炎のはぜる音がする。
戦は目の前。
なのに、心穏やかな自分が不思議だった。
怖くないわけではない。
この戦で敵も味方も多くの生命が失われるのだとわかっている。
それでも避けられないのなら犠牲は最小限で。
そう願いつつ兵士を戦場に送り出す自分がいる。
願いは1つ。
皆で平和を。
の時代には当たり前だったそれ。
こんなにも難しく、だからこそ尊い。
「」
「重衡さん」
呼ばれて振り返れば鎧姿の重衡。
そういえば重衡の戦装束を見たのはこれが2度目だ。
凛々しい姿は似合っているけれど、これから戦に赴くのだから素直に喜べない。
「あぁ、そういう格好も似合っていますね」
「そう?」
「はい。勿論はどのような格好をしていても麗しいのですが、普段と違う姿は何といいましょうか…そう、新鮮です」
重衡が目を細めてそう言う。
の格好は袿の上着を脱いで腰に巻きつけた、所謂腰巻姿という格好だ。
室町時代から始まったこのスタイルは、確か鎌倉時代にも行われていたようだが、公家様式で生活していた平家にとっては始めて見る格好なのだろう。
本当は水干を着たかったのだが清盛が反対した。
姫が男の格好をするのはならんと言っていたが、本当は身軽な格好をしてはいつ戦場へ飛んでいってしまうかわからないからというのが本当の理由だ。
だがは今回怪我人の手当てをするために従軍したのだから、いくら何でも袿姿では動きにくい。
仕方なく袿を腰に巻いたのだが、これが意外と動きやすかったのだ。
「ですが、。くれぐれも戦場にはおいでになりませんように。約束してくださいますね」
「重衡さんまで同じこと言うんだね。さっきも知盛さんや将臣君から散々言われたばっかり。そんなに信用ないのかなぁ」
「には前科がありますからね。貴女が本気を出せば我々では止めることができないことはわかっておりますが、やはりあのような血生臭い場所に行ってほしくないのです」
「過保護だね」
くすくすと笑うを重衡は抱きしめた。
神の力を身に宿すを止めることは不可能。
それは南都の事件でも十分すぎるほどわかっている。
一瞬で目の前から消えたという。
そして瞬時に戦地へ降り立った比売神。
そこに人間の力など無力に等しい。
もそれをわかっているから滅多にそれを使おうとしないが、もし戦況が不利になったとき彼女がどのような行動を取るかは想像に難くない。
だが神力の行使はの身体に多大な負担をかける。
は平家の神子であるけれど、それ以前に大切な少女だ。
ほんの少しでも危険な目に遭ってほしくない。
だがこの少女は自分の身よりも一族を優先して、いつも一族のために奔走している。
食料や水の調達、薬草の補充など。
生きていく上で最優先するべき事項を率先して用意してくれたのだ。
どのような方法を使ったのかは、上手くはぐらかされてしまうので詳しくは聞いていない。
だが何千何万という食料の調達がそう簡単でないことは明らかで、落ち目の平家に率先して援助してくれる豪族が少ないのもわかっている以上、が何らかの力を使ったのは間違いない。
初めて出会ってから4年、は誰もが目を奪われるほど美しく成長したが、その線が細くなってしまったように感じるのは重衡の気のせいではないはずだ。
幾度となく行われた力の行使、それはの体力を大幅に消耗させる。
元気に動き回っていたが、次第に屋敷から出ないようになり、時折寝付くようになったのは京に応龍の加護がなくなってから。
いくら福原に拠点を移そうとも、大きく傷ついた龍脈の乱れは神子であるには少なからず影響を与える。
況してや怨霊が跋扈するほど穢れた大気は、致死率の低い毒を少量ずつ身に受けているようなもの。
唯人であれば影響のない程度でも、神子であるには大きなもので。
気づかせないようにしているが、に親しい人物がその変化を見逃すはずがない。
抱きしめる身体は驚くほど華奢で、肌は透けるほど白い。
一体どれだけ力を使ったのか。
「重衡さん?」
自分を抱きしめる腕に力が篭ったのを感じてが顔を上げる。
「…私は、怖いのです」
震える声。
こうして抱きしめれば温かい体温も感じるし、名前を呼べば優しい笑顔とともに答えてくれる。
それでも常に付きまとう喪失の恐怖。
彼女は天照の神子。
力を手に入れる代償として、神の傀儡となることを自ら選び取った平家の比売神。
己の下に留めておきたいと願うことが傲慢なのかもしれない。それでも…。
「…もし、戦が終わって、平穏が取り戻せたら…」
「うん」
柔らかい笑顔、向けられる信頼。
でも、それだけじゃ足りない。
大切な、大切な少女。
「貴女を私の妻に、と願ってもよいでしょうか」
見開かれた目に映る自分の姿を見つめる。
彼女は自分とよく似ている。
大切なものを護るために、自分を犠牲にすることすら厭わない。
平家を護るために、いずれはその身を犠牲にするだろう。
だけど、重衡はそれを許すつもりはない。
「返事は今すぐでなくてもよいのです。戦が終わり平和になったら、その時までに」
「重衡さん…」
「私は貴女を失いたくないのです」
神子でなくても構わない。
無力なただの少女でいいのだ。
という少女、ただその存在が愛しいのだから。
- 09.03.28