悲鳴と共に政子が黄金の光に溶けて消えていくのを茫然と見ていた泰衡は、光が落ち着くと同時に床に崩れ落ちたに慌てて駆け寄った。
雪襲の衣装が無残なほどに血に濡れている。
その全てがの身体から流れたものなのだから慌てるのも当然。
人間は血を流せば死ぬのだ。
況してやの体力は極限まで少なく、最早立っているのがやっとだというのに。
抱き起せば恐ろしいほど低い体温に心臓が早鐘を打つ。
今回の決戦はの周囲には内密に行われた。
そのためこの場にいるのは泰衡との2人だけで、傷の手当をする医師は当然のことながら控えていない。
「非常事態だ。許せ」
言うなり泰衡はの衣装を脱がせた。
重厚な十二単だが、それを纏めているのはわずか1本の紐。
着るのは恐ろしく時間がかかる代物だが、脱がせるのは簡単だ。
するりと紐を外して羽織っている衣装を脱がせる。
単衣が血に染まっている。
どれほど深い傷があるのだろうと眉を顰めながらの襟元を寛げた。
だが、それは良い意味で裏切られた。
「…これは…」
出血をするほどの傷はそこにはなかった。
正確には切り裂かれた着物のすぐ下に傷跡らしき赤い筋はあるのだが、出血はおろか皮膚の裂け目すら既に塞がっている状態なのだ。
驚くべき治癒能力に目を瞠っていると、泰衡の手をの白い手が押さえた。
「…大丈夫。この光は女神の加護だから、傷はすぐに癒えるの」
「だが…」
「本当に大丈夫だから」
ふふ、と笑うは顔色こそ悪いものの、口調は意外にしっかりしている。
だが、は己のことに関しては本当に無頓着だ。
命すら軽んじているようなことが多々あり、そのため泰衡はの言葉を信じなかった。
相変わらず軽い身体を抱き上げて社を降りる。
傷が治っていても安静にしなければいけないことに変わりはない。
紙のように白い顔色がそれを物語っている。
「1つ聞きたい。あの女狐はどうなった」
「大神の元に送ったの。改心するか帰依すれば源氏に戻ることもできると思う」
「そうか」
これを好機と源氏を滅ぼすことは可能だが、これ以上戦火を広げることもないだろう。
は平家の未来が、そして泰衡は奥州が平和であれば良いのだ。
そもそもこれは源氏を滅ぼす戦いではなかった。
欲を出すのは得策ではない。
空は青く、風は冷たいが穏やかで、奥州の地は清らかに澄んでいる。
それで良いではないか。
「少し、眠い…」
ふと腕の中のは呟いた。
くったりと泰衡の腕に抱かれたままのは、小さなあくびを1つ。
目を開けているのもつらいのだろう、琥珀色の瞳は瞼の下にほとんど隠れてしまっている。
限界以上の力を使った少女は、最早意識をとどめておくことも難しい。
「眠るがいい」
その声がに届いているかどうか。
力の抜けたの身体を抱えて、泰衡は静かにそう告げた。
◇◆◇ ◇◆◇
やるべきことはすべてやった。
守りたい人は全員が守れたわけではないけれど。
それでも、己1人の力では不可能なだけの人は救えたのだから良しとしたい。
後は眠りにつくだけ。
それだけだと思っていたのだが…。
「……………あれれ?」
もう二度と開かないだろうと思った瞼が開いた。とても軽く、それはもう爽快に。
見慣れた板張りの天井。4年ですっかり慣れた固い枕と布団代わりの袿。
ぱちぱちと瞬いてみたけれど、どうやら幻ではないみたいで。
現状を把握できなかったのも無理はない。
政子との戦いが終わり、全身から力が流れていくのを感じた。
立っていることは勿論、指一本動かすのもだるくて。
元々命の残りは少なかったのだ。
瘴気によって削られた体力。
更には神力として放出され続けたために、動ける時間は本当に限られたものだった。
だから。
