弁慶が部屋に足を踏み入れれば、そこには異様な空間が広がっていた。
「が…私の大事なが…」
「いや、だからそれはだな…」
「あんな…あんな男に寝取られるなんてえぇぇぇぇ!!」
「だからそのとんでもなく誤解を生む言い回しを何とかしろ!!」
壁に向かい膝を抱えている望美。
そんな望美を必死で宥めている将臣。
暗雲立ち込めている2人の様子は明らかにただ事ではない。
「…どうしたんですか一体」
思わずそう呟いてしまうのは無理ないだろう。正直近寄りたくない。
だが、ただでさえ忙しい仲間たちが集まるのは食事の時間だけで、1つの部屋で揃って食事をすることを決めたのは他でもない自分。
それは知盛やの動向を探るために提言したのだが、件の平家2人は未だ姿を見せていない。
この世の終わりとばかりに打ちひしがれている望美の言葉から予測すると、おそらく原因は望美が己の半身だと言い切るに関することであるのは間違いない。
「寝取られる」という言葉は聞き捨てならないが、将臣の態度からそれは望美の誤解なのだとわかり安堵する。
ただでさえ複雑な環境なのだ。
1つ屋根の下で生活する以上、余計な混乱は招いてほしくない。
そんな望美の様子が気になっているのは弁慶だけではない。
望美と対の神子である朔も落ち込みの激しい望美の様子は気になるものの、原因がであることから気軽に声をかけることができないでいる。
朔にとってという存在はとても複雑なようだ。
勿論望美が半身と呼ぶほどだから仲が悪いわけではない。
偏に兄の存在だろう。彼女の兄がの一世一代の戦いを邪魔したことは朔とて気づいている。
そのことについて自身が朔に何かを言うことはない。
景時と朔が道を違えたということをわかっているからなのかは不明だが、何も言わないことが朔にとって負い目となっているのは間違いない。
そのせいか朔はが絡むことに関して口を挟めないのだ。
もう1人は九郎。
こちらは単純に鬱陶しいという理由からか。
但し、九郎も望美に直接声をかけることはない。
言葉を選ばない九郎は、思ったことをそのまま口にして望美の逆鱗に触れたことは記憶に新しい。
君子危うきに近寄らずという心境なのかもしれない。
リズヴァーンと敦盛の態度はいつもと変わらない。慣れているのかもしれないし、動じていないだけなのかもしれない。
譲は静観中だ。
望美に関しては冷静さを欠く彼だが、が絡んだ望美には一定の距離を保っていた方が良いと長年の経験から知っているのだろう。
どうやらが絡んで暴走する望美を止めるのは将臣の役目らしい。
そんな力関係を僅かな時間で認識した弁慶は、この事態を収束するにはが現れるのを待つしかないのだと、ほんの少し痛んだこめかみに手を当てた。
◇◆◇ ◇◆◇
年頃の女性がこれまた年頃の男性と同衾となれば誤解を生むのは当然で。
しかも大好きで大好きでたまらないと、憎くて憎くてたまらない知盛が一緒に眠っていたものだから、望美のショックは半端ではなかった。
「には幸せになってもらいたかったのに! 変な男に引っかかってもらいたくなかったのに!!」
「だから大丈夫だって。兄妹だぞあいつらは」
「ど腐れ外道の知盛にそんな理性があるとは思えないぃぃ!!」
おーいおいおいと泣く望美を宥める将臣は必死だ。
何故なら背後から譲が包丁で刺しかねない勢いで睨んでいる。
自分が泣かせたわけじゃないのに理不尽だと思うが、それで通じるほど譲は理性が強くない。
少なくとも望美に関しては。
そして望美もに関しては聞く耳を持ってくれない。
確かに知盛は女性に対して誠実とは言えないし、お世辞にも理性が強いとも言えないが、だがしかし相手はである。
義妹というだけでなく弟の想い人であるに手を出すとは将臣には思えない。
何よりも平家一門のために動くことすら面倒だと言っていたほど怠惰なくせに、に関してだけは細やかな気遣いを見せる知盛がの意に反することをするはずがないのだ。
その心遣いをもう少しこちらに向けてほしいと思うが、将臣は叶うはずのない望みを抱くほどお気楽ではない。
ついでに言えばたとえ知盛が何かしょうとしても、が受け入れることはないと断言できる。
彼女は一途なのだ。良い意味でも悪い意味でも。
「だーかーらー、あの2人は男と女の仲になんか絶対にならないから安心しろ。寝付けないを寝かしつけただけだって。特に珍しくもないんだって、俺だってやったことあるんだからさ」
重衡不在になってから一度だけあった。間違いではない。
150センチ少々しかないの身体は、180センチを超える将臣や知盛にとっては丁度良い抱き枕だ。
自身も毛布程度にしか思っていないだろう。
重衡にはどうだったか知らないけれど。
知盛や将臣にとっては確かに女性としてとても魅力的ではあるけれど、心情的には大切な妹だ。
だからこそ一緒の布団で眠ろうが抱き合って暖を取ろうが問題はないというのが将臣と知盛が共通して抱いている価値観なのだが、どうやらそれは平家の中でのみ通用することらしい。
つまりはに何かするつもりはまったくこれっぽっちもないから心配するなと言いたかったのだが、将臣のその言葉は残念ながら望美にとって激怒する理由になりこそすれ、安堵する要素には欠片もならなかったらしい。
「…………何ですって」
ゆらり、と怒りの炎を漲らせて振り返る望美に、将臣は己の失敗を悟った。
だが、もう遅い。
「そうかそうか。将臣くんものあの細くて柔らかくて暖かくて、ついでに良い香りのする身体を抱きしめて眠ったと? 私に何の断りもなく?」
「待て待て! だから何でそうきわどい言い回しをするんだ! ついでに言うならお前の許可が何で必要なんだ?!」
「そんなの私とが親友だからに決まってるじゃない。他にどんな理由があるの」
「親友だからっておかしいだろ?! って言うかの不眠の原因は源氏じゃねえか!」
「よろしい、ならば戦争だ」
どこぞの少佐のような台詞を吐きながら恐ろしい速さで振り下ろされた剣を、将臣は奇跡的に己の剣で受け止めた。
背中に嫌な汗が流れる。
…今の絶対本気だった。
爽やかな朝の一時であるはずなのに、何だろうこの殺伐とした空気。
将臣は望美の逆鱗に触れたことに気付かない。
ついでに言うなら本気の一撃を片手で受け止められた事も悔しい。
流石は還内府なんて感心してなんかやらない。
「の柔肌を汚した男は万死に値する。大人しくこの剣の錆になりなさい!」
「見てねえし汚してもいねえよ!!」
「問答無用ぉー!!」
「いい加減にしやがれー!!」
「………何これ?」
ようやく起きたは、目の前で繰り広げられるカオスな空気にただただ茫然とするばかりである。
- 11.03.15