秀衡が九郎一行を奥州にて匿うと決めたのは必然だった。
何しろ彼は九郎を実の子のように可愛がっていたのだ。
それこそ実の子である泰衡よりも。
それを不服と思ったことは一度もない。
だが現在の情勢を考えれば、何の策もなく彼らを匿うことは相応の危険が生じることを、果たして当主である彼は気づいているのだろうか。
秀衡が最優先に守るべきは奥州であり、又、その土地に住む人々だ。
九郎に固執するあまり、領地をないがしろにするようでは困る。
恐らくは杞憂だろうという考えを拭えないのは、泰衡が神経質すぎるからだろう。
だが、父・秀衡が大らか過ぎるほどに寛容だから、自分は厳しすぎるほどで良いと泰衡は考えている。
他人がそんな自分をどう評価しようと関係ない。
泰衡が守るべきものは決まっていて、その優先順位を間違えてはいけないのだ。
だからこそ泰衡が気になるのは、九郎と共にやってきた奇妙な一行のことだ。
弁慶はわかる。彼は昔から九郎と共にあったから。
問題はそれ以外だ。
九郎を裏切った梶原景時の妹と、源氏の神子と呼ばれた少女、そしてその少女の幼馴染だという長身の少年。
更には龍神と称する幼い子供。
それだけでも素性不明で厄介だと言うのに、彼らは更に厄介な人物を伴っていた。
平家総大将である還内府こと、平重盛。その弟である知盛と、無冠大夫・平敦盛。
そして、平家の至宝と呼び名の高い、平家の末姫・だ。
問題ありどころか禍の種でしかない顔ぶれに、泰衡が警戒を強めるのは当然だろう。
ただでさえ源氏軍に追われている九郎に、敵方の中枢にいる人物達が勢ぞろいだ。
源氏が奥州に攻め込むには絶好の機会ではないか。
救いは今のところ源氏から何の沙汰も届いていないことか。
とにかく、奥州を束ねるものとして放っておけないのは確かだった。
それゆえに己の従者を源氏の神子に付けたのあが、ある日を境に銀の態度が微妙に変化した。
理由を聞いても本人すらわかっていないらしく、どこか要領を得ない。
さては源氏の神子に心惹かれたのかと思えばそういうわけでもないらしい。
時期を確認すれば、眠り続けていた平家の末姫が目覚めた頃。
平家の末姫の噂は、遠い奥州にいても届いてきた。
天女の如き美しさと聡明さを持つ女性であると。
清盛の溺愛が過ぎて、適齢期を過ぎたというのに未だ嫁ぎ先も決まらず、片時も傍から離そうとしないとか。
美形が多い平家の中でも突出した美貌を持つという彼女を手に入れようと、多くの公達が清盛の屋敷に求婚の列を作ったとも聞いている。
噂はえてして誇張されるのだが、それを差し引いても清盛が特別可愛がっていたことは事実だろう。
どのような姫かという興味は多少あるが、それ以上に感情が欠落していると揶揄される銀の心を動かすだけの相手となれば、むしろそちらの方が興味深い。
勿論、清盛が戦場にすら彼女を伴っていた真の理由も気になるところであるが。
気にはなるが、やはり体調が戻っていない女性に無理をさせるつもりは最初からなかったため、彼女が起き上がれるようになるのを待つことにしたのは、別に女性に対して礼を尽くしたわけでもなく、単純に事情を聞き出す体力が戻るのを待つためだ。
そして、ようやく床から上がったと聞かされてやってきたのだが、実物は泰衡が思っているような人物とは少々違っていた。
屋敷の庭で舞を舞う女性。
一見すると源氏の神子より年下に見えるが、調べた結果では彼女の方が2歳ばかり年上らしい。
柔らかな動作はつい先日まで寝込んでいた人物のものとは思えないほど軽やかで、うっとりと夢見るような表情はこの世のものとは思えない美しさ。
透けるように白い肌は、なるほど確かに先日まで病床にあった人物のものらしいが、動いたせいかほんのりと色づいている頬は冷徹と言われる泰衡ですら見惚れてしまうほど魅力的だった。
静かに紡がれていく歌声はか細く、だが繊細な調べのように心に響いて。
ひらりと翻る袿の裾からキラキラと零れていくのは、黄金色の光。
身の内から溢れる神気が、彼女が舞うごとに大地へと降り注ぎ、そして土地の気と同化して力を増していく。
平家の比売神と呼ばれ、最近では源氏の神子に対抗するかのように平家の神子とも呼ばれていた、平家の至宝。
それは決して誇張でも比喩でもなく、正に彼女こそ神の寵愛を得た神子であることを、泰衡に見せつけていた。
だが、その溢れるばかりの神気は同時に彼女の生命力のような気がして、泰衡は息を呑む。
神道にも仏教にも陰陽道にも多少の知識があるからか、泰衡には彼女の持つ神力が生命力と同じものであることに気づいた。
無意識ということはないだろう。
柔らかく慈愛に満ちた表情は何かを悟っているようで、だからこそ彼女の行動はすべて意味がある。
力を増していく土地神の気配と、僅かだが確実に弱まっていく比売神の神気。
彼女が何をしているか、わからない泰衡ではない。
「安静にしているようにと言われていたのではなかったのか」
だからこそ、思わず声をかけてしまった。
命を燃やしている彼女を止めたくて。
