「ところで」
相変わらずの無表情、どころか不機嫌そうな表情で唐突に話を切り出したのは泰衡だ。
あの日が泰衡に連れられて泰衡の屋敷へお邪魔して以来、泰衡とは2日と置かずに顔を合わせている。
どうやら彼もの細さに不安を抱いたらしく、事あるごとに差し入れを持ってくるのだ。
あの泰衡が他人――それも女性に関心を示すなんて珍しいとは九郎の言葉だが、泰衡がの元に滞在しているほとんどの時間は九郎や望美達が外出している時なので、彼がこうまで頻繁に訪れていることを知っているのはと知盛だけだ。
ちなみにが目覚めて以降外出が増えた知盛だが、あっさりとを泰衡の屋敷に連れ去られて以来彼女の傍から離れようとしない。
はきょとんと彼を見つめる。
そんな彼女の手元には高価な薬湯と棗の蜂蜜漬け。泰衡の貢物である。
「壇ノ浦で平家の船をどこぞに飛ばしたと聞いたが」
「あぁ、そのこと」
泰衡の言葉は事情を知らない者からすれば意味不明だが、と知盛は不思議に思わない。
何せ泰衡曰く『どこぞに飛ばした』張本人と目撃者だ。
「源氏の皆さんがちょっと聞き分けなかったから、強制的に撤退させてもらっただけ。犠牲を増やしたくなかったから少し強引だったかもだけど」
「そのあと女狐と対決したとか」
「未遂に終わりました」
「更には仲間一行引き連れてどこぞへ飛んだとか」
「安全に撤退するためです」
「…それで死に掛けたのか」
「覚えてないけどね」
ぺろり、と舌を出して答えるに反省はゼロである。
泰衡の眉間の皺はとんでもないことになっている。
実は泰衡とは、泰衡の屋敷で同盟を結んだ仲だ。
泰衡は源平の争いの裏にあるものを探っていた。
そうして突き止めた本当の敵。
彼女について調べていくうちに、突き当たったという人物の不思議。
人を使って調べるだけでは限界がある。
特に壇ノ浦での「人と船が一瞬で消えた」という説明は、どこをどうやっても理解できなかった。
普通に考えてありえない。
沈んだのならまだわかる。
光に包まれて消えたとか、どんな神業だ。
そんなの神話の時代から聞いたことがない。
更に調べてくにつれ、平家を影から支えていたのはだということがわかった。
物量的に圧倒的不利だった平家が、どうやって源氏と同等の兵に食料や武器を提供していたのか。
それは並大抵のことではない。
平泉は特に裕福な国ではあるが、それでも源氏を相手に長年戦い続けるだけの財力があるかと言われれば厳しい。
それなのに衰退した平家がどうやって。
疑問を抱いた泰衡は、答えを見つけるべくに直接問いつめたのだ。
却ってきたのはあっさりとした一言。
「我が神の望むがままに」
望んだ結果は得られなかったが、とりあえずがこの国を統べる神に仕える神子だということを知った。
それは正に泰衡が望んでいた力であり、一時は利用しようと考えた『龍神の神子』よりも遥かに強力な力である。
このまま庇護する代わりに、泰衡はその力を提供するよう命じた。
はあっさりと了承した。
その代わりにといくつか要求されたけれど、それらは泰衡にとっては大したことではないため問題なかった。
そうして2人は盟約を結んだ。誰にも気づかれないままに。
の口調がかなり砕けたのは、泰衡が望んだからだ。
盟約を結んだ相手によそよそしい態度を取られるのは不本意だと、泰衡を知る人物が聞けば空耳だろうと断言する言葉にはあっさりと頷いた。
が敬語を使うのは、九郎と弁慶だけである。
心を許していない証拠とでも言うかのようなその口調は、今のところ改めるつもりはない。
ちなみにその口調が更に九郎と弁慶を凹ませる原因なのだが、知っていても直すつもりはない。
どちらが悪いというわけではないが、やはり何のわだかまりも持たないほどは出来た人間ではない。
彼らのせいでどれだけの犠牲が出たか。
正確には九郎のせいではないが、そこはが未熟なので大目に見てもらいたい。
そうして盟約を結んで気づいたのだが、泰衡はほど己の身体を大事にしない人間を見たことがなかった。
泰衡も政務に身を入れ過ぎて体調を二の次にしてしまうことが多い。
だが、そんな泰衡から見てもは己を犠牲にしすぎなのだ。
まず、時間があれば大地を浄化しようとする。
