Sub menu


繋いだ手


戦においては戦力外である。
神力を使えばどのような戦であれ平家の圧勝で終わることは間違いないだろう。
その点で言えばは強力な戦力となる人材だ。
だが力の行使はの身体に多大な負担をかける。
が力を行使したのは過去に二度。
どちらもその後は昏倒してしまい、起き上がれるようになるまでは数日を必要とする。
つまりそれだけ体力を消耗するのだ。
況して呪詛による影響を多大に受けている今のは、常に病に冒されているような状況と変わらない。
顔色は透けるように白く、抱き上げた身体は重い衣装を着ているとは思えないほど軽い。
幼馴染の将臣は勿論、を溺愛する義兄2人がそれに気づかないはずはなく、戦へ同行したいという本人の意向は悉く却下されていた。
納得していない様子に、とりあえず保険とばかりに帝を傍に張り付かせておいた。
は無茶をするが、それは大抵1人の時だけだ。
幼帝が傍にいてくれと頼めば無下にできるはずもなく、そうなれば必然的に戦へ同行することはできない。
不安そうな顔をするに、心配するなとだけ告げた。

心配はいらない。
必ず帰るから。

それは願い。
大切なものを守れるほどには強くありたいと。

そのためになら己の手を血で染めても構いはしない。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「将臣くん、今、平気?」

出発前夜、不意にが室にやってきた。
将臣の室はの室から遠くないとは言え、多忙な将臣がこの室で大人しくしていることは少ない。
大抵寝るためだけに戻ってくるようなものだから、室内は燭台と寝具程度しかない。
色鮮やかな几帳や調度に囲まれた自分の部屋とは違う殺風景な室内を興味深げに見回している姿は、まさに男の部屋に初めて遊びに来た少女のそれだ。

「何だ、夜のお誘いか? 随分大胆だな」
「お馬鹿」

深夜に男の部屋に来るなんて無防備もいいところだ。
軽く揶揄ってみればうっすらと頬を染めて睨み付けてくる。
そんな仕草が男を煽るのだとは気づいていないだろう。

「え?」

ぐいと腕を引っ張れば簡単に飛び込んでくる小柄な身体。
平家の連中がに無体なことをするとは到底思えないが、一歩外に出れば女性に優しい男ばかりではない。
いい加減自覚してもらわないと、いつまでも将臣が守ってやれるわけではないのだ。

「お前、相変わらず無防備だな。襲われても知らないぞ。俺だって男なんだぜ?」

不思議そうに見上げてくる大きな瞳を凝視して、ほんのわずか男の仕草で顎を捉えた。
これでもそれなりの女性遍歴はある。
こちらの世界に来てから知盛に同行していたのもあるだろうが、野性味溢れる将臣は女性から好意を寄せられることも少なくなかった。
目の前にさあどうぞと差し出された据え膳を無視するほど、将臣は聖人君子ではない。
いつまでも安心できる幼馴染だと思われているのも癪だ。
吐息がかかるほどの距離。
額が触れそうなほど近くで囁けば、形のいい唇がふわりと笑んだ。

「将臣くんには九条の君がいるでしょ」
「っ?!」

懇意にしている女房の名を出されて思わず狼狽える。

「ななな何でお前がその名前を?!」
「ふふふ、駄目ねぇ、女性の情報網を甘く見ちゃ。将臣くんに好意を寄せている女性がどのくらいいるかなんてすぐに分かるんだから。勿論将臣くんの情報もそれなりに届いてますよ。大切にしてるみたいだから何も言わないけど、九条さんを泣かせたら許さないからね」
「…………まいった」

九条は徳子に付き従ってきた女房だ。
2歳年上の才女。
気丈で、だがとても脆い女性。
守ってやらなければと思わせる、や望美に抱いている感情とは少し違う、愛しいと思えるような相手だ。

降参とばかりに腕の中の存在をぎゅうと抱きしめれば、軽やかな笑い声。
九条が吹聴しているとは思わないが、誰がの耳に入れたのか。
本当に女性というのは恐ろしい。

「ところで本題に入ってもいい?」
「あ、あぁ」

抱きしめられたまま見上げてくるに腕の力を緩めれば、よいしょと向きを変えて目の前に座り込む。

「はい、これ」

手のひらに落とされた小さな塊。
茶色い塊。見ようによっては土の塊にしか見えないが…。

「何だこれ?」
「お味噌汁」
「味噌汁?」

向こうの世界にいる時に馴染んだその言葉は将臣にとっては珍しいものではないが、生憎こちらの世界に来てから一度も見たことがなかった。
味噌はあるのだから作れなくはないのだろう。
そして料理が得意なならば作るのは造作もないはずだ。

「見ての通りインスタントなんだけどね」
「へ?」
「山芋を味噌で煮詰めて乾燥させたの。これなら携帯も便利だし、お湯を注ぐだけで味噌汁になるから非常食になるでしょ」

言いながら手のひらのそれを椀に入れる。
どこから椀がと思ったらどうやら持参していたらしい。
将臣に見つからないように隠していたのだろう。
杓子で湯を注げば、見慣れたものが出来上がった。
一口飲んでその完成度に驚いた。

「意外と美味いじゃん」
「でしょう」

多少違うが、確かに懐かしい味噌汁の味だ。
戦をするにあたってまず確保しなければならないのは兵力だが、それ以上に重要なものは兵糧だ。
何千何万という兵を養うには相当の兵糧が必要となる。
現在の平家には残念ながらそれほどの財力はない。
だからと言って兵糧がなければ戦はできないし、何よりも食べなければ生きていくことなど不可能だ。
戦や政に関してはプロフェッショナルな平家公達だが台所事情には疎い。
このままだと民から強引に取り立てそうだと将臣が考えていた頃、が食料調達に立候補してきた。
反対しても無駄だと悟った将臣が好きにさせてみたところ、はあっという間に食料を調達してきたのにはさすがの将臣も驚いた。
には知識がある。
それは大学教授である父から教わった過去の歴史という知識。
そして家庭的な母親から教わった家事全般の知識。
子供の頃から料理は得意だった
もう1人の幼馴染の望美などはどんなに努力しても破壊的な料理しか作れなかったのに対して、の腕前は相当なものだ。
昔から弟の譲と一緒によく料理をしていたから、その実力は将臣はよく知っている。
まさかその知識がこちらの世界で役に立つとは思っていなかったが。

「実はね、インスタントの味噌汁を最初に作ったのは武田信玄だって言われてるの。山芋を味噌で煮詰めて携帯したんだって。だったらこの世界でも出来るかなぁと思ったんだけど、大成功だね」
「へぇ、そんなこともできるんだ」
「他にもお肉の味噌漬けとか塩漬けとか色々作ってるから非常食の確保は結構できてるよ」
「悪ぃな。助かる」
「後方支援くらいは任せてもらわないと。だから、無事に戻ってきてね」
「…あぁ、約束する」

伸ばされた小さな手。
守りたいと思うその指を絡めるように握り締め。

真摯な瞳に頷いた。


  • 08.11.05