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湯治、温泉、苦労人


戦が終了すると次第に大気から瘴気が薄れていった。
瘴気と一括りにして言っているが、の身体に悪影響を与えるものは生きている人間から生み出される欲望や怨嗟の念がほとんどで、怨霊の存在は無害とまでは言わないけれどに与える影響自体はそれほど多くはなかったらしい。
戦の最中は人間の欲が溢れるそうで、その感情が神子達を苦しませているのだとは言った。
勿論怨霊の影響もないとは言えないが、それ以上に悪意に満ちた空気を生み出すのは生きている人間である。
神子は清らかな存在であることを象徴しているかのように、彼女達は俗世の穢れに弱い。
それは権力欲や物欲と言った類のものだが、特に抵抗力が弱いのが他者を妬む感情だった。
戦乱の世ではそういったマイナスの力を持つ気が溢れている。
普通の人間ならば多少なりともそういった欲は己の中に抱いているものだから影響は少ないのだが、神子にとっては縁の薄いもので、結果としてそれらの感情は神子の手に余ってしまうのだ。

特に被害が多かったのは、神子としては強大過ぎる力を持っているのに自身を守る力が皆無だったである。
平和な世界でしか生きていけないと証明するかのように日々弱っていくを見ているのは、はっきり言って恐怖であった。
やつれていく頬、日々青くなっていく顔色。
寝付く姿が多くなった時の胸の痛みは、全てが解決した今となっても忘れることはできない。
それでも彼女は笑っていた。
大丈夫だからと、皆の力になれるのなら何でもないと、そう言って気丈に振る舞っていた彼女を見ていることしかできなかったあの無力感は、正直二度と思い出したくない。

だからこそ、大気の中から瘴気が消えたと告げられた時の喜びは大きかった。
その言葉を裏付けるように見る見る健康を取り戻していったに胸を撫で下ろしたのは1人や2人ではない。
中でも誰よりもを愛し、慈しみ、見守っていた重衡が最も喜んでいたのは当然だが、その症状の重さを医師として診断した弁慶も、又、彼女の回復を喜んだのだ。
進むべき道を違えてしまったが故に敵対する立場になった弁慶だが、個人的な感情では決して平家が嫌いだったわけではない。
むしろ源氏の棟梁である頼朝よりも遥かに清盛に対して共感を抱いていたくらいだ。
九郎の存在がなければおそらく彼の誘いを受けて平家の一員としてその末席に座っていただろうと言えるほどには、弁慶は彼らに惹かれている自分を自覚していた。
そんな弁慶だからの体調には少なからず心を痛めていたし、回復していく姿を見れば嬉しくないわけがない。

床から起き上がれるようになって数日、近距離への外出ならば問題ないと太鼓判を押した時、誰よりも喜んだのは実は弁慶だったのではないだろうか。



そんなわけで順調に回復しているのために慰安旅行をと言い出したのは、当然ながら至上を公言している望美である。
彼女の提案はもれなく決定事項であるため、翌朝には慰安旅行改め湯治へと出発することになったのだが、馬に乗って半日という距離は当然のことながら近距離ではない。
大丈夫だろうかという医師としての危惧から、弁慶の参加が決定した。
望美とが行くならと当然のように譲が同行した。
重衡と知盛の兄弟もの傍を離れるわけがなく、お目付け役として将臣が駆り出されるのは必然。
そんな将臣によって数少ない常識人という理由で敦盛が巻き込まれた。
望美の伴侶であるリズヴァーンと白龍も同行、そして望美との頼みで朔も一緒に行くことが決定した。
そうなれば九郎だけが留守番というわけにもいかず、結果として全員参加の大所帯になってしまったのだが。
宿泊先は泰衡が所有する別邸である。
そのため泰衡までもが巻き込まれたが、今源氏が約定を破って攻めてきたらひとたまりもないんだろうなぁなどと思うは、ちゃっかりしっかりこの事態を楽しんでいたりする。
大所帯の旅行なんて熊野以来だ。
楽しかった思い出だけが残るあの日々を思い出しては笑った。







