泰衡が持ってきてくれる薬湯は相当高価なものだったらしく、の体調は目に見えて良くなっていった。
喜んだのは望美だ。
心配をかけてしまったから、彼女が喜んでくれるとも嬉しい。
勿論望美は泰衡がに薬湯を用意しているとは知らないから、単純に時間が経過して回復したのだと信じているようだが。
食事も、まだ量は少ないが普通の食事を摂れるようになってきた。
そのせいか譲も嬉しそうだ。
九郎にはまだどうしても他人行儀な態度しか取れないけれど、もう、そんなに恨んでいない。
勿論、弁慶もだ。
それでもどうやっても腫れ物に触るような態度なのは、これはもうお互い様としか言えない。
2人ともに対してだけ態度がぎこちないのだから。
皆の優しさが嬉しいと思う。
だから、自分も彼らに何かを与えたい。
そうしてはこっそりと部屋を抜け出す。
満月の夜は大気に力が満ちているため、女神の恩恵を与えるには最適なのだ。
とん、と庭先に下り立つ。
またもや裸足なのは勘弁してもらいたい。
この方が力が伝わりやすいのもあるのだが、何故だかの靴だけ用意されていないのだ。
外出させまいとする誰かさんの陰謀であるのは間違いない。
泰衡に頼んで用意してもらおうかとも思ったが、彼と親しいことをこの屋敷の人に知られるのはあまりよろしくないような気がするのでやめた。
雲一つない望月。
見慣れた星空は平泉でもあまり変わりはないようで安心する。
――ここが彼らと共に過ごした地だと思うことができるから。
はゆっくりと舞を舞う。
北条政子との対決はひとまず先に延びた。
ではそれまでにが何をすればいいか。
政子――荼吉尼天の力を削ぐために土地神の力を増幅させるのだ。
勿論荼吉尼天がその気になれば、ほとんどの土地神は飲み込まれるだろう。力の質が違いすぎる。
だが、彼女が放つ穢れた気に抵抗できるだけの力すらなくなった彼らを放置しておけば、いずれ平泉は土地が枯れて人も草木も全て滅んでしまう。
この穢れた大気の中でそれができるのはだけ。
弱った大地に急激に力を注いでは、かえって土地のバランスを崩してしまうため、緩やかに、穏やかに。
雨が大地に浸み込むように少しずつ与えていかなければいけないのだ。
だからは毎日舞を舞う。
何も知らない人が見れば練習をしているように見えるだろう。
それでいい。
本来の目的を、あえて教えるつもりはないのだから。
細い声が歌を紡ぐ。
どこで聞いたか思い出せないけれど、昔どこかで耳にしたことがある歌。
祈りの歌。鎮魂の歌。
は祈りを込めて歌う。
静かなこの夜にあなたを待ってるの
あの時忘れた微笑みを取りにきて
あれから少しだけ時間が過ぎて
思い出が優しくなったね
星の降る場所であなたが笑っていることを
いつも願っていた――
「綺麗な…ですが、とても悲しい歌ですね」
不意に響いた声には舞を止めて振り向いた。
気配がわからなかった。
元々、以前に比べれば驚くほど生気を感じなくなった彼である。
それを抜きにしても、の感知力が弱まっているために、気づくのが遅れてしまったのだ。
何故、彼がここに。
彼は確かに望美の従者となっている。
だが時刻は真夜中。
望美も眠っている時間だ。
こんな時間に屋敷を訪れる人物がいるなど、誰が思うだろうか。
銀は静かに歩いてくる。
は動くことができない。
会わないようにしていた。
会えば切なくなるから。
「姫君」
初めて会った時と同じ呼び方に泣きそうになる。
は静かに瞳を伏せ、そしていつもと同じ笑顔を浮かべた。
その僅かな時間に己の感情を封印することは、もう慣れてしまった。
◇◆◇ ◇◆◇
「どうしましたか?」
訪れるには少々遅い時刻ですよ。
笑みを浮かべながらは軽く咎める。
綺麗な、だがどこか壁を作ったような表情に銀は瞬戸惑う。
彼女の顔を見るのはこれで3回目だ。
一度目はが目覚めた日。
二度目は、は知らないだろう、望みを迎えに来た際にほんの少しだけ姿を拝見した。
優しい笑顔で笑っていた。
ふわりと花が咲くような笑顔に目が離せなかったのを覚えている。
そうして、三度目。
今目の前で微笑むは確かに美しいのだけれど、あの時の笑顔とは質が違う。
親しい人物にしか見せないのだろうか。
だが、その笑顔を自分にも向けてほしいと、銀はそう思っていた。
だからこそこのような時刻だとわかっていながら屋敷に忍び込むような真似をしたのだ。
あの日から彼女を話をしていない。
どころかは銀を避けているように感じる程には、決して広くない屋敷内で偶然会うことすらなかった。
彼女にべったりの望美の従者をしているにも関わらずだ。
には強力な護衛がついている。
親友である望美と、義兄である知盛だ。
彼らの目をかいくぐってに会うのは、昼間ならば不可能に近い。
だが、夜はどうだろう。
いくら兄妹とは言え寝室は別であるはずだし、同室になっている可能性の高い望美は昼間動き回っているから疲労で早く休んでいるはずだ。
勿論自身も眠っているという可能性は否定できない。
それでも寝顔でも良いから、もう一度顔を見たかった。
だから訪問に相応しくない時刻だとわかっていながらもやってきてしまったのだ。
「姫君に、お会いしたかったのです」
「私に?」
が不思議そうに首を傾げる。
そんな様子もやはり愛らしい。
この感情を何と呼べば良いのか、銀は知らない。
平泉では氷の貴公子と呼ばれるほど、多くの熱い視線にも溶かされることなく平静でいたというのに。
の僅かな表情1つに心乱される自分がいる。
こんな自分は知らない。
警戒したの表情が切ない。
どうか、拒まないでほしい。
「姫君…」
動いたのは、無意識だった。
- 11.02.25