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人生を賭けた願い


本当なら。
あっさり本宮へ到着して用事を済ませて帰るつもりだったのだが、やはり予定は未定ということなのだろう。
予想外に時間が経過してしまったために一旦宿へ戻ることにして、明日こそはと決意を新たにした翌朝。


「え?」
「だから、川が渡れるようになったんだってさ」


起きるなり将臣からそう告げられて、正直肩透かしを食らったような気分だ。
本宮へ行くための川が増水して渡れないということは、宿への帰路で聞いた。
正確には知盛に担がれて帰る途中で、井戸端会議をしていたおばさんたちの会話を小耳に挟んだのだが。
がいた世界のように治水が万全ではないため、上流で雨が降れば増水することもありうるだろう、明日は無理でも数日中に渡れるようになるはずだとのんびり考えながら宿に戻った。
それなのに一晩経って増水が治まってましたというのはどういうことだろう。
何か事情を知っているのではないかと将臣を凝視すれば、ふいと逸らされた瞳。

「…将臣くん?」
「あー、あれだ。望美の同行者が追い払ったらしいぜ」
「望美の? うんと、八葉だったかな? 神子の補佐する八葉が、怨霊を追い払える力を持ってるんだ。おかしいね」

望美が龍神の神子だという話は聞いた。
天照の神子の自分と同じようなものかと思えば、どうやら望美の力は自分とは少々違うようだ。
八百万の神を統べる天照大神と龍神では違って当然なのか、話を聞く限りでは望美にはのように天候を操る能力はないらしい。
仲間の気を読むこともできず、戦って怨霊を封じるくらいしかできないと言っていた。
どうやら他にも特異な能力がありそうなのだが、望美の口から話されることはなかった。
のように強大な能力がない代わりなのか、望美には自身の能力を補うように八人の仲間がいる。
行方不明になってしまった敦盛が望美の八葉として同行しているということにも驚いたが、将臣までもが八葉の1人なのだから一体どういう基準で選ばれたのか。
源氏の守護神でもある源氏の神子を守る八葉の1人が、敵対する平家の総大将だなんて皮肉にも程がある。
だが彼らはあくまでも神子の補佐。
神子のみが行えるという封印を彼らが出来るとは思えない。

「将臣くん」
「悪い。望美を宿に送った後に退治して来た」

じろりと睨めば、あっさりと白状した。
宿に戻るなり寝付いてしまったを心配して帰ろうとしなかった望美だが、同行者に無断で外出してきたため将臣によって半ば強引に帰らされた。
勿論護衛と称して宿まで送っていったのは将臣だ。
夜とまでは行かなくてもそこそこ遅い時間だったはず。
は瘴気にやられて動くのもつらかったというのに、望美には影響がなかったらしく、怨霊がいるという一言で飛んで行ってしまったらしい。
さすが17歳。元気だ。

「カエルの化け物みたいなやつだったぜ。気の澱みもなくなったことだし本宮まで行くのは問題ないだろうよ」
「そう。それならいいけど、あまり無茶しないでね」

神域とも言える熊野でも怨霊がはびこっている事実は少々問題あるが、今はとにかく自分達の用件を済ますことの方が先だ。
望美は熊野の怨霊も平家のせいだと思ってしまっただろうか。
怨霊はすべて平家のせいだなどと不名誉な汚名を着せられている現状を甘んじて受けるわけではないが、一体や二体の怨霊を封じたところで龍脈が穢されてしまった以上何の解決にもならない。
元凶は他にあるのだから。
それを倒さない限り、そして失った黄龍の加護を取り戻さない限り、この国から怨霊が消えることはないだろう。
だから、やることは決まっている。

「じゃあ、一刻も早く本宮へ行かないとだね」
「おう」
「それじゃあ知盛さんを起こしてきてもらえるかな。で、将臣くんはお留守番」
「何でだよ?!」
「勝手な行動取った罰です。決まってるじゃない」

不平を漏らす将臣に、だがはきっぱりと言い切った。
とりあえず、内緒で危ない行動を取ったことに対してのお仕置きだけはしておこう。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「おぉ、姫じゃないか。久しぶりだな」
「はい。湛快さんもお元気そうで何よりです」

