ふわふわと雲の中を漂っているような気分。
温かいぬくもりが心地よくて無意識に擦り寄れば、小さな笑い声。
聞きなれたそれに思わず目を開ければ、至近距離には重衡の端正な顔。
「…………?」
「おはようございます」
自分の置かれている状況がわからなくて思わず瞬きを繰り返した。
視界に入る満開の桜。
あぁ、そういえば重衡に連れてこられたのだと気づいたのは、少ししてから。
ぐるぐると思い悩んでいるを気遣ったのだろう。
牛車で一刻ほどの距離にある吉野山。
の世界でもそこは桜の名所と知られているが、実際に足を運んだことはなかった。
噂以上の美しさに見惚れ、思わず感嘆のため息が漏れた。
胸に蓄積されていた思いも浄化されていくような桜の中、隠していた胸の内を重衡に暴かれ、そして――。
「……?!」
先程の行為を思い返して赤面する。
そして我に返れば重衡の腕の中にいる状況に、恋愛初心者のの頭はパニックだ。
慌てて逃げようとするものの、重衡の腕がそれを許さない。
さすがは武将。の抵抗などまるで気にならないとでも言うように爽やかな笑みを浮かべている。
「重衡さん、離してっ!!」
「嫌です」
あっさりと答えられ、更にぎゅう、と抱きしめられる。
居た堪れなくてじたばたと抵抗を続けるの耳に再び聞こえてくる笑い声。
…絶対に嫌がらせだ。
あの時、かすかに触れた唇。
その熱に驚くと同時に、向けられた眼差しにひどく安心した。
柔らかい笑顔に反応を返そうとした途端、は猛烈な睡魔に襲われたのだ。
ここ数日ずっと思い煩っていたため満足に睡眠を取っていなかったのが原因だとはわかる。
気が張っていたから眠気を感じていなかったのも事実。
そしての不眠は軽く10日を超えていて。
まだ17歳の少女。
成長期であり睡眠は何よりも重要なのだと、頭よりも身体が訴えたのだろうか。
とにかく、重衡に口説かれている最中に眠ってしまったのは紛れもない事実である。
「私は悲しかったのですよ、」
「うう、反省してます」
「信じられませんね」
「ごめんなさいってばー」
「聞こえません」
つまり、は重衡の腕の中で気絶するように眠ってしまったのだ。
それはもうぐっすりと。
日はすでに西に傾いている。
春とは言えまだ肌寒いこの季節。
ぐっすりと眠ってしまった義妹を起こそうと名を呼んでもゆすってもまったく起きる気配はなく。
これから自分の想いを嫌というほど伝えようと思っていた矢先に熟睡されては、さすがに男として面白いはずがない。
どれほど心を込めた口説き文句であろうと、相手が聞いていないのでは意味がないのだから。
結果1人お預け状態になってしまった重衡が面白くないのは当然だった。
申し訳ないとしか言えないであったが、重衡が何をしようとしていたかまでは正確に把握していない。
むしろ眠っていたほうが正解だったのだが、外見だけは清廉潔白な重衡の笑顔からそれを見抜けるほどに恋愛に長けていないがそれに気づくはずもない。
ひたすら謝るの、その純粋さが好ましかった。
実際それほど怒っているわけでも落ち込んでいるわけでもないのだが、の表情が可愛くてしばらくこのままでいるのもいいかなと、にとってはとんでもないことを考えていると。
「――っ!?」
腕の中の少女がびくんと動いた。
「――?」
「まさか……」
瞬時にして蒼白になった愛しい少女の姿に不審を感じて声をかけるが、すでに心はこの場所にいないらしく呆然と空を眺める。
視線を追って重衡も目を向けるが、そこにはいつもと変わらぬ穏やかな空が広がるばかり。
はらり、はらり、と舞う桜の花びらがそれを更に際立たせている。
気のせいではと言おうとした言葉は、目の前の少女の顔色を見れば喉の奥で止められて。
「大丈夫ですか、?」
「……ぁ……」
苦しそうに歪められた顔に、流石に異変を感じるものの、その内情までは重衡には理解できない。
襲撃ではない。この周辺に人の気配はほとんどない。
戦場に身を置く自分が気配に気づかないはずがないのだ。
では…。
は天照の神子。
天照はこの世界全てを統べる比売神だ。
その神子であるが感じる異変とは一体…。
ふらりと起き上がった様子はどこか苦しそうで。
喘ぐような呼吸に重衡も息を呑んだ。
「応龍が…京が…呪詛され、た…?」
震える声が響いた。
- 08.08.19