どうしてそのような行動を取ったのかは、わからなかった。
◇◆◇ ◇◆◇
漆黒の外套を身に纏った男性は、同じく漆黒の雰囲気を身に纏っていた。
整った顔は無表情であるが故に冷ややかで、眉間の皺が彼の表情を更に気難しいものにしていた。
長い髪が風に揺れる。
ゆるく纏めた髪も、又、漆黒。
まるで闇の使いのようだとはぼんやりと思う。
「愚かな女だ」
低く呟いた声は不機嫌そのものでありながら、どこか憐憫の情を感じさせて、はふわりと微笑む。
それが不思議だったのだろう、眉間の皺が更に刻まれた。
若いからってそんなに皺を寄せてたら癖になっちゃうのに、なんてどうでもいいことが一瞬頭をよぎる。
「貴様が、平家の末姫か」
「貴方は?」
「顔を合わせるのは初めてだな。俺は藤原泰衡。奥州を守る藤原秀衡が嫡男だ」
「貴方が…」
奥州藤原家はも良く知っている。
勿論こちらの世界に来る前の知識でだが。
義経を庇護した秀衡。
彼の死後、義経を源氏に売り渡したのは、嫡男の泰衡。
平泉を守るための苦肉の策だったのかもしれない。
だが結果としてそれは源氏に平泉を攻めさせる恰好の口実となり、権勢を誇った奥州藤原家は彼の代で滅んだ。
の知る史実とこちらの世界とでは色々なことが微妙に違うが、大きな歴史の流れは同じである。
そして奥州藤原家を頼ってやってきた九郎を、果たして彼はどう扱うか。
それは気になるところだった。
は優雅に膝を折った。
本当ならば三つ指をついて礼をするべきだろうが、生憎ここは土の上だ。略式でも勘弁してもらいたい。
「泰衡様には初めてお目にかかります。平家棟梁・平清盛が末娘、と申します。このたびはこちらの屋敷に滞在いただける許可を頂いたとのこと。感謝いたします」
「気にすることはない。九郎のついでだ。まぁ、ついでの方が数が多かったがな」
「その通りですね」
ため息とともに憮然として答える泰衡に、はくすりと笑った。
不機嫌そうにしているのに、本質は凄く優しい。
たった一瞬でもにはそれが伝わってきて、何だか嬉しかった。
無条件で九郎を庇護することを決めた秀衡の決定について、彼は異議を唱えてなさそうだ。
それどころか九郎が同伴してきたというだけで、これだけの人数の世話をも見るつもりなのだ。
思惑は当然あるだろうが、今のところ負の感情は感じない。
「ところで、貴様はいつまでそこにいるつもりだ」
「いつまでとは…?」
言葉の意味がわからずにきょとんと首を傾げるに、泰衡はまたもや呆れたようなため息をついた。
そしてそのまま庭に下りてくる。
細いながらもしっかりと鍛えた腕がの身体に回り、そして――。
「え…きゃあっ!」
「大人しくしていろ」
ふわりと抱き上げられた。
平家の人以外にそんなことされたことなくて、少々乱暴なそれには驚いたように泰衡の首に手を回した。
を抱き上げるのは主に3人。
知盛と重衡と、そして将臣である。
知盛はまるで幼い子供を抱えるように片手で抱き上げるし、将臣に至っては小脇に抱えるか俵担ぎだ。
唯一優しいのは重衡だが、彼はまるで宝物のようにを抱き上げ、大切に運ぶ。
だからこんな乱暴な抱き上げられ方はしたことがないのだ。
もっとも、将臣の抱え方が丁寧だとは思ったことがないが。
何しろほとんど小荷物扱いである。
女性の扱いとして正しい態度だとは、間違っても言えない。
「えっ、あの、泰衡様??」
「履物も履いていないのに、それ以上歩かせるわけがないだろう。床が汚れる。黙っていろ」
「あ」
そう言われては己が裸足のまま庭に下りていたことを思い出した。
直接触れた方が大気へ力が伝わりやすいと思ったのだ。
それは間違っていなかったのだが、それを見た人がどう思うかまではうっかり失念してしまっていた。
確かにあまり褒められた行動ではない。
子供ならまだしもいい年した女性なのだ。
将臣にばれたら間違いなく説教される。それは譲でも同様なのだけれど。
「…軽いな」
しみじみと言われては返答に困る。
小柄なのも体重が少ないのも自覚しているが、そこまで呆れたように言わなくてもいいではないか。
こっちだって好きで体重が減少しているのではないのに。
「あの…泰衡様? どちらへ…?」
「私の屋敷だ」
そう言いながら泰衡はどんどんと歩みを進めてしまい、とうとう門の外へ出てしまった。
途端に襲ってくる瘴気にの身体が強張るが、予想以上にダメージが少ないことに気づいた。
どうやら泰衡の仕業らしい。
「悪いが浄められるのは俺の周囲だけだ。神子を瘴気で穢させるわけにはいかない。大人しくしていろ」
一般人には気づかない瘴気だが、の身体には害になる。
それをわかってわざわざ空気を浄化してくれるのだ。
そんな力を持っていることにも驚いたが、それ以上にを気遣ってくれることに驚いた。
悪い人じゃないみたい。
そんな感想を抱きながら、は泰衡の言うままに大人しくすることにした。
そうして連れてこられたのは当然のことながら泰衡の私邸で、が拉致られたと望美が殴り込みをかけてくるのはそれから一刻後のことだった。
- 11.02.12