   ◇◆◇   ◇◆◇







奥州と言えば数多くの観光名所があるが、それと同時に温泉も多い。
女性が温泉を好むのはいつの時代も同じことで、岩に囲まれた露天風呂を前に望美とは目を輝かせた。

「うわぁ、凄い! 素敵!」
「久々の温泉!」

きらきらと目を輝かせる姿はまるで子供のようで、朔はそんな2人を見て嬉しそうに目を和ませた。
と朔の関係は正直かなり複雑で、特に兄である景時の存在があるためかどうしても一歩距離を置いてしまっていたのだが、それを埋めてくれたのが己の半身である望美と、他でもない当事者であるだった。
のことは出会う前から望美によって色々聞かされていたし、会ってみたいと思っていたのも事実。
聞けば聞くほどの印象は良くなり、会う前から好印象しか抱いていなかったものだから、敵対する立場として会ったのは皮肉としか言えない。
しかも彼女が命を賭けて挑んだ戦いを邪魔したのが景時であるため、身内としてどうしたら良いかわからなかったのだが、はそんな朔の悩みを知ってか知らずか何かと気にかけてくれて、今ではすっかり良い友人関係を築いている。
そうして知る彼女は女性として見本のような人物であると同時に、何とも可愛らしい人だった。
戦の間は今にも消えてしまいそうなほど儚い印象しか抱けなかったのだが、すっかり健康になった今では今のように望美と一緒になって子供のようにはしゃいでいる姿を見ることも珍しくなく、そんな様子はとてもじゃないが自分より年上の女性には見えない。
勿論普段の姿は絵に描いたような淑女ではあるが。
これは望美と一緒だから見ることができるのだろう。
心を許していると一目でわかる2人の姿は見ているだけで心が温かくなる。
そんな2人は目の前に広がる景色に見入ったり、温泉に手を入れて喜んだりしてる。
その姿は無邪気で可愛いのだが、如何せん場所が場所である。

「2人共、早く湯に入って。いつまでもそんな恰好でいたら身体を冷やしてしまうわ」

薄い布を身体に纏ったままの姿は無防備極まりないもので、朔は放っておいたらいつまでもはしゃいでいそうな2人の背を押して湯に入らせた。
この世界で湯に入る習慣はあまりない。
湯治と言えば傷を癒すために武人が行うのがほとんどで、女性が湯に浸かるというのは正直珍しいのだ。
とは言っても湯治の歴史は長く、古くは奈良時代に斉明天皇が皇族の多くを伴って湯治に出かけたという記述があるのだから、皆無というわけではないのだが。
と望美は別の世界からやってきたというが、その証拠のように2人が当然だという行動が朔の常識とかけ離れていて驚くことは多い。
入浴に関しても同様で、こちらの世界では湯に浸かるという行為はあまりしない。
良くて沐浴と呼ばれる蒸し風呂のようなもので、その際には浴衣という薄い単衣を着用するのが当然だ。
だが望美はどうしても単衣を着用したまま湯に入るというのが苦手なようで、女同士だからという理由でそれはもう見事なまでの脱ぎっぷりを披露してくれた。
は流石にこちらでの生活が長かったせいか単衣を着ようとしたのだが、そんなの許しませんとばかりに単衣を奪われ望美に手を引かれて行ってしまった。
あの時の見事な衣服の剥ぎっぷりは凄かった。
権力者に無体を強いられる無力な町娘の姿を彷彿した朔は、おそらく間違っていないだろう。
異性が行ったら犯罪間違いなしである。
慌てるにかろうじて身体を隠せる薄い布を手渡してあげたが、先に行ってしまった2人が単衣を着ていないのに自分だけが着ていても良いのか悩んだ朔は、それでもどうしても羞恥が強くて単衣を身に着けていったのだが、こちらも気づいた望美に剥かれてしまった。

