「ちょっといいか」
「将臣くん」
コンコン、と音がして振り返ると柱にもたれかかるように立っている将臣の姿。
この世界の部屋は扉で仕切られていないため、柱を叩いたらしい。
数日ぶりに見る姿は、また背が伸びただろうか。
さすが成長期と言えばいいのか、今では知盛や重衡とも差がない。
格好よくなったなと場違いなことを考えてしまうのは、年頃の少女としては当然だと思いたい。
「質問なんだけどよ、お前さ、敦盛にどうやって飯食わせてんだ」
「別に、普通に食べてもらってるだけだけど」
「なんだか必死に食っているように見えるのは俺の気のせいか」
「気のせい気のせい」
「…お前まさか」
「なぁに、その言い方。まるで私が悪いことしてるみたいじゃない」
膨れる姿を見て、あぁやっぱりと将臣は思った。
夕餉の膳を将臣が運んでいくと、敦盛はあからさまにほっとした顔をした。
きちんと食べないとが怒るぜと軽く口にすれば、敦盛の顔が見事に強張り、次いで真っ赤になった。
何かあったのはわかった。
そして必死の形相で食事を進める敦盛の姿が、懐かしい弟の姿と重なったのだ。
あれは6年前、将臣が13歳譲が12歳の冬の日のことだ。
望美と一緒になって雪合戦をしていた譲が高熱を出して寝込んだ。
原因は風邪。インフルエンザではなかったのが幸いだが、生憎両親達は揃って出かけているため大人は不在だった。
看病するべき大人がいないというのは大問題だ。
兄である将臣はこういう時頼りにならないし、譲が淡い恋心を抱いている望美でもよかったのだが、家事能力が皆無な望美に看病をされたら無事ですむはずがない。
結果として適任はしかいなかったのだが、子供とは言え男である譲は恥ずかしさからか、の世話を頑なに拒んだのだ。
着替えもしない、食事も取らない、薬も飲まない。
弟ながら頑固な姿にさすがに将臣もキレかけた――その時。
『じゃあ、食べさせてあげるね』
え、と思う間もなく譲は望美によって羽交い絞めにされ、によって強引に粥を食べさせられた。
いくら男といえどまだ12歳の少年。
体格が良くても高熱で弱っていれば抵抗などできるはずもなく。
想い人に背後から拘束され、
(あれは抱きつくという可愛いレベルではなかった。あの見事な絞め技は柔道でもやってるのではないかと真剣に考えてしまったほどだ)
目の前に姉とも妹とも思って慕っていた少女に馬乗りされ、
(スカートの裾が太ももまでめくれあがっていたけれど、『お、いい眺め』などとはとても言える状況ではなかった)
「はい、あーんして」と差し出されたスプーン。
(可愛い台詞と仕草だったが、少女2人の目はとんでもなく据わっていた)
ごめんなさいすみませんもう二度と逆らいませんご飯も食べるし着替えもするし薬も飲んで大人しく寝てるのでどうか許してくださいと、涙目で土下座せんばかりに頼み込んでいた弟の姿を、将臣は忘れないだろう。
おそらく、間違いなく敦盛にもアレをやったのだ。
さすがに1人だから譲ほどの状況にはならなかったと思うが、最近の敦盛の態度はさすがにやばいと思ってはいたのだ。
何がやばいって、当然がキレるのではないかという意味だが。
見事に将臣の不安は的中してしまったということか。
男としては羨ましい限りではあるが、相手が純情な敦盛だとすると精神的ダメージは計り知れない。
これを知盛や重衡にしたのであれば危険すぎるからやめろとでも言えたのだろうが、相手は敦盛。
発作時でもない限りまかり間違っても危険な目に合うはずもなく、むしろ被害者は敦盛なのだから将臣もやめろとは言えない。
……いや、確かに敦盛に気の毒だからやめろと言えたかもしれないが、おそらく1度目のあれで効果は絶大だったようだから2度目はないだろう。
「…とりあえず、知盛と重衡にだけはするんじゃねえぞ」
「なんで?」
「…危険だからだ」
「? 変な将臣くん」
理解できないという表情をしながらそれでも納得してくれた幼馴染に安堵する。
17歳という年頃ならばそろそろ警戒心を身に付けてもいい頃だと思うのだが、どうしてこうは警戒心が皆無なのだろう。
帝が懐いて抱きついてくるのはまだ良しとしよう、彼はまだ子供だし母親が病気で寂しいのだから綺麗で優しいお姉さんであるに懐くのは当然だ。
問題は知盛と重衡だ。
義兄である立場を振りかざしてあれやこれやと世話を焼く2人のことを、はまったく警戒していない。
傍から見ているだけでも十分すぎるほど危険だと思うのに、はまったく気づかずに知盛と一緒に縁側で昼寝してるわ重衡に抱きつかれたりしているわ夜半に惟盛の部屋で舞を習いにいくわ、心配で目が離せない。
いつ何時誰に食われても文句は言えない。
知盛と重衡のへの執着は兄妹愛というには些か行き過ぎの感があるし、惟盛が密かにに想いを寄せているのは周知の事実だ。
幼馴染の恋愛に干渉するつもりはこれっぽっちもないが、自覚のないまま丸め込まれて美味しく頂かれてしまうことだけは避けなければならない。
のためであることは勿論、こんなことが望美にばれたら相手の男がただではすまないはずだから。
たとえ百戦錬磨の知盛であっても、逆鱗に触れた望美に勝てるとは思えないのは何故だろう。
けちょんけちょんに畳まれている姿が容易に想像できて、将臣は遠い目をした。
勿論将臣の身は骨も残らない。
本当に、何であの幼馴染はのことをあそこまで大好きなんだろう。
幼い頃から望美はを嫁にすると公言して憚らなかった。
そのたびに譲が凹んでいたのも今ではいい思い出だ。
いや確かにはおっとりしているけれど芯はしっかりしていて、面倒見もいいし優しいし家庭的だし男が放っておかないのもわかる。
実際将臣の初恋はだし、譲の初恋も実はだ。
ものの見事に望美にを取られてからそんな淡い恋心は消えてしまったが。
頼むからもう少し警戒心を持ってくれ!!
将臣の魂の叫びは、残念ながらに届くことはない。
- 08.10.29