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束の間


女御が帝を伴い宿下がりをしてきた。
年明けから病で寝付いている父清盛の見舞いという名目になっているが、清盛が病になど罹っていないということは平家の人間ならば誰でも知っている。

「とっとと出仕しやがれ、この仮病人」
「何を言うか。このように頭も重く身体もだるい。我ももう長くはないのだろうな。やれやれ、年は取りたくないものよ」
「あんた、めちゃくちゃ元気だろうが」
「細かいことを気にするな、将臣。老い先短い老人が1日や2日出仕を控えたとて問題あるまいて。何せ宮中には優秀な人材が豊富におるのじゃからな。ほっほっほ」

酒を片手にそんなことを言われても信じる者などいないだろう。
将臣の突っ込みなど聞いちゃあいない。
尤も清盛の仮病は政治的なものもあるから将臣とて強くは言えないのだが。
清盛と先々代の帝である後白河法皇との関係が悪化してきたのだ。
元々腹に一物抱えた同士。
表向きは良好だった2人の関係だが、宮中での権力を万全のものにしておきたい清盛と、政治の実権を握っておきたい後白河とは相容れないものがあったのだろう。
況してや後白河は歴代の天皇の中でも有数の策士だ。
源氏と平家の争いが激化する影に後白河の存在があったのは事実。
相反する勢力を手玉にとって自身の権勢を取り戻そうとする後白河に、さすがの清盛も堪忍袋の緒が切れたのだろう。
熱病に罹ったと出仕を控えたのが今年の初め。
それから一度も出仕をしていない。
当然のように平家の公達も出仕を控えたため、現在宮中はすべての政務が滞っているらしく、再三出仕の督促が入るのだが、彼らが出仕する様子は見えない。
平家の主はあくまでも清盛なのだ。
そんな清盛に呼ばれて中宮である徳子が息子である帝を伴って宿下がりをしてきたものだから、宮中は大騒ぎである。





   ◇◆◇   ◇◆◇





中宮徳子と共に平家本家に滞在している帝だが、どうやらを一目見て気に入ってしまったらしい。

は神の国から来たのか?」
「どうでしょう? 確かにこちらの世界とは違うけど、神の国というわけじゃないと思いますけど」

確かに戦はないし、身分の差もそれほどない。
表向きは誰もが平等に暮らせる世界だった。
平和だったことは確かだ。
だが神の国ではないし、理想郷でもない。
そう答えれば不思議そうに瞬く大きな瞳。

「だが、其方は比売神なのだろう?」
「そう呼ばれているのは確かですね」

が神の力を使えるのは本当だ。
それは女神と契約を結んだからであって、決して自身が特別な存在だったからではない。
天照大神の気紛れでこちらの世界に召還され、彼女の願いを叶える代わりにその力の片鱗を分け与えてもらっただけ。
少なくともはそう思っている。
だが、それを告げて目の前の子供の夢を壊す必要もないだろう。
は曖昧に笑った。

「今日は、御祖父様のところへ行かなくてもよいのですか?」
「おじい様は将臣殿とお話をしておるのじゃ。政の話は私にはむずかしくてよくわからないから、のところにでも行ってくればよいと言ってくれたのは将臣殿だ。『葛きり』なるものがあると言っていた。確かに美味じゃ」
「ふふ、ありがとうございます」

餌付けが成功したと言えばいいのか不明だが、可愛い子供に懐かれて嫌な気分になる女性はいない。
乞われるままにいくつか菓子を作っていけば、きらきらと目を輝かせて歓迎された。
母親である徳子がここ数日体調が優れないらしく臥せっているため余計に寂しいのだろう。
片時もを離そうとしない帝に、周囲も苦笑気味だ。
勿論それを面白く思っていない人物もいるが、相手が帝では何も言えないのだろう。
その不満が爆発しなければいいけど、と過保護な義兄達を思い浮かべて苦笑した。

「?」

ふと耳に届いた荒々しい足音。
まさか義兄達かと思えば、やってきたのは清盛と対面していたはずの将臣で。

「あー、もう知るか! あの頑固じじいー!! 、茶!」


開口一番そう言うなりどかっと座り込んだ将臣に、は苦笑しつつ茶を用意する。
年が明けてから仮病を使い出仕しなくなった清盛。
将臣が何度となく説得をしてもまったく聞き耳を持たない。

「お前からも何とか言ってやれよ。このままじゃ本当にまずいって」
「確かにずっとこのままなのもいけないと思うけどね」

お茶と葛きりを目の前に出せば、相当喉が渇いていたのだろう。
一瞬で飲み干しておかわりを要求される。

「私個人としてはもう少し様子を見たいからこのままでもいいかなと思うんだけど」
「お前呑気すぎ」
「そういうわけじゃなくて…」

はちらりと視線の端で帝を見る。
の隣に座っている幼い子供。
清盛が出仕を渋っている理由は、もう一人の彼の祖父が原因だ。
祖父2人が不仲だと気づかせたくない。
それに目敏く気づいたのは将臣だ。

「あー、まあもう少しは好きにさせるさ。どうやら他の連中は出仕してるみたいだしな」
「そうしてもらえるかな」

失言だったというように頭をかく将臣。
将臣は自分の非をすぐに認める。
良いことは良い、悪いことは悪い、と。
他人にも自分にも厳しい。
だからこそ他人から信頼されるのだ。
平家の皆も、そして自分も。
苦労人人生だと思うのだけれど、彼は軽く笑って受け入れてくれるから、どうしても甘えてしまう。

「ごめんね」
「何が?」
「将臣君ばかりに面倒事押し付けちゃって」
「お前の我侭は今に始まったことじゃねえだろ。今更1つや2つ増えたところでどうってことねえよ。ま、清盛の我侭は厄介だけどな」
「将臣殿、将臣殿。おじい様はご病気なのだ。今までずっと国のために頑張っていたのだから、少しくらい休ませてあげても罰は当たらないと思うぞ。私の葛きりもあげるから元気を出すのだ」
「お前は素直ないい子だなぁ」

ぐりぐりと頭を撫でられ、帝は嬉しそうに笑った。
将臣の態度は不遜と取られても仕方ない態度だが、どうやら帝は気にしていないらしい。
宮中では腫れ物を触るような扱いだったせいか、将臣やのように気さくに接してくれるのが嬉しいらしい。
そういえば知盛や重衡にも懐いているように見えた。
あの知盛に懐く子供がいるとは思っていなかったから正直驚いた。
意外と大物なのかもしれない、とは心中で呟いた。

このままでいけないのは確かだ。
だけど、もう少しこのままでいてほしいと願ってしまう。

それは過ぎた望みだろうか。


  • 08.07.08