平家の客分である将臣だが、清盛の使いとして全国を飛びまわっているうちに、知らない内に交渉の中心人物になってしまった。
将臣からしてみれば世話になっているのだから使いくらいは当然だし、むしろ屋敷でじっとしているのも性に合わないから各地を廻るのは大歓迎だった。
腹に一物抱えている大人との交渉は、最初の頃こそ骨が折れたけれど、慣れてしまえば何と言うことはない。
何せ曲者と言えば平家の方が数段上だ。
好々爺然としていながらも一流の政治家としての手腕を覗かせる清盛。
何を考えているのかわからない知盛。
自分よりも一枚も二枚も上手の重衡。
そんな彼らと日々渡り合っていれば、地方の我儘豪族など可愛いものである。
そうして交渉を重ねていくうちに、豪族達の間で将臣は平家の懐刀という本人にしてみれば迷惑極まりない通り名までついてしまったが、幸か不幸か将臣はそれをまだ知らない。
さてそんな平家の懐刀だが、実際のところ平家一の苦労人だということは意外と知られていない。
清盛に目をかけられ、知盛重衡からも信頼され、清盛が溺愛する末姫にも頼りにされている将臣。
何と言う羨ましい男だと事情を知らない家人達から囁かれているが、では代わってくれと声を大にして言いたい将臣の心境は複雑極まりない。
末姫の室がある東の対屋に向かう将臣に向けられる羨望の眼差しに、将臣は大きくため息をついた。
「皆、誤解してるんだよなぁ」
今をときめく平家の、清盛最愛の姫の部屋で将臣は愚痴を漏らす。
出された茶を一口飲めば、鼻腔を抜ける爽やかな香りに多少癒される。
「あいつら…、俺の苦労をちったぁ知りやがれ」
「ふふ、大変だね」
苦労の大半は目の前の幼馴染のせいでもあるのだが、はのほほんとそんなことを言う。
「…原因のひとつにお前の我儘があるんだけど、それは自覚して…ねえよなぁ勿論」
「だって、我儘言ってないし」
いやいや言ってるから。
喉元まで出た言葉を何とか押しとめ、将臣は冷めてしまった茶を一気に煽る。
自慢のオリジナルブレンドティーだが、その効能は鎮静と安眠。
後者はともかく前者は悲しいことに将臣には効能がないようだ。
「で、お前はさっきから何をやってるんだ?」
「え、見てわからない?」
「いや、わかる。わかるんだけどよ…」
の手元を指差せば不思議そうな声。
目の前には大量の焼き菓子。
先日将臣がの無理難題をどうにか叶えて手に入れたサトウキビ。
それを使って見事に砂糖を生成したは、ここぞとばかりに菓子作りに精を出している。
勿論オーブンなどという便利な道具はないものだから、作れるものは限られてしまうらしいが、将臣に言わせてみればこの世界であちらの菓子を食べられるとは思っていなかったから驚きだ。
甘味は女性のエネルギーだと豪語して厨所を占拠することしばし。
元々器用なだ。
出来上がった菓子は勿論上々の味で、周囲からの評判も良い。
つい先ほど作りあがったばかりの蒸しパン。
勿論それは将臣の茶請けとして現在目の前にある。
だが、それらをせっせと箱に詰めているのはどうしてだろうか。
「義父上と義母上に持っていこうと思って」
「あーなるほど」
この間芋羊羹を作った際に義母である時子がとても気に入ってくれたらしく、また食べたいと言われたのだ。
義理の両親をとても慕っているである。
嬉々として新しい菓子を作成していたのはそのせいかと納得するが、それにしても少々量が多すぎやしないだろうか。
そう告げれば皆の分も入ってるからと言われた。
皆とは惟盛や経正達のことだろう。
珍しく今日は一族の多くの者が清盛のところへ集まっているらしい。
先ほどから母屋が騒がしいのはそのせいかと納得する。
「ということでこれから届けにいくけど、将臣くんも一緒にいく?」
「あー、正直なところパスしたいけどな。あいつら人の顔見れば無理難題押し付けやがって」
「じゃあ、ここで待ってる? 私届けてきちゃうけど」
「…いや、他の奴らがいるんならお前を一人にしたら重衡に殺される」
「まさか」
くすくすと笑う幼馴染は将臣の言葉を端から信じていない。
知らないということは幸せだと、内心で呟く。
が思っている以上に重衡の独占欲は強い。
それはもう、こうして将臣がのところに通っていることすら面白くないと言わんばかりの表情をする。
満面の笑み。だがその瞳は笑っていない。
三位中将として宮中でも数々の浮き名を流している重衡。
その彼をここまで変えてしまうは、もしかしたらとんでもない女性なのだろうか。
将臣の目には普通の少女にしか見えない。
いや、普通というと少々御幣があるのだが…。
「やっぱあれかな。珍しいから」
「何か言った?」
「いーや、何でも」
きょとんと見上げてくる瞳に軽く返事をして、将臣は部屋を後にした。
- 08.06.06