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続いていくもの


   祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり
   娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす
   おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし
   たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ





平家物語の冒頭は、義務教育を受けていればほとんどの人が知っているだろう。
それほどに有名。
そして、にとっては残念なことながら、この短い冒頭の間に世の無常を簡潔に説明している。

「唯、春の夜の夢のごとし、か…」

人の一生など長い歴史に比べれば瞬きをするほどの時間にすら及ばない。
そんな僅かな時間で人は悩み、苦しみ、愛し、そして死んでいく。
どれほどの隆盛を誇っても、どれほどの命を奪っても、終焉は必ずやってくるのだ。
それは勿論、人以外にも言えることだけれど。

弱くなる身体とは対照的に、身の内に宿る神気は益々強くなっている。
浄化された平泉の土地がに力を貸してくれるのだ。
今、平泉は強大な結界と化している。
だけの力では不可能だったそれを成し遂げたのは望美と泰衡だ。
平泉各地にばらまかれた呪詛は望美の力によって解放され、土地は次第に本来の清浄さを取り戻した。
平泉の外れに建てられた社にはと泰衡の力が集められ、大きな狐を狩るための罠が完成した。
後は、無事そこに狐がかかるのを待つばかり。
彼女が来ないという可能性は考えられなかった。
の存在は荼吉尼天にとっては脅威だ。
それは彼女の器である政子共々、彼女達が愛する頼朝の天下すら脅かすもので。
況してやと同行しているのが、源氏軍において圧倒的武勇を誇った九郎一行。
逃げた先は鎌倉の権力が及ばない東北きっての名家である奥州藤原家。
つまりは、源氏の命運を左右する抵抗勢力が一同に会していることになる。
まとめて倒せば後顧の憂いは一切なくなるのだ。
来ないわけがない。

そして、好機なのはこちらも同じこと。
はこの地で全てを終わらせる覚悟を決めた。
そのための力は、この身にある。

「今度こそ終わらせる」

虚空に向けては呟く。

「人の治世に、神の干渉は不要なの」

それは己の存在すら否定する言葉だった。







   ◇◆◇   ◇◆◇







「おめでとう、お父さん」
「は?」

目が合うなりそう言われて将臣は瞬いた。
何がおめでとうで誰がお父さんなのか、まったくもって意味が分からない。
目の前にはの姿。
その手には一通の手紙。
肩には白い鳥。すらりとした体躯と長い尾、そして宝石のように輝く紅い瞳が特徴的だ。
『雪(すすぎ)』と名付けられたそれは見た目には単なる美しい鳥だが、実体はの神力で生み出された使役鳥である。
この鳥が無事落ち延びた平家の様子を伝えてくれる伝書鳩のような役割をしているらしい。
『普通の人間』のカテゴリーから逸脱していっている幼馴染には今更驚くこともない。
だが流石に先程の言葉の意味はわからない。
そんな視線を受けてが言葉を続ける。

「今朝、向こうから文が届いたの。皆の近況とか色々」
「あぁ。あいつら元気か?」
「うん。経正さんが敦盛さん不足に陥って元気がないみたいだけど、義父上も二位尼も変わりはないそうよ。あ、そうだ。帝が可愛がっている猫が3匹の子供を産んだって」
「へえ、そりゃよかった」
「あと、九条さんが赤ちゃんを産んだって」
「へえへえ、そりゃめでたいことで…って、おいっ?!」
「あ、今は百合さんだった。精悍な顔立ちの男の子らしいよ。やっぱり名前は『将盛』かなって帝が言ってるらしいけど、どうする?」

くすくすと笑いながら告げてくるに、将臣は呆然自失状態だ。
九条と言えば将臣が懇意にしていた女性であり、壇ノ浦の戦いを控えていた前夜に正式に婚儀を結んだ、将臣の正妻でもある。
死を覚悟した戦に赴くのに婚儀など結んでしまえば残された妻が哀れだと反対したのだが、ただの恋人ではなく妻として最愛の人を送り出したいという彼女の熱意に負けたのだ。
その際に清盛から『百合』という名を戴いた。
気品ある美しさを持つ彼女に相応しい名だ。

「って言うか、あいつに子供? 俺、聞いてないぞ…」
「あら。出陣前だから気を遣ったのかな。私は聞いてたし二位尼も知ってるよ。だから戦の前に婚儀を結ばせたんじゃない。本当に気付かなかったの?」

駄目ねえなんて明るく言うに反論する気も起きない。
確かに、いくら何でも明日が出陣という時に婚儀を結ぶ理由がわからなかった。
清盛だけでなく、普段決して我儘を言わない百合の希望ということもあり承諾したのだが、その時には既に身籠っていたということか。
様子がまったく変わらないから気づかなかった。

「ちなみに清盛義父上は跡継ぎ誕生だと舞い上がっているらしく、二位尼も大喜び。帝は初の親戚誕生に目の中に入れても痛くないほど可愛がっているそうです。おめでとう、お父さん」
「あ…ありがと…?」

知らない間に一児の父になっていたのだ。
実感がわかなくて当然だろう。
何せ妊娠していたことも知らなければ、生まれた我が子をこの目で見てもいないのだ。
だが不思議なもので驚愕の後にじわじわとやってくるのは紛れもない喜びで。
見たこともない我が子を腕に抱いて微笑んでいる百合の姿が目に浮かぶ。
はい、と差し出されたのはもう一通の手紙。
見慣れた筆蹟は愛しい女性のもの。

「こっちは将臣くん宛て。ゆっくり読んで返事を書いてね」
「あぁ。サンキュ」

将臣は照れながらもそれを受け取る。
最後の戦が始まる直前に届く文にしてはあまりにもタイミングが良すぎるのは、おそらくが気を利かせてくれたのだろう。
何よりも平家を大事にするらしい。
こんな文を貰っては、下手に命を落とすことなどできそうもない。
まだ見ぬ子をこの手に抱くまではと、そんな欲が出てしまう。
そうして残った平家一門すべてを気にかけている
だが、将臣は知っている。
がその未来に自分を含んでいないことを。
あまりにも潔く、そして頑固な幼馴染は本当に厄介だ。
だが、将臣はの思う通りに進ませるつもりはない。

(覚悟しろよ)

慈愛に満ちた笑みを浮かべる幼馴染に将臣は思う。
が嫌だと言っても、自分たちは彼女を手放すつもりはないのだ。


  • 11.06.21