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花盗人


こうしていると忘れてしまう。
今がどのような状況なのか。

刻一刻と動いていく時間。
このまま運命に流されないためにはどうすればいいか。

考えても考えても。
それが見つからない。
思わずふう、とため息をつけば背後でくすりと笑う声。

「随分と難しいお顔をしていらっしゃいますね。考え事ですか、
「重衡さん。お帰りなさい。そしてお疲れ様」

直衣姿の重衡はこれから出仕というわけではない。
むしろその逆で先ほど宿直から帰ってきたのだ。
帝が不在でも宮中には上皇がいる。
哀しいけれど、幼年帝がいなくても宮中は普段と変わらず回っているということなのだろう。
宮中に居場所のなかった帝。
は今の帝しか知らないが、彼の話を聞く限りあの場所が居心地のよい場所だったとは思えなかった。
子供が子供らしくいられないなんて。
無邪気に笑う幼い子供を思えば、自然と表情が暗くなって。
聡い重衡が気づかないはずがない。

顎を取られて視線を上げれば、憂いを帯びた瞳にぶつかる。

「…いけませんね」
「重衡さん?」
「確かに物憂げな表情も美しいとは思いますが、貴女には笑顔でいてほしいと思うのは私の我侭でしょうか」
「あああああの」

頬に触れるぬくもり。
絶世の美形に至近距離から見つめられれば、さすがに耐性がついたはずのでもうろたえてしまうのは仕方ない。
思わず腰が引けてしまうのを、たくましい腕に引き寄せられた。

「何やら思い悩むことがおありなのですね。――それは平家の行く末ですか?」
「――っ」

逃げ場のない距離からの不意打ちにの目が瞠られる。
一瞬の変化。だけど重衡がそれを見逃すはずはなく。
紫紺の瞳がほんの少し細められた。
伸ばされた手がの頬を辿る。ひどく優しく。

「貴女の時間をほんの少し私にいただけますか?」

拒否は許されなかった。





   ◇◆◇   ◇◆◇





牛車に揺られること数刻。
連れてこられたのは一面の桜吹雪の中だった。
視界全てが満開の桜で埋め尽くされる。
この優雅さをどう表現したらいいのだろう。
まるで薄桃色の雪が降っているようだ。
淡く霞がかって見えるほどに潔く散る花弁。
目を奪われずにはいられない。
ふわり、と抱き上げられて牛車から降ろされれば、まるで幻想の世界にでもいるような錯覚を起こさせて、感嘆のため息が漏れた。

「…すごい」
「ちょうど今が盛りのようですね。間に合って何よりです」

この景色を見せたかったのですよ、と微笑まれる。

「ここでなら、気鬱も晴れるでしょう」
「重衡さん…」

柔らかい笑み。
やはり気づかれていたのだ。
が思い悩んでいたことに。
刻一刻と過ぎていく時間。
目には見えなくても事態は動いている。平家にとって悪い方へと。
にはそれがわかっている。
歴史を変えるための力は手に入れた。
それでもどう変えていけばいいのかわからない。

「聞かないの?」
「女性の秘め事を暴こうなどという無粋な男ではありませんので」
「甘やかしすぎだね」
限定ですよ」

気づいていながら、それでも問いただしてこない重衡が正直ありがたかった。
重衡は不思議だ。
いつでもが一番困っているときに手を差し伸べてくれる。
がこちらの世界に飛ばされた時然り。
らしくないホームシックで悩んでいた時然り。
当然のように傍にいて、そして支えてくれる。
恋とは違う、けれど誰よりもの支えになっているのが重衡だった。

はらり、はらりと花弁が舞う。
追いかけて、両手で受け止めて。
手のひらに集まった花弁を嬉しそうに差し出せば、重衡が笑う。
まるで桜の精のようですね、と囁かれ。
それに小さく笑えば、背後から抱きすくめられた。

「重衡さん?」
「しばらくこのままで」

強い力ではない。逃げるつもりなら逃げられただろう。
だけど動けなかった。
見つめる紫紺に息が止まる。
優しい微笑み。荷葉の香りに眩暈がする。

「貴女には私がついておりますよ、とあの日申したのを覚えておいでですか?」

頷けば、更に笑みが深くなる。

「では、これも覚えておいてください。私はどんな時でも貴女の味方です」
「重衡さ…」
「貴女が運命に抗うというのなら、私も力になりましょう。死ぬな、と言うのであれば、たとえ万の敵を相手にしてでも戻って参りましょう。決して貴女は一人ではないのです。それを忘れないでください」

慈しむように撫でられる頬のぬくもりが、見つめる紫紺が、嘘偽りないことを表していた。
その一言で、胸に圧し掛かっていた重石がなくなった。

「ずるい…」

このタイミングで、この場所で言うなんて卑怯だ。
暗闇の中で差し伸べられた光に、どうして抗えるだろう。

「ずるいよ、重衡さん」
「そういう男ですから」

甘えてしまう。
この優しい手に。
近づく吐息に、そっと目を閉じた。


  • 08.07.19