それはの体力と気力を大幅に消費する行為で、勿論もそれを知っている。
来るべく日に備えて最低限の体力は残しておくつもりのようだが、壇ノ浦よりも遥かに落ちた体力で同じことをするつもりなのだから、自殺願望でもあるのかと問いたいほどだ。
望美などはが屋敷で大人しくしているから問題ないとでも思っているのだろうが、彼女はどこにいようと誰の目を盗んででも無理をできるからあまり意味がない。
唯一気づいていそうなのは知盛なのだが、彼は彼での行動を咎めない。
わかっていないわけではないだろう。それならの本意を遂げさせてやろうという兄心か。
知盛の真意は泰衡にはわからない。多分、誰にもわからないだろう。
目的のためには手段を選ばない泰衡も、流石に彼女の行動は目に余った。
言っても聞かない彼女のために、少しでも滋養のあるものを手土産にしているのは、恐らく譲の心境と同じだろう。
どうしてか保護者的な感情を抱かせるのがという人物の特徴らしい。
こんなに他人を気遣う人間ではなかったのに。
図らずとも昔の知盛と同じ感情を抱いていることを泰衡は知らない。
知盛がそんな泰衡を見て、かつての自分を見ているようだと呆れていることも、当然のことながら気づいていないのである。
そんな泰衡の前には薬草で作ったという茶と、何やら黒い物体。
が作った『羊羹』という菓子らしいが、驚く程の量の砂糖が使われている。
砂糖は高価なものだ。
国内で生産はできず、すべてを輸入に頼っているため、黄金と同じだけの価値がある。
将臣や知盛、そして敦盛は当然のようにそれを食べているが、事情を知っている九郎や弁慶は目を丸くしていた。
女の子は甘味でできてるの、と公言する望美は歓喜に震えていたが、彼女はどこか世間から離れているので意見は参考にならない。
初めて見る菓子は小豆の風味と程よい甘さが丁度良い。
彼女が料理をできるということにも驚いたが、これほどの高級品を普通に作るに、平家の財力が何であったかを知った。
成程、確かに砂糖の輸入を独占しているのならば、源氏に対抗できるだけの財力を蓄えることは可能だ。
まさか輸入ではなく生産をしているとは気づかない。
国内に製糖法が導入されるのは江戸時代。まだまだ先である。
深い知識と見識力。
いくら神子だとしてもあり得ない知識である。
同じ神子の望美とは天と地ほども違う。知識も性格も――戦い方も。
この2人が親友だというのが信じられない。否、正反対だからこそ親友なのか。
どちらにしろ、と話をすることは泰衡にとって有益であることは間違いない。
だが、にとってはどうだろう。
庇護を与えているのは確かだが、それ以上に泰衡が彼女のために何かを成しているだろうか。
彼女が平泉に与えてくれる恩恵以上のものを。
唯一彼女が望みそうな答えを用意できるが、それを彼女が口にしたことは今のところない。
「…何か聞きたいことがあるのではないか」
「何を?」
何一つ変化のないに泰衡はたまらず問いかけてみたのだが、返ってきたのは本当に不思議そうな表情。
泰衡ははっきりとした答えを口にすることを躊躇われて、わずかに視線を動かして部屋の隅にいる知盛を見る。
興味なさそうな顔で寝転んでいる知盛は、だが気配だけはしっかりと泰衡に存在を主張している。
に無体なことをすればただでは済まさない、そう告げているのだ。
そんな知盛と瓜二つの己の従者。
彼が誰かなんて泰衡は調査済だ。どのような状態なのかも。
泰衡でさえ気づいているのだ。
がわからないはずない。
だがの態度は変わらない。
強いて言うならなるべく接近しないようにしているだけだが、は元々高貴な身分なので部屋から出なくても不思議はない。
その頑なな態度が泰衡に疑問を抱かせる。
敵である九郎でさえ、結果的に頼朝と政子の手から守ったである。
彼を放っておくことは不自然だった。
再会を喜ぶなり、変貌を嘆くなりしそうなものを。
だがは首を振る。
まるで彼と『銀』は無関係だとでも言うかのように。
「生きて、元気で、ここにいる。それ以上に何を望むの」
そう言って微笑むはこの上なく綺麗だったが、それ以上に、触れたら壊れてしまいそうなほど儚かった。
- 11.02.14