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覚悟


「……」

薬草の匂いが充満する室内は沈黙に包まれていた。
部屋にいるのは勿論患者と医者の2人だが、お互い無言且つ無表情である。空気は限りなく重い。
弁慶は患者の脈を計っている。
普通なら規則正しく脈打つはずのそれは、時折不自然に乱れる。
触れる指先は氷のように冷たく、何よりもその腕は数年前に診た時よりも遥かに細くなっていた。
健康的と言えないほど細いのは腕だけでなく、良く見れば首も頬も以前見た血色の良さは面影もなくなっている。
は決して弁慶の傍に近寄ろうとしなかったため今まで気づかなかった。
弁慶自身も平家に対する負い目があるため敢えて彼女の視界に入らないようにしていたため発見が遅れたのだが、正直彼女の容態は起きていることすら困難のはずだ。
望美からの体調を見るようにと言われた時に彼女の表情が僅かに翳った理由はこれだったのか。

「どうして、こんなになるまで…」

問う声が震える。
本来ならば家族の愛情を一身に受け幸福に暮らしていたであろう彼女の人生を狂わせたのは、間違いなく弁慶だ。
罪を背負う覚悟はできていたが、己の行動の結果をこのように突き付けられて平静でいられるわけがない。
目的のためなら手段も選ばない冷酷な軍師と言われていた自分だが、思わぬところに甘さがあったらしい。
は苦笑するだけで答えない。
弁慶が自身の望む未来のために努力したように、彼女もまた彼女の望む未来を手に入れるために努力しただけなのだろう。

「…正直に言います」
「はい」
「心の臓が大変弱っています。貧血の兆候も見られますし、到底動ける身体ではありません。薬師としては絶対安静を言い渡したいところです。それでも後数年持つかどうか…」

細い身体には当然のことながら体力も乏しく、神子として人一倍穢れに弱い彼女が動き回ることは無謀としか思えない。
今、こうして起きていることすら驚く程だと言うのに。
神の恩恵を受けているためだと言うのであれば、それを失った時の彼女は間違いなく無事では済まない。
それほどの重症だ。
告げるべきか隠すべきか、どちらも彼女のためにならないと悟った弁慶は、自分が診断した結果をありのまま告げることにした。
まだ10代の女性。
若さも美しさも明晰な頭脳も全て兼ね備えた、まさに完璧な姫君と言っても良いだろう。
佳人薄命とはこういうことなのかと思いながら告げた弁慶に、だが、はふわりと花が開くように笑った。



「ありがとう、弁慶さん。大体私の予想と同じで安心しました」



そこには未練も後悔も欠片もない。
弁慶は一瞬あっけにとられ、そうしてようやく理解した。
彼女は全て覚悟の上なのだと。







   ◇◆◇   ◇◆◇







くれぐれも他言しないようにと念を押して、は弁慶の部屋を後にした。
清盛を呪殺したのが弁慶だということを暗に匂わせば、あっさりと弁慶は承諾した。
勿論本意ではなかっただろうけど。
とて他人の弱みに付け込むようなことはあまりしたくなかったが、それ以外に弁慶の口止めを出来そうな切り札を持っていなかったのだから仕方ない。
どちらにしろ言うつもりはなかったけれど。

命の期限など、が一番良く知っている。
大地の命脈すら見えるだ。
己の命脈が見えないはずがない。
だが、そんなことで動きを止めるわけにはいかないのだ。
は天照の神子。
神との誓約はあくまでも荼吉尼天を倒すこと。
それを成さない限りはの使命は終わらない。

こほ、と咳が出た。
空咳のようなそれはの身体の悲鳴のようなものだ。
口元に手を当てれば、僅かに付着する赤い色。
正直限界は近いのだろう。

が斃れるのが先か、荼吉尼天を倒すのが先か。
これから先は時間との闘いになるだろう。
1人では厳しいかもしれないが、には味方がいる。
大切な幼馴染、厳しくも甘い義兄。そして不器用な生き様の盟友。
その1人の気配が近づいてくるのを察し、は汚れた手を懐紙で拭った。
姿を見せた盟友の表情では歯車が動きだしたのを知る。
そうして告げられた言葉に、は艶やかに笑う。
ようやく、すべてが終わるのだ。





源氏の大軍が奥州目指して進軍中。大将は梶原景時。





その報が御館の元へ届くのは、それから半刻後のことだった。


  • 11.06.15