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失われた加護


応龍が消えた。
京を守護していた応龍が、突然の咆哮とともに消滅したのだ。
おそらく視えていたのはだけだ。
応龍は京を守護する神獣。
神に仕える神聖な生き物は常人の目に見えることはない。
そのため異変に気づいたものはほとんどいないだろう。
だが異変は確実に起こる。
守護を失った土地は栄えることがない。
天の恵みを失い、地の恵みを失い。
気づかぬうちに一つ一つ、京は衰退していくだろう。

(どうして…)

揺れる馬上で、は混乱した頭でそれだけを考える。
牛車で帰るには時間がかかりすぎるため咄嗟に力を使おうとしたを止めたのは重衡だ。
力の行使はの身体に多大な負担をかける。
本人が大丈夫だと言っても過去に何度か昏倒した姿を目の当たりにしている重衡はどうしてもそれを容認することはできず、近くの荘園で馬を調達したのだ。
こちらの世界に来てから特訓したお陰で馬に乗ることはできるが、早駆けまではさすがに出来ない。
結局重衡に同乗させてもらっているのだが、道中重衡は何が起きているのかに問いただすことはなかった。
が血相を変えるのは平家絡みだけだということがわかっているのかもしれない。
だがにはそれがありがたかった。
言葉にしたら真実になってしまいそうだったから。

京へ近づくごとに空気が澱んでいくのがわかる。

(早い…)

応龍を失った弊害には早すぎる。
が気づかなかっただけですでに京は穢されていたのかと自問すれば答えは否だ。
確かに穢れはあった。
だがそれはあくまでも人間が作り出した都で起こりうる範囲でのこと。
多くの人間が生活していれば多少の穢れは当然だ。
それは京の気脈を歪めるほどのものでもなく、またこのように禍々しいものでもなかったはず。
気持ち悪い。
全身に纏わりつくような瘴気にの眉が顰められる。
無意識に重衡の着物を握り締めれば、支えられた腕に力が入った。
馬を駆る重衡の様子に変化はない。
どうやら普通の人間にはまだ影響を及ぼす程ではないのだろう。
は別だ。
には神の加護がついているために影響を受けやすいのだから。



震えが止まらない。
京に入ってから感じる異変全てが、の望まぬ未来を提示しているようで、震えが止まらない。

「寒いのですか?」

重衡の言葉に腕の中で首を振る。
寒いのではない。怖いのだ。
京を取り巻く瘴気も、神の加護を失くした町も。
六波羅に近づけば近づくほどに深まっていく闇も。何もかもが怖い。

大切なものを失ってしまうような気がして――。



ずきん、と頭が痛んだ。
六波羅まであとわずかという距離で急激に襲ってきた頭痛。
あぁ、やはりと思う自分がいる。
京を留守にしたのはほんのわずかな時間なのに、どうしてこうもタイミングが悪いのか。
頭痛の原因はわかっている。
京に施された呪詛。
京と言うよりは六波羅か。
六波羅に近づくほどに頭痛がひどくなっていく。
併発するように悪寒と眩暈に襲われ、はともすれば霞みがちな視界を気力で支えた。
重衡が支えてくれるのが有難い。
1人だったら立っているのも困難だ。

呪われたのは平家か。
誰が、どうやって、どんな目的で。
確認したいことは山程ある。
だがそれよりもまず先に確かめなければならないことがあった。
馬で帰宅した重衡とに驚いたのは門を警護していた衛士だ。

「重衡様に…姫様?!」
「ごめんね」

突然の乱入者に目を見開く衛士に説明している時間はない。
厩に寄るのももどかしいとばかりに寝殿へと乗り込んだ。
瘴気はますます濃くなっている。
ひらりと飛び降り、渡殿を走った。

「義父上は?!」
?!」
殿?!」

眩暈も頭痛もひどいけれど構ってなどいられない。
どうか無事で。それだけを願いながら足を進めた。
顔が見たかった。
いつものように好々爺然とした顔で、どうした?と笑ってくれれば、この不安を消すことができる。
家族想いで優しくて、とても子煩悩な義父。
その笑顔で胸を押しつぶすような喪失の恐怖を否定してほしかった。
人込みの中心に、が求める人がいる。
彼は平家の中枢なのだから。

「お前は見るな!」

悲鳴のような声とがそこに到達するのはほぼ同時だった。



「義、父上…?」



悪夢が現実になってしまった。
かつて義父だったそれを目にしたの視界が暗転する。
守れなかった。
同じ歴史を歩ませたくなかったのに、守れなかった。



そこには、判別もできないほどに焼け焦げた義父の姿があった。


  • 08.08.22