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藪をつついて蛇を出す


ヒノエがに求婚したという事実は瞬く間に一門に広がった。
ある者はヒノエの手の早さに舌を巻き、またある者は重衡を相手に一歩も引けを取らないヒノエの豪胆さに感心し、またある者はこのせいで機嫌が急降下したであろうの義兄の対処法を考えて胃を痛くしていた。

平家の至宝。光の姫君。

がそう呼ばれるのは伊達ではない。
何しろを気に入っているのは重衡だけではないのだ。
人目も憚らずを可愛がっている重衡のせいであまり知られていないが、知盛もまたを目に入れても痛くないほどの可愛がりようなのだ。
尤も相手は知盛。
可愛がるという基準が他人と違うことは言うまでもない。
ましてや清盛は言うに及ばず。
を幸せにする男ならば婿として認めると公言してはいるものの、その実嫁に出す気なぞ皆無なのは普段の態度を見ていれば一目瞭然なわけで。
そんなに求婚者が現れたものだからさあ大変。

一門が抱いた危惧は、予想を遥かに超えた形で実現してしまったのだ。



「姫君、ご機嫌はいかがかな」
「折角の清々しい朝の気分を台無しにしてくれる誰かさんがいるお陰で気分は最悪です」
「ク…。邪魔、だな」

早朝から案内もなしに部屋に乱入してくるヒノエ。
それよりも早くの部屋にやってきてはヒノエを牽制するようにを抱きしめる重衡。
そしてそんなの膝の上でのんびりとくつろぎつつ片手はしっかりと刀を握り締めている知盛。
室内は絶対零度の空気に包まれていた。
付の女房たちは見目麗しい殿方が勢ぞろいと大喜びだが、被害を被ったのは家人達である。
どれほど警護してもその隙間をするりと抜けて侵入してくるヒノエのせいで清盛からの叱責は数知れず、更には殺気に満ちた屋敷内の空気はいくら腕に自信のある平家の武士であろうとも慣れるわけでもなく。
ましてやその相手は平家でも指折りの武将である知盛ともなれば、その殺気は一般兵には少々どころではなく結構きつい。
熊野滞在は7日間。
ようやく帰路に着いた頃には、何故か家人達は皆げっそりとやつれていた。

『正直、戦をするほうが楽でした』

ある家人は後日そう語った。





   ◇◆◇   ◇◆◇





熊野の方が春の訪れが早かったせいか、京に戻ってくるとまだ少し肌寒いような気がする。
それでも久しぶりの我が家である。
旅行も楽しかったが、やはり自宅が一番だ。

「お、お騒がせ娘の帰還か。お帰り」
「将臣君、一言多い」

車宿りまで出迎えに来た開口一番がそれかよと内心肩をすくめたが、自分の言葉だってお世辞にも優しいとは言えないものだあったから口には出さないでおいた。

「あれ、見つかった?」
「ああ、何とかな。いきなり無理難題つきつけてきやがって、こっちがどれだけ苦労したと思ってんだ。感謝しろ」
「ありがと」

随分と機嫌が悪い。
この様子だと使者が伝えてきたことは事実なのだろう。
相変わらず騒動のつきないことだ。
長旅で疲れているだけではない機嫌の悪さに、触らぬ神になんとやらと敢えて話に触れようとはしなかった。
それにしても、と将臣は思う。
確かには美しい。
平均的な審美眼を持つ将臣ですら、時々はっと目を奪われる程だ。
昔から可愛いと評判だったが、ここ最近は更に磨きがかかっているように見えるのは、将臣の気のせいではないだろう。

がまだ鎌倉にいた時――将臣の中では3年ほど前のことになる。
華やかな雰囲気を持つもう1人の幼馴染とはまた違った春の陽だまりのような雰囲気の持ち主として男女問わず人気の高かった
表立って騒がれることは少なかったから、もしかしたら本人は気付いていなかったかもしれない。
とにかく将臣の幼馴染2人はとんでもなくもてていた。
そんな彼女らと常に一緒にいる有川兄弟は、当然多くの男子生徒の嫉妬の対象で、謂れのない嫌がらせや放課後の呼び出しなどはそれこそ掃いて捨てるほど。
女の子の呼び出しならまだしも、男の集団に呼び出されて嬉しいはずがないのに、生憎将臣の心境は相手には理解してもらえなかった。
仕方なく降りかかる火の粉を払っていたのも、今ではいい思い出だ。
こうして思い出話に出来るのは、偏に今はその役目を重衡が代わってくれているためである。
尤も厄介ごとは相変わらず将臣本人にやってくるのだが。
それでも以前に比べたら雲泥の差だ。

公達からの文は悉く握りつぶし、強引に忍びこもうとした輩を容赦なく方天戟で叩きのめす。
更には家人達の噂になるように所構わず過激なスキンシップ。
平安貴族らしからぬラテン系の対応は、もはやセクハラである。
常に囁かれる甘い言葉といい高価な贈り物といい、重衡の真意は一体どこにあるのだろうかと将臣は疑問を抱く。
もし本気だとしたら、重衡には可哀想だが諦めた方がよさそうだ。
何せはこれっぽっちも気付いていないのだから。

「あのよ、重衡」
「何でしょう将臣殿」

の後についていこうとした重衡の肩を掴んで呼び止めれば、不思議そうに首をひねる美青年。
だが、彼が外見通りの人物でないことを将臣は知っている。
保護者としての重衡は文句なく満点。
だが、男としての重衡は…。

「あんまりあいつを構うなよ。こと恋愛に関しちゃ冗談が通じない奴なんだからさ」

そう、は間違っても戯れの恋愛を仕掛ける相手には向かない。
生来の性格もあるのだろうが、平家のために生きると決めた以上、の思考はすべて平家中心に回っていくだろう。
あまり器用な性格ではないから。
だからこそ、そんなを悪戯に弄ぶのはやめて欲しいのだ。
暗にちょっかいをかけるなと告げれば、重衡はかすかに思案するように首を傾げる。
その姿は優美でいかにも貴公子然としている。
多くの姫君ならばうっとりと見惚れてしまうであろうその横顔。
だが将臣は姫君ではないし、その綺麗な顔の下に隠れている本質を知っているから油断できない。

「そうですねえ」

ややしてくすり、と笑う声。
浮かんだ笑みに嫌な予感がするのは気のせいだろうか。

「将臣殿の仰ることももっともです。確かにこのような戯れを続けていてもには気付いてもらえませんよね」

平安貴族の恋の作法など何も知らないなのだから。
こくこくと将臣が頷けば、名案を思いついたかのように両手を打って。

「では、本気を出すことにいたしましょう」

そうのたまった。



「え――? あの」
「私としてはに私のこの溢れる想いを気付いていただきたかったのですが、どうやらそうも言っていられない様子。あの子は少々お人よしの性質がありますからね。悪い虫がつかないためには、今すぐにに私の魅力を知っていただくのが一番かと思います」
「おーい、しげひらー?」
「安心なさってください将臣殿。を哀しませるようなことはいたしませんから」

そう告げると足取りも軽く歩き出した。
向かう先は当然自分の対屋。
だが、そこは同時にの対屋でもあるわけで…。

「…俺、もしかして余計なこと、言った…?」

取り残された知盛に縋るような視線を向ければ、無言の肯定。



「さて、の貞操はいつまで無事なのか見物だな」
「うわあぁぁぁあぁぁ!!!」


  • 08.05.29