「うわぁ〜、天国〜」
「気持ちいいねぇ」
「流石は奥州の温泉ね」

少し熱めのお湯に浸かりまったりと寛ぐ時間は最高だ。
望美が嬉しそうに言えばがふわりと微笑んで、その笑顔を受けて朔も笑う。

「効能は何だろう。疲労回復? 腰痛? 美肌とかだと嬉しいな」
「しっとりすべすべなお肌は女性の理想だもんねぇ」
は十分過ぎるほどしっとりすべすべじゃない。もちもちのお肌で羨ましい。私なんて日焼けしてばっかりだから潤い足りないもん」
殿の肌は確かに綺麗だけど、望美だって十分綺麗よ」
「シミ一つない朔に言われてもなぁ。こっちも良い触り心地」
「もう、望美ったら。どこ触ってるのよ」
「朔の胸。だってスタイル良いんだもん」
「まったく。望美だって同じくらいじゃない。殿もそう思うでしょう」
「うん。2人ともスタイル良いよ。私の方こそ羨ましい」
はちょっと細いもんね。でもバランスは良いよ?」
殿は病み上がりなんだから仕方ないわよ」
「そうそう胸だってそんなに小さくないし。形はすっごく綺麗だし」
「そのフォローは微妙だなぁ」

くすくすと笑いあう声は岩風呂という立地条件からとても良く響く。
現代のように浴室として仕切られていない男性陣の元へも、それはもう良く響いた。
そして頭を抱えているのは将臣である。

「望美…あいつはまたエロ親父みたいな発言しやがって…」

昔からそうだ。
望美はに対して若干過剰ではないかと言えるほどのスキンシップを好むのだ。
それはもう幼い頃からだからなどは疑問にすら感じていないかもしれないが、知らない人がみたらそっち系の趣味があるのかと誤解されてもおかしくないほどには身体に触りまくる。
以前窘めた時には「触り心地が良いから」という何とも反論しようのない言葉で言い負かされてしまったものだが、やはりここはに言い含めておくべきだったのだろうか。
朔がついていれば大丈夫と思ったのに、朔はすっかり望美によって洗脳されてしまっていたのが誤算だった。
きゃっきゃうふふとはしゃいでいる3人の女性の声は聴いてて非常に楽しいものではあるけれど、時折望美から発せられる放送コードギリギリの発言だけは何とかならないものだろうか。
純情な九郎と譲が湯あたりしたわけでもないのに真っ赤になっているのが哀れでならない。


「うわぁ、将臣くーん! のウエストが私の両手で掴めるんですけどー」
「望美、ばらしちゃ駄目!」
「羨ましい細さなんだけど、ちょっとどうかと思うから今日の夕食はグラタンがいいな、譲くん」
「任せてください。先輩達のために栄養満点の超美味しいグラタンを作ります!」
「やったぁ。沢山食べてお肉つけてね。特にこことかこことか、このへんも」
「ちょっと、ゃ…っ。変なとこ、触らない、でってばぁ…」
「の…望美、流石にそこは…」
「ふふふ、良いじゃない。だって女同士だもーん」



どうしよう、女湯に獣がいる。



忘れてはならないのが、の恋人であり数日後には夫となるはずの重衡。
穏やかな笑顔で気づかれないが、独占欲は人一倍。
ようやく手に入れた愛しい恋人が同性とはいえ自分以外の相手に裸体を晒し、あまつさえ好き勝手に触られるということを了承するかと言えば、答えは火を見るより明らか。
貴公子然とした笑顔を浮かべていながらも周囲の空気が下がっていくのを感じてしまえば、とてもじゃないが怖くて背後を振り向けない。

「将臣殿」
「…ぉ、おぅ…」
「後ほど鍛錬にお付き合いくださいますね」
「り、了解」

八つ当たりの相手に選ばれたのは望美の幼馴染という立場か、気心知れた相手で容赦しなくて良いという判断か。
とりあえずどちらも嬉しくないことは確かである。

「ふふ、鈍った身体を鍛えるには良い機会ですね」

にこりと、女性ならば誰もが落ちるであろう笑顔に、将臣は小さく震える。
今回の件に将臣の非は欠片もないはずなのに、何故だろうこの仕打ち。
女性陣の方から楽しげな笑い声が聞こえてくればくるほど重衡の笑みは深くなり、そして空気は冷えていく。
その後寂しくなったのか白龍が望美の所に行こうとするのを必死で止めたり、どんどん過激になっていく望美の発言に真っ赤に茹だった九郎を湯から引きずり出したり、更には重衡との鍛錬に乱入してきた知盛と望美を交えて1対3の相手をさせられたりと、慰安旅行に来たのに疲労と心労だけが蓄積された将臣であった。


  • 12.06.01