あぁ、自分の命はここで終わるのだと、そう覚悟したのだけれど。
空になるまで使い果たしたエネルギーは綺麗に補充されているような気がするのは何故だろう。
久々に感じるすっきりとした目覚めに思い切って起き上がってみれば、やはり軽い身体。
まさかここが死後の世界なんて思わず考えてしまうほどには混乱している自分がいた。
そうして不思議そうに首をひねるの耳に響いてきた声。
「お目覚めですか? 姫君」
どくん、と心臓が跳ねた。
それはまるで4年前に聞いたものと同じ台詞で。
だが、彼の声を聞くことはもう二度とないと思っていただけに衝撃は大きかった。
信じられない思いで振り返れば、目にも鮮やかな銀色の髪。
菫色の瞳が優しく細められ、艶やかな笑顔を浮かべている。
「ご気分はいかがですか? 私の姫君」
「ええと…悪くない、です…」
甘やかな表情にの頬に朱が走る。
だって久しぶりなのだ。
この笑顔を見るのは。
愛しいと、全身で訴えてくれる彼と対面するのは。
「…夢」
「ではありませんよ」
ほら、と衣擦れの音と共に近づいてきた手がの頬に触れる。
温かい。生きている。
『銀』の時にかすかに感じた呪詛の気配は欠片もない。
大きな手のひらに自分の手を重ねれば、嬉しそうに笑う姿が本当に嬉しくて。
つられるように笑うの頬を涙が伝った。
「龍神の神子様が力を貸してくれました。中々の力技でしたが」
「ふふ、望美らしい」
本当に、と重衡も笑う。
「のために根性見せろと言われて応えられなかったら、男ではありませんからね」
「…そんなこと言ったんだ」
「良いご友人ですね」
「私には勿体ない、最高の親友だもの」
敵対する立場にいても、それでもお互い敵だとは思わなくて。
のために何もかも投げ出してくれる素晴らしい友人だ。
「…妬けますね」
「……え?」
小さく呟いた声が聞こえなくて思わず聞き返したを、重衡は抱きしめた。
久しぶりに感じる重衡の香に安心する。
とくんとくん、と感じる鼓動が、重衡が生きていることの証で。
それを実感すれば再び溢れてきた涙。
優しく拭ってくれる指の感触すら嬉しくてたまらない。
そうしてしばらく抱きしめられたままだったが、不意に重衡がを見つめてきた。
「三草山での言葉を覚えていますか」
こくん、と頷いたに重衡がそれは良かったと笑う。
「私は戻ってきましたよ。貴女のために」
「うん」
「遅くなりましたが、約束は守りました」
「うん」
「ですから、にも約束を守ってもらわないと」
「う、ん…?」
にこにこにこ、と優しい笑顔でありながら何となく威圧感を感じるのは何故だろうか。
「あの…」
「は約束してくださいましたよね。あの時」
「それは…」
「まさか嘘だなんて言いませんよね。もっとも、言わせませんが」
「だから…」
「根性見せて戻ってきた私にご褒美があっても良いと思いませんか」
「ご褒美?」
「えぇ。たとえばこのように」
「…っ!!」
掠めるように唇を奪われてが真っ赤になる。
の恋愛スキルは相変わらず低いままだ。
況してやつい先ほどまで命を捨てる覚悟で戦いに挑んでいたのだから、色恋なんて本当に無縁の世界で。
久しぶりの重衡のスキンシップに、相変わらず慣れないはわたわたと腕の中から逃げ出そうとする。
勿論、ようやく捕まえた恋人を逃すつもりなど重衡にはない。
甘い拘束でを抱きしめれば、覚悟を決めたらしいがようやく大人しくなる。
耳まで赤いのはいつものことだ。
「私の妻になっていただけますね」
質問ではなく確認。
今更嫌だなんて言わせない。
真っ赤な顔で、だがそれでも嬉しそうな笑顔で頷いた愛しい人に、重衡はありったけの愛情を込めて口づけをした。
- 11.11.22