祈りが力になると言ったのは誰だったか。
には力がある。
確かにそれはの願いから生まれたものだが、果たして祈りかと言われれば御幣がある。
だがどのような形であれ、祈りが力になるのなら、は無敵だ。
「殿」
「経正さん」
廊下を歩いていたを呼び止めたのは経正の声だった。
振り返ると階に経正の姿。
「どちらへ…」
が手に持つ膳に気づいたのだろう、問いかけた言葉が止まりその表情が柔らかくなった。
膳の上には少量だが彩り鮮やかな食事が乗っている。
経正が見慣れないそれは、おそらくの世界では日常に食べられているものなのだろう。
幾度か相伴に預かったことがあるが、の世界の料理は見た目こそ珍しいが非常に美味で、栄養価は完璧で健康にもいいらしい。
「敦盛のところへ行くのですか」
「はい」
最近敦盛が食事を取らないのだと言われて経正自身気になっていたから、が弟のことを気遣ってくれるのは嬉しい。
彩りも鮮やかなそれは確かに食欲をそそる。
これならば敦盛も少しは口にしてくれるだろうか。
「敦盛さん、最近全然ご飯食べてくれないんですって。他の人が持っていったら食べてくれないかもしれないでしょう。こうなったら強硬手段しかないかなぁって」
ふふ、と笑うのは敦盛がに対して甘いのを自身が知っているからだ。
がどうしてもと言えば敦盛は断らないだろう。
彼がそれを望んでいるかは別だけれど。
「ありがとうございます」
笑顔を残して敦盛の室へ向かうへ、経正は再度頭を下げた。
清盛の死後、福原についてすぐ病に倒れた敦盛。
元々病弱だった上に心労が祟ったのだろう。
穢れに触れたことも原因していたこともあり、敦盛は発病後わずか3日で命を落とした。
嘆き悲しみ、わずか17歳という若さで命を落とした弟の運命を悼んだが、数日の後に怨霊として復活した。
復活させた、と言ったほうが正しいか。
あのときの判断が正しかったとは今でも思えない。
他者の身勝手な願い出自身が怨霊として復活させられた敦盛。
異形へと変貌してしまった自身を嘆いているのは知っている。
だが彼の復活を望んだのは父や兄であり、どのような形であれ戻ってきてくれて嬉しいと言われてしまえば、優しい彼は恨み言を言うこともできないのだろう。
哀しそうな瞳で他人を拒み、運命を拒み座敷牢へと篭ってしまった敦盛。
原因を作ったのは紛れもない自分達だ。
それでも彼に生きていてほしいと思うのは、我侭なのだろうか。
「お願いします、殿…」
彼女の存在が、ほんの少しでも敦盛の心の拠り所になってくれますように。
◇◆◇ ◇◆◇
当然のことながら座敷牢は暗い。
上空に明かり取りのための小窓が設置されているのだが、敦盛はそれすら厭うように締め切ってしまうから、室内は更に暗い。
締め切っては空気も悪いだろうと思うのだが、それを咎める人物は敦盛の室には来ない。
女房は敦盛の気に圧倒され逃げるように去っていくだけだし、敦盛を気遣う経正や将臣は多忙のため滅多に姿を見せることはない。
だからは慣れた様子で明かり取りの窓を開けていく。
部屋の主は光の届かない奥に蹲ったまま。
仕方ないとは思うけれど、これでは気分も晴れない。
「敦盛さん、ご飯です」
「………」
「返事がないと入っちゃいますよ」
「…駄目だ」
「残念。遅いです」
敦盛が振り仰ぐとはすでに格子を開けてその内に入っていた。
敦盛が顔色を変えるのはいつものことだ。そしてその理由も。
「殿、この場所へ来たら駄目だ。貴女にまで穢れが移ってしまう」
は神の神子だ。穢れには人一倍弱い。
怨霊である自分と一緒にいれば彼女に影響がある。
現に、長居した翌日は大抵寝込んでいるのだという。
自身は敦盛に悟らせるようなことはないが、食事を持ってくる女房や時折見舞ってくれる惟盛から聞かされる度に、敦盛は胸が締め付けられるように苦しくなる。
「今日のご飯は私が作ったんですよ。少しでいいから食べてください」
「…いらない」
「自分で言うのも何ですけど、美味しいですよ?」
「…すまない。本当に、いらないんだ…」
食欲などない。
怨霊である自分には食事の必要などないのだ。
飢えも乾きもするけれど、食事を取らなくても死にはしない。
それがわかっていながら、どうして彼女は自分のことを放っておいてくれないのだろう。
こんな生命の理から外れた化け物など、彼女が気にする価値などないのに。
蹲ったままの敦盛には、の表情がわからない。
かすかに細めた瞳に、この場に将臣がいたら慌ててを止めただろう。
だがこの場に将臣はおらず、の変化に気づいた者もいなかった。
小さなため息。
呆れたのだろう、このまま放っておいてくれ。
「敦盛さん、あまり聞き分けのないこと言ってると、強硬手段をとりますよ」
「…強硬手段?」
固い声に顔を上げれば、その表情はいつになく険しくて。
何かがやばい、と思ったけれど時は既に遅かった。
膳を床に置いたに両肩を抑えられた。
「自分で食べられないというのなら、私が食べさせてあげますよ?」
「……っ?!」
「ちなみに私は有言実行です」
じりじりと後ずさるが、所詮は狭い空間。逃げ切れるはずもなく、の動きを止めることも不可能だ。
しかも敦盛の手足は鎖に繋がれている。
尤も繋いだのは自分自身なのだから自業自得としか言いようがないのだが。
にっこりと笑った姿がこの上もなく恐ろしく見えたのは、おそらく今回が初めてだろう。
よいしょ、と小さな声とともに上から押さえつけられた身体。
太ももに感じる温かい感触と少女の体重。
鼻腔をくすぐる梅香の香り。
これはよく言う馬乗りというやつではないかと気づけば、思考は見事に停止した。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
敦盛の身体に乗りかかり、は粥を一さじ差し出した。
「はい、敦盛さん。あーん、してください」
至近距離から見つめる澄んだ瞳。
それは見事に据わっている。
……勝てるはずがなかった。
- 08.10.27