将臣が言う通り熊野川の氾濫はすっかり治まっていたため、本宮大社にはすぐに到着した。
さすが平家、しかも清盛が溺愛したという末姫自らの訪問に、熊野は表向き歓迎の意を持ってを迎え入れた。
熊野には平家と源氏の血がどちらも流れている。
現熊野別当の母は源氏の血筋だし、別当の伯母は平家に嫁いでいる。
藤原の血を持つ熊野別当一族はそうやって時の権力者と懇意を持つことによって己が権力を保持してきたのだ。
没落したとは言っても平家の権威はまだ健在だ。
中央から離れたけれども西側の勢力としては平家を支持する者が多い。
そういう打算もあってのことだとわかっているが、目の前の湛快からはそんな様子は微塵も感じられない。
本当にの来訪を楽しみにしていたかのような気のいい笑顔である。
はふわりと微笑んだ。

「お変わりないですね、湛快さん」

が湛快と会ったのは過去に数回しかない。
清盛と共に本宮へ赴き、そして湛快との対面の場でヒノエが乱入。
俺の花嫁に手を出すなという物騒な言葉を投げつけたのは忘れたくても忘れられない。
あれからだ。
知盛と重衡がに対して過剰なまでに過保護になってしまったのは。
その記憶が甦ったのだろうか、お陰で隣に座る知盛の機嫌は悪い。

「いやぁ、前から美少女だとは思ってたけど、こりゃ本当に噂通り、天女様の如き美貌だ。どうだい、うちの息子の嫁に」

知盛の眉がぴくんと上がる。
はかすかに袖を引くことでそれを制して、湛快へと「花のような」美貌を向けた。

「いついかなる時であろうと、どのような状況であろうと、熊野水軍が最後の一兵まで平家を守るために戦うと約定くだされば、喜んで別当殿に嫁ぎますよ」

柔らかな春の風を思わせる風貌で、だが言っていることは相当辛辣だ。
たとえ源氏側からどのような圧力がかかろうと、熊野を質に取られようと、平家と命運を共にする覚悟があるのかと問われた湛快の顔から笑みが消えた。
平家が一門を愛するように、熊野水軍は熊野を愛している。
源氏と平家の争いすら、熊野はなるべく係わり合いになりたくないと思っているはず。
だが熊野は脅威だ。
どちらかに偏るだけで戦力バランスは著しく変わる。
それを知らないではない。
勿論自分の身を質にして熊野水軍という強力な戦力が手に入るなら嫁入りぐらいしてみせよう。
たかが1人の女人と、熊野の命運。
それを湛快が秤にかけるならの話だが。

一瞬で真顔になった湛快はの瞳を凝視し、そして破顔した。

「嬢ちゃんには敵わねえな。熊野の嫁としてこれ以上相応しい女はいないんだが、さすがにあんたにゃ背負うものが大きすぎる。悪かったな。洒落にならない冗談はこれで仕舞いだ」
「申し訳ありません、湛快さん。私は平家と命運を共にする覚悟ですので」

淑女の鑑のように優雅に一礼して、はそう告げる。
掃いて捨てるほどの求婚にも首を縦に振らず、清盛の庇護の下で平家の掌中の玉と呼ばれていた
どれほど条件の良い婚姻の話にも首を縦に振らなかったのは、清盛が溺愛しているせいでも、知盛や重衡が妨害しているせいでもなく、本人の意志によるものなのだと、毅然と湛快を見つめるの視線から推し量ることができる。

(勿体無いねぇ。別当の奥方としちゃあこれ以上ない人材なんだが)

所詮は高嶺の花。
彼女の覚悟に釣り合うだけの手札を、こちらは出すことが出来ないのだ。

「それで、嬢ちゃんは、何で今の時期に熊野へ来たんだい?」
「勿論、熊野前別当の湛快さんにお願いがあってきました」
「息子じゃなくて俺にかい? 美女の頼みは熊野の男なら断れないからな。俺に出来ることなら何でも聞いてやるぜ」

平家と源氏。
どちらかに肩入れは出来ないが、それを分かっていて尚出来る協力ならしてやりたいと思う程には、湛快はのことを気に入っている。
常人には気づかない湛快の気配の変化に気づいたのだろう。
がふわりと笑んだ。
それは先ほどよりもずっと人間らしい笑み。

「それでは、我侭を1つ。熊野にはこのまま中立の立場を貫いていただきたく存じます」

深々と頭を下げて告げるに、湛快は了解したとばかりに頷いた。


  • 10.03.10