見て整理をしなければと思うのだが、何を整理すれば良いか全くわからないので相変わらず手つかずのままだ。
テツヤ関連を別室に移すだけでごっそり開くのだと教えてくれる友人はいない。

赤司はその中から一冊のノートを取り出した。
年季が入っているのが一目で分かるそれは、テツヤが生まれた日に購入したものだ。
パラリとめくればあの日の感動が甦ってくる。




『8月2日

テツナが子供を産んだ。
子供の名前は『火神テツヤ』。
恐ろしい程にテツナの遺伝子のみで形成された、とても愛らしい子供だ。
色の白さ、髪の色、瞳の色。
どこを見ても火神の遺伝子は見当たらない。

これなら僕とテツナの子供だと言っても問題ないなと言ったら火神に締め出された。解せぬ』





『12月24日

テツヤの初めてのクリスマス。
ここは赤司サンタの出番だろう。
とはいえテツヤが何を欲しがるかわからない。早く言葉を覚えるといいのだが。
何を贈ろうか悩む。子供服でも良いのだろうが、ここはやはり将来役に立つものを贈りたい。
ということでクレジットカード(プラチナカード)を贈ろうとしたらテツナに殴られた。

結局プレゼントは絵本にした。とりあえず30冊程用意したのだが、更に怒られた。解せぬ』





『1月1日。

テツヤにとって初めての正月。
これは祝わなければいけないだろう。親戚の集まり? そんなものは関係ない。
テツヤは今日も相変わらず可愛い。まるで天使だ。
いや、テツナという天使が産んだ子供だ。天使以外の何だと言うのだろう。
少し成長したテツヤは正に神がくれた贈り物だ。
だがテツヤ。何故君は黄瀬にばかり懐くんだい。僕は寂しいよ。

とりあえず駄犬は殴っておいた』






『11月22日』




                             

『11月23日』

テツナと火神が亡くなった。
過積載のトラックが横転して巻き込まれたらしい。
テツヤだけが奇跡的に助かったことを喜べば良いのか、大切な友人を失ったことを嘆けば良いのかわからない。
とりあえず加害者と運送会社には相応の礼をしておいた。
2人の遺体の前から動こうとしないテツヤに何て声をかけたら良いのだろう。
両家の親族がテツヤの引き取りを拒否しているらしい。
それなら僕が引き取ると言おうとしたのだが、タッチの差で黄瀬に先を越されてしまった。
黄瀬ならテツヤを大切に育ててくれるだろうから文句はない。

ないが、邪魔をした赤司家の奴ら及び火神と黒子の親類縁者は許さない。絶対にだ』




何とも暴走一直線な日記である。
激情に任せるままに書いた結果である。全国一位の国語力はどこに行ったのだろうか。
懐かしいなと見返す赤司を一本の電話が現実に引き戻した。
電話の向こうで騒いでいるのは赤司のマネージャーだ。
そういえば今日は夜から静岡でイベントがあり出席することになっていたのだ。すっかり忘れていた。
新幹線の時間が迫っていると騒ぐマネージャーに腕を引っ張られるように赤司は移動の車に押し込められた。
結局棋譜は片付けられないままだ。
そのままにしておくのも構わないのだが、流石に疲れて帰ってきた時に散らかった部屋を見るのは精神衛生的によろしくない。
赤司は携帯を取り出し、一通のメールを認めた。

そのメールを受け取ったテツヤは、書斎の片付けのため合鍵を使って赤司家にお邪魔した際、足の踏み場もない書斎を見て絶句することになる。
対局を終えて帰宅した赤司にテツヤはぷんすかとお説教をすることになるのだが、嬉しそうな顔で拝聴している赤司には言うだけ無駄なのだといい加減学習しても良いのになぁと、テツヤの愚痴を聞き終えた黄瀬は思った。



  • 13.12.28